上 下
10 / 78

9

しおりを挟む

裕司が苦しそうに言葉を吐き出した。まるで自分のことのように、裕司は苦しんでいた。
オメガの保護施設に行って、今後どんな境遇が待っているのだろうか。不安に押しつぶされそうになる。裕司の優しさに触れて、ここから離れることがより怖くなった。長く同じ屋根の下にいたのに今更、気づいてしまった。裕司は本当は優しく、誰よりも華のことを考えてくれている。
(離れたくない)
華は想いを打ち消すように首を横に振った。
「違う…きちんと役目を果たせない僕が悪いんだ。裕司はなにも、悪くない。手間をかけて…本当に、ごめんなさい」
華は深く頭を下げた。頭を下げたまま華は言葉を続ける。
「あの…このこと、奥様と、け、健司さん、は」
「言ってない。華からも、絶対に言わないでくれ。監視が強くなれば抜け出せなくなる」
華は頷いて、安堵の息を吐いた。思いの外、体から力が抜けてしまった。軽く目眩を感じるほどに。逃げ出すのだから当然なのだが、黙っていなくなるのは不義理かとも思っていた。しかし、二人と対峙してまともでいられる自信がない。姿を見せない二人に、華は安堵していた。このまま翠と健司に会うことなくいられたらいい。
「…華、健司は」
健司の名前に、体が反応してしまった。裕司は眉をひそめて華を見ている。華は震えを必死に堪えて、話の先を促すように裕司を見つめた。
「なにか、されたのか?健司に」
「…なにも、されてない」
華は首を横に振って答えた。発情期の時の記憶があまりない。何かされたのか、されていないのかもわからないというのが正直なところだった。
恐怖心が震えとなって体に現れる。華を、跡継ぎを産むための存在としてしか見ていない健司が怖かった。きっと健司に悪気も悪意もない。その分、アルファの本心を見せつけられた気がしていた。
しかし、健司をおとしめるようなことは言わないほうがいい。この家からいなくなる自分は余計なことを言うべきではない。
裕司が始めに言いたかったことと、今聞いたことは違う気がするが、問い返す気力がなかった。目の前が揺れた気がして、ソファの肘置きに手をつく。
「華?どうした、顔色が」
「目眩、が」
華は吐き気も催していた。目まぐるしく変わる環境とこれからの不安が体調に現れているらしい。弱い自分に情けなくなる。
裕司が立ち上がり、華の傍に膝をついた。心配そうに華を見ている。華も裕司を見つめた。オメガの保護施設に入ったあと、裕司に会うことはないだろう。もう助けてくれる人はいない。
「…平気。大丈夫」
「本当に、大丈夫なのか?病院に行ったほうが」
「大丈夫だよ。僕は、大丈夫。ありがとう。裕司がいてくれて本当に良かった」
華は裕司に笑顔を向けた。裕司がいてくれるととても心強い。裕司は妊娠に躊躇する華よりも、別のオメガと番になったほうが良い。きっと良い父親になるだろう。
母には迷惑をかけるが、改めて保護施設に行く覚悟を決めた。
「日程が決まったら、伝えに行く」
裕司の言葉に華は頷いた。裕司の表情は暗い。きっと華の行く末を心配してくれているのだろう。華はこれ以上裕司に心配をかけないよう、なるべく笑顔を崩さないよう注意を払った。
呼吸を落ち着けてゆっくり立ち上がる。足元が少しふわついているが、歩けないほどではない。扉にたどり着くと、真後ろに気配があった。ドアノブにかけた華の手に裕司の手が重なる。首筋に裕司の呼吸を感じた。
「…華、俺と」
首筋に固い何かを当てられて華は振り返る。間近にある裕司の顔を見て華は驚いた。薄く開いた裕司の唇の奥、白い犬歯が覗いている。華は自分の首を撫でた。今裕司は、華の首筋に歯を立てたのではないだろうか。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

目が覚めたら囲まれてました

るんぱっぱ
BL
燈和(トウワ)は、いつも独りぼっちだった。 燈和の母は愛人で、すでに亡くなっている。愛人の子として虐げられてきた燈和は、ある日家から飛び出し街へ。でも、そこで不良とぶつかりボコボコにされてしまう。 そして、目が覚めると、3人の男が燈和を囲んでいて…話を聞くと、チカという男が燈和を拾ってくれたらしい。 チカに気に入られた燈和は3人と共に行動するようになる。 不思議な3人は、闇医者、若頭、ハッカー、と異色な人達で! 独りぼっちだった燈和が非日常な幸せを勝ち取る話。

俺にとってはあなたが運命でした

ハル
BL
第2次性が浸透し、αを引き付ける発情期があるΩへの差別が医療の発達により緩和され始めた社会 βの少し人付き合いが苦手で友人がいないだけの平凡な大学生、浅野瑞穂 彼は一人暮らしをしていたが、コンビニ生活を母に知られ実家に戻される。 その隣に引っ越してきたαΩ夫夫、嵯峨彰彦と菜桜、αの子供、理人と香菜と出会い、彼らと交流を深める。 それと同時に、彼ら家族が頼りにする彰彦の幼馴染で同僚である遠月晴哉とも親睦を深め、やがて2人は惹かれ合う。

孕めないオメガでもいいですか?

月夜野レオン
BL
病院で子供を孕めない体といきなり診断された俺は、どうして良いのか判らず大好きな幼馴染の前から消える選択をした。不完全なオメガはお前に相応しくないから…… オメガバース作品です。

十七歳の心模様

須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない… ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん 柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、 葵は初めての恋に溺れていた。 付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。 告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、 その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。 ※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。

僕の番

結城れい
BL
白石湊(しらいし みなと)は、大学生のΩだ。αの番がいて同棲までしている。最近湊は、番である森颯真(もり そうま)の衣服を集めることがやめられない。気づかれないように少しずつ集めていくが―― ※他サイトにも掲載

a pair of fate

みか
BL
『運命の番』そんなのおとぎ話の中にしか存在しないと思っていた。 ・オメガバース ・893若頭×高校生 ・特殊設定有

【完結】幼馴染から離れたい。

June
BL
隣に立つのは運命の番なんだ。 βの谷口優希にはαである幼馴染の伊賀崎朔がいる。だが、ある日の出来事をきっかけに、幼馴染以上に大切な存在だったのだと気づいてしまう。 番外編 伊賀崎朔視点もあります。 (12月:改正版)

こじらせΩのふつうの婚活

深山恐竜
BL
宮間裕貴はΩとして生まれたが、Ωとしての生き方を受け入れられずにいた。 彼はヒートがないのをいいことに、ふつうのβと同じように大学へ行き、就職もした。 しかし、ある日ヒートがやってきてしまい、ふつうの生活がままならなくなってしまう。 裕貴は平穏な生活を取り戻すために婚活を始めるのだが、こじらせてる彼はなかなかうまくいかなくて…。

処理中です...