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番外編・炎王のご主人さま〈炎王視点〉

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15話~18話の間くらいの話です。




炎王えんおう……」


 主の命令で、風の精霊を呼び出し、空気の浄化を行っていると不意に名を呼ばれた。

『呼んだか』

 すぐに俺を呼んだ主のもとへと参じた。

 ヒトの器を有するとはいえ、その魂は偉大であり高貴なるモノだ。
 ヒト相手に頭を垂れるなど例え消滅したとしてもごめんだが、この主だけは別だった。

 双子神がそう望むからだ。

 文字通り世界の全てを創った双子神が、俺にヒトの主の守護を望むならば、俺は神の意思に従おう。

 小さな俺の主は、銀色の瞳を見開いて驚いた顔をした。
 それから、何故だか眉をひそめる。

『主、どうした。足が痛むのか?』

 高潔なのはその魂だけで、愚かしく弱い生き物だ。
 ちっぽけで虫けらのようであっても仕方がない。主の器はヒトなのだから。

 小さな主の体を抱き上げた。
 ほんの少し、力を込めれば粉々に砕けて壊れそうなほどに脆い、ヒトの器。
 実はこれでもかなり気を遣ってはいるのだ。
 主に合わせてヒトガタを模してはいるが、俺の本体は炎の竜だ。そもそも、精霊はヒトに触れることを想定して創られていない。
 炎の竜である俺は、ヒトを炎で焼くことは出来る。けれど、触れることは出来ないはず、、だった。故に、加減がわからない。
 どれほどの強さで抱き上げれば良いのかも、触れれば良いのかも。
 けれどきっと、ほんの少し力加減を間違えただけで、主の器は簡単に壊れてしまうだろう。
 軟弱であっても俺の主であるならば、炎に焼かれることは無いだろうが、間違って捻り潰してしまったら大変だ。

 主に触れるときは、とても気を遣う。

 神の園に咲く、薄い水晶の花弁を纏まとった花を摘み取るように、優しく優しく触れるのだ。

『疲れたのか。少し休め。お前の眠りは俺が守ろう』

 肯定なのか、否定なのか。
 ふるふると左右に頭を振ったあと、主は小さな掌で必死にしがみついてくる。
 頭部をもぎ取らないように気を付けながら、その頭を撫でた。
 ヒトの親は、幼子の頭を撫でるらしい。

 それから……あの女は他にどんなことをしていただろうか。


【……王子、王子。いい子ですね、私のナジィカ王子。

 ねんねこよ。ねんねこよ】


 幼い主を腕に抱き、背中をぽんぽんと叩きながら女は歌った。
 数年前の記憶だ。
 まだ、満足に歩けもしない主を腕に抱いて、暖炉の前に座った女は静かに歌った。
 夜の寒さから幼子を守るかのように、優しく触れる女の手。

 そして数年後、女はその手で主を殺めようとした。

『やはり……間違いではなかった』

 壊さないように、慎重に、小さな背中を軽く撫でるように叩いた。
 いつしか主は、すぅすぅと僅かな寝息を漏らしながら眠った。
 腕の中のあたたかな体温を感じながら、間違ってはいなかった、とそう確信する。

 あの女を燃やしつくしたことは、間違いではなかった。
 正しい選択だったのだ。

『そうだ、双子神が間違うはずがない』

 神の国から連れて来た魂が、精霊の声も聞こえず姿も見えぬ者だと知ったときは、流石に何かの手違いだろうかと内心焦りもしたが、おそらく全ては神の采配通りであったのだろう。

 ヒトに裏切られた主ならば、やがて気づくだろう。
 この地に蔓延るヒトが、どれ程に愚かで害悪であるか、自ずと知ることになるだろう。

「あ……あにうえ」

 時の精霊の背後に隠れた下等種が、怯えを含んだ声音で俺の主を呼んだ。

 俺の主がソレを背に庇った時の腹立たしさを思い出し、更には窓から飛び出した時の腹の底が重くなるような、なんとも言えない不快感が甦った。

 主にソレを傷つけるなと命じられていなければ、とっくに消し炭に変えていただろう。

『時の精霊。ソレを二度と俺の主に近付けるな』

 返事は待たずに主を抱いたまま、割れた窓を目掛けて飛ぶ。
 ようやく邪魔者が居なくなった。

 部屋の中はガラスの欠片や石や小枝が散乱し、蹴破った扉は粉々で、随分と風通しが良くなっていた。

 ひ弱な主は、夜になると風邪を引くかもしないな。

『俺が守らねば』

 暖炉に向けて指を鳴らし炎を生み出した。
 燃料など無くても、火を灯し続けることなど容易い。

『この程度では足りぬだろうか?』

 ヒトの器が軟弱なことは知ってはいるが、程度がわからぬ。
 それに、神の国と箱庭では、感覚が違いすぎて暑さも寒さも曖昧にしか感じない。
 唯一、腕の中の幼子の体温だけは、確かに"あたたかい"のだと感じることが出来た。その"あたたかさ"に知らず、唇の端に笑みが浮かぶ。

「メアリー……あったかい、ね」

 主の寝言を聞いて『あ"?』と信じられないような低い声が漏れた。

 俺の腕の中で、安心しきった顔をして眠って、間抜けな寝息の合間に呼ぶのが乳母の名前、だと?

 俺が側にいるのに……どうして俺以外の誰かを呼ぶんだ。

 すぷぷーと可笑しな音をたてる鼻を、きゅと摘まんでやる。
 数秒でむむっと眉間に皺を寄せ、ぱくぱくと口を動かし始めた。

 餌をねだる雛のように見えて、鼻を摘まむのを止めて唇を指先で撫でた。

『……ふっ』

 あむあむと必死に指に食いついてくる姿は、間抜けで可笑しい。

 腹の底で渦巻いていた何かが、呆気なく飛散する。

 俺以外の精霊に頼ったことも、寝言で乳母の名を呼んだことも、許してやろうかという、そんな気分になった。

「へくちっ」とこれまた可笑しなくしゃみをして、それでも目を覚まさない主を見下ろし、ふっと息を吐いた。

『仕方がない。軟弱な主のために、柔らかな寝床でも用意してやるか』

 仕方がないだろう。これは虫けらのようにか弱いヒトの器を持った主なのだ。

 優しく優しく、触れなければ。


 そっと、小さな体を抱き寄せる。

 トクトクと脈打つ心音に耳を傾けて、僅かな時間、両目を閉じた。


◆◇◆◇



 そして、汗だくになりながら目覚めた少年に『部屋が暑すぎるんだけど、なんの苦行だ?』と責められた精霊が『解せぬ』と首を傾げるのは、僅か数時間後の話である。


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