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番外編 戦場の黒鷹

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※こちらは坂谷くんが前世で読んだ、小説のお話です。
※ナジィカ王子やルフナードなどが登場しますが、本編とは別人であると認識下さい。
※番外編なので読み飛ばしていただいても、問題はありません。


【番外編 戦場の黒鷹】



 むかしむかし ひとびとは こくど をめぐってあらそいました

 だいちは ちのいろにそまりました
 なげきが そらをわたりました

 なんねんも なんねんも あきることなく ひとびとは うばいあいをつづけました

 せかいから たくさんの いのち がうしなわれて せかいには たくさんの かなしみ がうまれました


 そうして ふりつもった かなしみ は ひとりの しはいしゃ をうみだしたのです





 守りたいものがあった。


 小さな掌ではすべてを救う事は出来ないと知った上で、彼は剣をとった。
 数多の命はその手によって失われ、血と肉が靴底で踏みにじられた。
 彼は奪う事に微塵も躊躇ちゅうちょしなかった。血の繋がった兄弟さえも、一刀のもとに切り捨てた。
 一瞬でも早く己の国に平和をもたらす事。
 それのみが彼の体を動かしていた。



 大地には、数えきらない屍が重なり合い、嘆きが木霊している。その場所にあって命ある者は、ほんの僅かだった。
 この世の悲劇の全てを押し込めたような、血塗られた戦場の中心に彼はいた。

 美しい長髪の銀色も、白く繊細な指も、返り血と彼自身の血によって赤く染まっていた。
 全身に傷を負い、腕や足は重く、呼吸はか細くなるばかりだ。

 幾度目かの死が訪れ、心音は鼓動を止める。
 しかし、燃え盛る魂が幾度となく脈をうち、彼の体を動かしていた。



 赤く染まった視界の端に捕らえたのは、死体の海をかき分けるように這いずり、血と泥に塗れながらも必死に逃れようとしている敵国の兵士の姿だった。

 半ば足を引きずりながら彼はその兵士に近づいた。
命を奪うためだ。
 恐怖に引きつった顔が、彼を見上げた。
 ひゅー、ひゅーと喉を鳴らす呼吸は、救いを求めて彼に縋る。

「……らない」

 彼が何かを呟き、兵士は一瞬目を見開いた。そして。

「………がはっ!」

 赤い血潮が胸を彩った
 絶望に染まる兵士の瞳に、美しき殺戮者の姿が映っている。

「許しはいらない」

 祈りのように吐き出す声は、いっそ泣き崩れそうなほどに弱々しく、震えていた。
 兵士の体が痙攣し、やがてその動きを永遠に止めた。
 直後、折り重なる死体の影から、鋭い刃の切っ先が伸びてきて彼に襲いかかった。

「くたばれ黒鷹ぁぁ!」

 カランと音を立てたのは、死した兵士の防具の上に転がった彼の剣だ。
 
 深く肉に食い込む刃。
 二つの影が死体の上に折り重なるように倒れた。
 飴細工のように美しい髪が地面に広がった。赤い血を吸ってますます汚れる銀色。

「許されるとは、思わない」

 吐き出した息よりも熱い雫が、ポタリ、ポタリと落ちて、彼の頬を濡らしていた。
 彼の細い指に握られた短剣が、少年兵の胸に深々と食い込んでいた。
 交差したときに少年兵に抉られた彼の脇腹の傷は深く、しかし、狂気に満ちた彼の熱情を止めるには至らない。

 ぐっと力を込めると、少年の体はぐらりと傾き仰向けに転がった。

「……っく、しょー」

 ぎりりと奥歯を鳴らしながら、少年は彼を睨む。
 ごほりと咳き込み、血を吐き出した。
 十と、三、四年ほどの時しか歩まず、儚く失われようとしている命を前にして、彼はほんの少し目を細めた。

「……許されたいとも、私は思わない。ただ……ただ、お前たちを、哀れに思う」

 守りたいものがあった。
 たった二つの掌では、すべてを救うことは出来ないと知った上で、私は剣をとった。
  

「ば……けも、のめ」

「そうだ、私はバケモノだ。血も涙もないケダモノだ。お前はそんなケダモノを相手に、恐れる事なく立ち向かい、命の限り戦った。ほまれにおもうだろう。お前を知る者すべてが、愛する者すべてが、お前を誇りにおもうだろう」

 誉れに。
 誇りに、おもうだろう。
 その言葉を聞いて、死にゆく少年の瞳に、涙が浮かんだ。
 少年兵もまた、大切な何かを守るために、剣をとったのだから。



 守りたいものがあった。
 守るために、壊す決意をした。
 奪う覚悟をした。


 側に転がっている剣を彼は握る。
 それの所有者も、もはやこの世にはいないのだろう。 
 折り重なる死体の、一つと化しているのだろう。
 ただ哀れに思う。しかし、後悔はしない。
 過去を振り返ることも、歩みを止めることもしない。

 柄を握る手に、力を込めて振り上げた。

 許しはいらない。
 許されるとは思わない。
 許されたいとも思わない。
 この罪を背負って、私はゆく。

 
 赤い戦場に折り重なる、数多の死体。
 その上に、また一つ屍が増えた。
 未練を残して死した彼らの、恨みの声が大地から湧き出していた。


 ―ああ、私の目指す楽園は、確かにあるのだろうか?


 彼は大地に剣を突きたて、片膝をついた。
 見上げた空は暗い。まるでその闇の中に心を蝕む何かが潜んでいるかの様だった。

 彼は自分が目指す場所に辿り着けない事を知っていた。決して手には出来ない、幻の花を追いかけているのだと、そう知った上でなお足掻き続ける理由は…………。

 剣にすがり、視線を落とした。
 呼吸は細く、鼓動は弱く、全身が重い。

 肉体が死の扉を幾度となく潜り、燃え盛る魂がその度に蘇らせる。
 それは激しい激痛となって彼に襲いかかる。けれど、どれ程の痛みも、彼の歩みを止めることは出来なかった。

 
 守りたいモノが、ある。
 どんな手段を用いてでも、守りたいモノがある。
 その為ならば、私は……。



 彼の肩に優しく置かれた掌。
 そのぬくもりが彼の正気を取り戻した。
 見上げる視線の先には、唯一の友が立っていた。

『さぁ、王子。鳥籠を出よう』

 遠い日の、友の言葉が甦る。そうだ、いつだってお前だけが、泥底の闇色の世界を、太陽のように照らしてくれる。
 凍えた心をあたためて、この体を突き動かす、勇気をくれる。そうだ、お前を、ただお前を守るために、わたしは……。



 彼は唇に笑みを乗せた。そして本当の意味であらゆるモノを捨て去る覚悟をした。

 ちっぽけな掌では全てを守る事は出来ない。
 ならば私はたとえ千の命を奪ったとしても、千と一人の命を救おう。
 万人の屍の上に万人と一人の幸せを築こう。
 憎しみも絶望もこの身に受けよう。
 世界の全てが私を見捨てても、その全てが敵になってもこの太陽だけは変らず傍らにあるのだろう。
 ならば、畏れることは何もない。


「見よ!あれぞ神の国への扉だ」


 生贄として捧げられた屍の血肉を糧に、戦場に出現した天を穿つ扉。彼は白い指を真直ぐに、それへと向けた。
 瞳に宿るのは、銀色の光。
 愛する者を守るために、宿した光はいまだ消えない。
 けれど恐怖は確かにあるのだ。不安に打ちのめされそうな己を何度も奮い立たせ、彼は何度でも立ち上がった。
 傍らには、唯一の友がいる。それだけで、彼には十分だった。

(大丈夫だ。この太陽こそが、私の正気なのだから)

 彼に残されたのはソレだけだった。
 いや始めからソレしかなかったのだ。

 ちっぽけな掌で守れるものなんて、ほんの僅かだ。その手に掴むことが出来るモノもほんの数えるほど。
 ならば最期までお前の手を握っていよう。と、彼は心に誓った。どんなに深い闇の中を進むことになっても、お前が私を照らす光になるならば、何処まででも歩いていける。
 たとえこの身が、ヒトあらざる何かに変貌したとしても。


「唯一にして最愛の我が友よ。私が狂いしその時は、お前の手で眠らせてくれ」

 返事は待たなかった。もう知っていたから。
 太陽は彼を主と仰いだその時に、どんな望みも叶えると誓ったのだ。
 彼は迷わない。許されがたき罪の数々を細い肩に背負って、目の前の扉を押し開いた。



 それは、彼がヒトであった最期の、そしてヒトあらざるモノとなった最初の日だった。




 むかしむかし ひとりのおうさまが けんをとりました

 たくさんの かなしみ をおわらせるために おうさまは しはいしゃ になるけついをしたのです

 へいわ をもたらすために おうさま はひとであることをやめました かぞえきれない ぎせい のうえに おうさまは おうこく をつくりました

 おうさまの ちにく は だいちになりました

 ひとりの おうさま に しはいされた せかい から あらそいは きえました

 せかいには おうさまが こわれる までの つかのまの へいわ が おとずれました



 めでたし めでたし

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