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第2話
しおりを挟む雨の日だった。
中庭の片隅で雨に濡れながら、そいつは空を見上げていた。
同じクラスだし、何だかんだと噂が絶えないヤツだったから、名前と顔くらいは知っていた。
仲が良かったわけではない。
たわいない会話を交わした記憶すらない相手だった。
何故か。気になって、立ち止まった。
目が離せなかった理由を知るのはまだ先の話で、その時の俺は自分の内に生まれた感情に気付かなかった。
ただ、心が軋む音が聞こえた。
視線の先で佇むソイツには、馬鹿騒ぎをしてクラスの連中とふざけたり、女子を侍らしている時の明るくて軽い何時もの雰囲気が、ヒトカケラも無かったのだ。
どうにかしてやりたいと思わせるくらい、暗い目をしていた。
雨の音すらも聞こえない一瞬が訪れた。
まるで、中庭という世界に、そいつだけがとり残されているような……映像の中のワンシーンのような。
完成された一枚の絵のような。
美しい写真のような。
まわりから切り取られた、小さな空間があった。
胸が痛むほどの何かが、俺のなかに生まれた。
今も、あのときのアイツの姿が、脳裏に焼き付いている。
春眠暁を覚えず。
ぽかぽかな陽気は、朝も夜もなく睡魔をつれてくる。
今日も一日それと戦い、欠伸を噛み締めながら下校時間を迎えた。
校庭の端に並ぶ桜もとっくに散ってしまって、青々とした木の葉を風に揺らしていた。
進級し後輩が増えたが、特に日常が変わるわけでもなく、進路希望書類の提出期限が迫っている以外は、日々穏やかに過ぎていた。
それはあくまでも、表面上のハナシだ。
俺の心の中ではいまだに雨が降っていて、嵐が渦巻いていた。
おおよそ1年前の初夏。
うっかりハマってしまった穴が、決して実らない恋のソレだとはもう自覚はしている。
アレから自分なりの努力をして、たわいない会話を交わせるまでに至った。
回想だけでキャパオーバーしそうなアレコレがあって、僅か数ヵ月でそれまでの10数年の平凡で平和な人生が霞んでしまうんじゃないかってくらい濃厚な体験をした。
おかげで、頭のネジは確実に何本かぶっ飛んだ。
現在。2年に進級しクラスも別れた今、悲しいかな好きなヒトとの接点は激しく減ってしまった。
玄関前に張り出されたクラス表を祈るような気持ちで凝視し、一人地味に落胆したのは3週間ほど前のコト。
周りで「また一緒のクラスねー」ときゃぁきゃあ騒ぎながら手を取り合っている女子たちに、心の中でウルセェと八つ当たりをした。
1ホームと6ホーム。
教室も遠く離れた事が二重にショックだった。
体育などの合同授業も望みが薄い。
今年の春は憂鬱だ。
まぁ……それでも持ち前のしつこさで頑張るんですけどね。
軽くストーカーじみてきてないか、ちょっと自分が心配ではある。
カバンを片手に正門への道を歩いていると、門の近くに幼なじみと久賀の姿が見えた。
ああ、仲直りしたのか、と複雑な気持ちで彼らを見やる。
にっと、意地悪く引き上げられた唇に視線が奪われた。
ぱしっと、頬を叩く音がした。
20メートルは離れた場所にいる俺にも、しっかり聞こえる打撃音。
叩いた方も、叩かれた方も、痛いことだろう。
「さいてぇー!」
叫びながら、みゆきは走り去った。
傷心の幼なじみを可哀相に思う。
けれどさっきまで感じていた鬱々とした気持ちが、ほんの少し軽くなったのも本当で……自分の下劣さに笑えてくる。
強烈な平手をもらった久賀は、怒るわけでもなく、悲しむわけでもなく、ただ薄っぺらい笑みを浮かべていた。
ああ、ムカつく男だ。
立ち止まって凝視していた俺に気づいたのか、久賀の視線が動き目が合った。
ドキリと、心臓が跳ねる。
春休みの期間を含めると、こうしてヤツと向き合うのは実に1ヶ月ぶりの事であった。
ニヤリとヤツが口の端を緩め、すっと片手をあげる。
「よぉ、オガミン。久しぶり」
へらりっとした、軽い笑みと共に軽い挨拶を投げて寄越す。
頬に受けたビンタは最早記憶にすら無いのかもしれない。
「オガミンいうな」
「ぢゃぁ、おーちゃん?」
「止めろし。鳥肌が立つ。尾上でいいって何回言えば分かるんだよ」
鳥頭かお前はと言うと、記憶力悪い自覚はある、とふざけた口調で返された。
ウソつけ。テストの点数はいつも俺より上じゃん。
むすりとしながら側に寄ると、無駄に身長が高いひょろ男に見下ろされてムカついた。
一応ね、170センチくらいはあるのだよ、俺も。
唇の端に血を滲ませる最低男に呆れた。
このドMめ。
「お前さ、今度はなにやったわけ?」
多分、みゆきが今朝話していた森との事が喧嘩の原因なんだろうけどさ。
「いやー、ちょーと別のおんにゃの子と遊んだだけなのにねー。怒らせちゃった」
「へぇ、ちょっとね。どれくらいの“ちょっと”だろーな」
んーと、片方の目だけを器用に細めながら、久賀がにやにや笑う。
何時もながら、こいつって絶対ヒトを馬鹿にしてるよな。
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