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side久賀3-1
しおりを挟む苦い鉄の味が口の中に広がった。
殴られたところがズキズキと痛み、怒鳴り声が耳の中で反響する。
指先一本を動かすことでさえ億劫だった。
痛いことが好きなわけではないが、一円にもならない喧嘩はしない主義だし、そもそも、多勢に無勢過ぎて逆らうのもメンドーだ。
なにが目的かは知らないが、早々にヤられたふりをして降参した方が、怪我も少なくて済むかもなぁ。と、無抵抗で相手の蹴りを受けた。
ガッと顔を蹴られた衝撃で脳みそが揺れたのかクラクラした。
どうやら相当、根深い恨みのよーで……まさに自業自得ってヤツだな。記憶にねぇーけど。
因果応報を身を持って体験中な俺は仕方ねぇけど、尾上は災難だったな。
巻き込んで悪ぃな……って気持ちは多少わいたが、うん、スマン。まぁ、俺を痛めつけることが目的なら、そんなにヒドい事はされないだろう。多分。
コレに懲りたら、アイツも今までみたいに不用意に近寄っては来ないだろう。
ままごと遊びのようだったが、友情というものも体験出来たし、未練もねぇ、な。
―さようなら
唇が勝手に形をつくる。音にならない別れの言葉。
男が何かを叫びながら、足を振り、腹に靴の爪先がめり込んだ。ご丁寧に鉛いり。
赤色の唾液を路地に吐き出した。
ツンと、鼻の奥を刺激する、懐かしい臭い。
目を閉じれば、薄汚い路地は月に照らされた夜のものへと変わり、血と生ゴミの臭いが、昔の記憶を引っ張りあげた。
たばこの煙。
殴り合い。
アルコール。
女の乳房。
月の光と人の影。
湿った風。
赤いルージュ。
安っぽい音楽。
一夜の慰み。
死神のあたたかな掌。
それらは一瞬で流れていって、もっと深い場所にある古い記憶を思い出していた。
波の音がする。
あるはずのない海が見える。
潮の満ち引き。
雲の白さ。
太陽の眩しさ。
そして。
「俺を見ろ!緋色!!」
髪の毛を乱暴に掴まれて無理やり顔の向きを変えられた。
ウルサいな。
少し黙ってくれないだろうか。
いま、俺は、孤独に浸っているのだから。
孤独の中にある、幸せな過去を振り返っているのだから。
広い海岸で、見えるものといえば、白い雲と波と灰色の砂、青い空と海と水平線。
偽物みたいに綺麗な場所で、たった一人、立ち尽くす。
俺の側にはもともと、それほど多くのヒトが居たわけではないけれど、みんな離れていって、遠くへと、去ってしまった。
そうだな。
最初にいなくなったのは、俺の父親だった。
正確には父だと信じていた人。
写真でしか知らない彼は物心つく頃にはすでに亡く、俺を産んだ女が疲れきった顔をしてどこかを見ている姿と、酒に酔って大声で喚く男の姿が一番古い記憶だった。
痛かったでしょう、可哀想に、と一番はじめに俺を憐れんだのは誰だっただろう。
看護師だっただろうか。救急隊員だっただろうか。既に記憶にはない。
母親と養父(といっても正式な家族ではなかった)が居なくなった次は、上の兄の番だった。
優しかった叔母と叔父も離れていって、向けられる感情は憐れみと優しさから、憎しみへと変わった。
殺しても、殺したりないくらいの憎悪。
仕方がない。俺の咎だ。
寧ろ憎んで貰えて良かった。
寛大なる理解なんてものを示されていたら、俺の精神は崩壊していたかもしれない。
優雅や西河原とも、永遠には居られない。
気儘な西河原は、そのうちふらりっと何処かへ行ってしまうだろうし、優雅も、そこまで友情に熱い男ではない。ただの腐れ縁も、いつかは終わってしまうだろう。
トモ。可愛い、ふわふわな魂を持った、天使みたいなトモ。
キレーなキレーなアイツは、濁った泥水みたいな俺の側にいちゃいけない。きっと俺は目的の為なら、トモの手だって振り払えるんだからさ。
心だって痛まないんだから。
あー、それなら史ちゃんも一緒か。
俺の兄さん。心配性な兄さん。
いつか、ヒロさんと幸せになってね。
そしたら、この世の俺の未練が一個減るからさ。
ミナ。ミナミ……美波。
美しい海を名前に抱いた子。それから母親の亜由美さん。
懺悔してもしたりません。
いつか気紛れな神様が微笑んでくれたら、罪悪感が一つだけ消えるだろうか。
さぁ、周りを見渡してみよう。
なんとも閑散とした光景ではないか。
もともと、多くを持っていたわけじゃ無い。
もともと、多くを望んだわけじゃ無い。
頭を撫でてくれた、あたたかくて大きな掌が愛しかった。
真夏の太陽に灼かれながら、あのヒトと小さな俺が海岸を歩いていく。
『龍二。友だちは出来たか』
そう訊かれて、俺はなんと答えただろう。
曖昧に笑って誤魔化しただろうか。
俺はね……俺は、友人なんて要らなかったんだよ。
今も昔も、欲しかったのは、ひとりだけだ。
大切なのも、大好きなのも、愛したのも、たったひとりだけで、あんた以外はどうでも良かった。
あのころと変わらず、俺は歪んだままだ。
俺の歪みがあんたを苦しめて、たくさんのヒトを不幸にしたのに、俺はちっともマトモになれない。
あんたへの……あなたへの思いが消えません。
ゴメンナサイは飽きるほど繰り返した。
愛しているは目眩がするほど心で唱えた。
涙はとっくに涸れてしまって、あなたを越える大好きは一つもなくて、俺の心は死んだままだ。
ただ、あなたの姿を繰り返し夢で見る。
幸せで孤独な海辺で、あなたの夢を見る。
『龍二、友だちは出来たか』
あの日とおんなじ姿のあのヒトが、16歳の俺の隣に立っている矛盾。
夢の中の出来事なのに、おかしくて笑えた。
抱き締めたかったけれど、怖くて出来なかった。
「友だちなんて、いらないよ」
愛情だって、今更望んだりしません。
誰に憎まれても良い。嫌われてもいいよ。奇跡の対価が、あなたと永遠に引き離される事でもかまわない。
ただ、あなたが生きて笑って幸せになってくれるなら、それ以上、望んだりしないから。
だからどうか、あと一度だけ……。
「いいかげん、帰ってきてよ。俺は醜い獣のままで十分だし、トモダチもいらないからさ……。夢の中でしか逢えないだなんて、悲しすぎる」
次が、永遠の別れでも良いから、もう一度だけ、現実のあなたに愛してると言わせて下さい。
そうしたら、空の彼方と世界の端っこほどに離れ離れになったとしても、空を見上げて、あなたの幸せだけを願って、俺は、世界の端っこで死んでいけるのに。
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