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第52話 王子と従者②

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〈ナジィカ視点〉

 ひとつ果実を落とす度に、従者は笑って手を振った。
 駆け寄ってきてプミラを磨き、手の中に押し付けて戻っていく。

「どうぞ、ナジィカさま」

 4個目を差し出され、いまだ手の中には食べかけのプミラ1つと手つかずのプミラ1つ。

「君は食べないの?」

「俺は後で頂きます」

 元気良くそう答えて、従者は木の下まで走って戻る。
 またひとつ果実を落とした彼は「よしっ」と拳を握った。
 嬉しそうに、笑うヤツだな……。
 器用だな、とプミラを齧りながら従者の様子をぼんやりと眺める。

 もし谷底へと落ちた彼を助けられなかったら、今頃僕はどうしていただろう。
 きっとバラバラに砕けて引き裂かれた彼だったモノの側で、ひとりで生き返って、右も左もわからずに途方にくれて、獣に喰われて死ぬか、餓死するか……それでも甦るらしいこの身は、その後はどうなっていたのだろう。
 
「ナジィカさまー!!見てくださーい、枝ごと取れましたー!」

 幾つかの実がついた木の枝を頭上に掲げて見せながら、彼は幼い少年の顔で笑う。
 実際に、彼は【可愛らしい】という表現が似合う程には、幼い少年なのだ。
 けれど騎士の振る舞いをする時は、随分と大人びて見えた。
 その二つの差が、あまりに大きくて多少、困惑しないでもない。
【僕】の言葉を借りるとすると、こんなときはなんと言うべきだったか……ギャップ?ギャップ萌え、というヤツか?

 そーいえば、現実の炎の精霊王が書籍にしるされた人物とあまりに差がありすぎて『俺の守護精霊がこんなに可愛いはずがない』と【僕】が頭を抱えていたことがあったな。
 今ならその気持ちが僅かばかりだが、わからなくも……。

「ナジィカさま!」

 突然、従者が声をあげて、こちらに向けてナイフを振りかぶった。
 その姿に、心の奥底がすっと冷える。
 ああ、お前もか……と誰かが落胆のため息をついた。違う、それは誰かではなくて、僕自身だった。

 記憶の中の僕は、溜め息を吐くように問いかける『お前も僕の死を望んでいるのか?』と。
『ええ、勿論です』と答える声がする。
『この世でソレを望まぬ者がいると思うのですか?』と、彼女が僕に問いかける声を聞いた。
 僕はその問いに答えることが出来ない。
 いや、答えははじめから決まっているから、答える必要がないんだ。

 父上は【父親】であることより、【王】であることを選ぶだろう。
 父がそうであるなら、王の両翼も同じ道を行く。
 弟も同じだろう。いや、他の選択などさせては貰えない。王族とは己よりも国と民を第一に考えるべきだからだ。
 言わずもがな、精霊は神のしもべであって、僕のために生きることはない。
 物語の中でも、この現実でも、僕を望んでくれる人はきっといない。
 メアリーが居ない今、温かな手が僕に差し伸べられることは、もう二度と無い。
 ああ、どうせ死ぬなら……殺されるのなら、メアリーの手で死にたかった。そうすれば、彼女の望みを叶えてあげられたし、彼女が惨たらしく死ぬさまを見ることもなかったのに。
 目に映る世界が遠くなる。メアリーの言葉が真実なら従者も僕の死を望んでいて……それなら数秒後に彼の望みは叶う、ああ、でも、僕の体はすぐに生き返るだろうから、どこか遠いところにいかなくちゃ。
 僕が生きていることを知って、悲しむ人たちが居ない、遠くへ……でも、その後僕は、僕はどうすればいいんだろう。

「動かないで!」

 従者の手から放たれた銀色の刃は、頭のすぐ上を掠めるように飛び、木に突き刺さった。

 ビタンビタンと冷たい何かに頬を叩かれて、暗い闇の中に囚われていた意識が現実に引き戻される。その場から思わず飛び退いた。
 自分が座っていた場所に視線を向けると、目を貫かれて幹に串刺しにされた細長い何かが、ぐねぐねとうごめいていた。

 プミラを放り出して、従者の側に駆け寄った。その判断は、決して間違っていないはずだ。
 従者を盾にして背中に隠れた事も、別に間違いではないはずだ。僕は王子で、彼は僕を守る従者だから。うん、間違いじゃない。

「大丈夫ですかナジィカさま!噛まれてないですか」

 噛まれてはいないが……ううっ、気持ち悪いっ。実物を見るのは始めてだけど、あれが。

「あっ、あ、あれは、ヘビという生き物か?」

「は、はいそうですよ。蛇を見るのははじめてですか?」

「うん……毒が、あるのだろう?」

 確か【僕】の記憶の中で、異母兄あにたちが衣装棚に毒蛇を仕込み、それに噛まれたナジィカが死ぬという場面があったな。
 そのせいで、とは言わないが、僕はどうやらあの生物のぐねぐねした動きや、ちょろちょろと見え隠れする舌の動きが苦手みたいだ。

「大丈夫ですよ。毒を持つ種もおりますが、あれは無毒です」

「…………」

 ぎゅっと従者の服をつかんで、いまだにもがく生物から全力で顔を逸らした。
 別に怖いわけではない、不快だから視界に入れたくないだけだ。
 従者の服に顔を押し付けた。
 土っぽい匂いを嗅いで、すがる相手がメアリーで無いことを不意に知覚する。
 ぱちりと目を開けて、後ずさった。

「ナジィカさま?」

 従者が気遣わしげな顔で僕を見た。従者の赤い目に僕の影が映った。
 従者の服をつかんでいた腕が、中途半端な高さで彷徨った。
 視線を落として、地面を見つめながら後ずさる。

「どこか怪我をしましたか!手ですか?見せてください」

 宙に浮いた手を従者がそっととった。
 指先を、手の甲を、掌を、傷を探すように、あたたかな体温が移動した。
 右手の次は左手が、念入りに確かめられる。

 真剣な表情を浮かべる相手を、こっそりと盗み見た。
 メアリーの言葉通りなら、彼も僕が憎くて嫌っている筈なんだけれど、彼の目や言葉や態度には、そういったモノが感じ取れなくて、僕はただただ困惑していた。
 今更だけれど、彼は僕が恐ろしくは無いのだろうか。僕が国に厄災を招く呪われた者であることは、町の外れに住む幼子だって知っていることだ。
 僕が生まれたその日に、当時の神殿の最高位にあった巫女が予言した。
 人在らざる異質な魂を持って生まれた双子の片割れが、大地を亡骸で埋めつくし国を滅ぼすだろう。と、そう予言した。
 御丁寧に、その子どもは精霊の加護を受ける者でもあると言い、滅びよりも恐ろしい災いを畏れるならば、その身を害してはならないとも言い残した。神の作為を感じずにはいられないな……。
 翌日、その巫女が街の中心で変死し、予言は瞬く間に国中に知れ渡ったらしい。

「噛まれた痕はないですね。痛みますか?」

「………」

「ナジィカさま?」

「…………の」

「え?」

「……こわく、ないの……?」

 ああ、そんなこと……確認する必要も答えを知る必要もないのに。
 メアリー以外の誰かの心を知りたいだなんて、そんなこと僕は望んでいない。
 そんなのは僕じゃない。
 僕はただ眠っていたいだけなのに。
 聞きたくない、知りたくない、なにも見たくない。空っぽの僕でいたい。

「大丈夫。怖くないですよ。俺が必ずお守りしますから」

 ぎゅっと力強く手を握った従者が目の高さを合わせた。
 真っ直ぐ逸らされることなく、僕の目を見つめる眼差し。炎のようなその色に、これ以上心が騒がないよう、僕は静かに目を閉じた。
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