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蒼い春も、その先も、
20-3
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病室に入ると、椿は上体を起こし、窓の外を見つめていた。久方振りに見る背中が、心なしか小さくなったように思える。
「椿、久し振り」
声に、椿が振り向く。しかし彼の視点は、穂希から大きく逸れてしまっていた。
その時初めて、自身の表情の変化を感じ取った。けれど、そんなあからさまな変化でさえ、椿には見えていないのだ。
突如頭が真っ白になり、穂希はずっと会いたいと願っていた椿の前で立ち尽くした。
最後に会った日と変わらない端整な顔立ちと、健康的で白い肌に不似合いな傷が、やけに目立っている。
「穂希君、ごめんね」
不意に、椿が言う。今にも消え入りそうな声だった。
「また会いにいけなくて、ごめん。せっかく来てくれてたのに面会も断ってばかりで……」
「ううん、気にしないで」
何か言わなければ、と唇を開くも、言葉が出てこない。閉口していると、椿が白い壁の方を向いたまま問い掛けた。
「最近どう?」
「前と変わらないよ。学校で……寝てる。あとは……」
本当は、学校に行ってなんかいない。
食事も疎かで、葉月が来ても居留守を使っていて、此処に来る以外は大体眠って過ごしている。
穂希は自身の生活を振り返りながら、椿を心配させないための嘘の続きを、必死に考えた。
「もう勉強、教えてあげられないね」
またもや、椿が先に口を開く。伏せた瞼が物語っている彼の悲哀に、黙り込んでしまう。
「学校にも行けないかも」
優しい声とは裏腹に、椿の顔には嘲笑的な笑みが浮かんでいた。
味わった事が無いほどの深い沈黙が、病室と言う空間を牢獄に変える。
だが、この現実から逃げ出したいのは、きっと椿も同じだ。
「椿、無理しないで」
一歩も動かずに声にすると、椿の瞳が揺らいだ。
「穂希君、これから僕はどうしたらいいんだろう」
いとも簡単に崩れる表情から、今の椿が極限状態である事が分かる。
「本も字も読めないし、目の前にいるのが誰かも分からない。立つことすら怖くて、情けないよ」
ボロボロと零れる弱音は、事故に遭ってからの長い時間の中で、椿が我慢していた証とも言えるだろう。
他人に負の側面を見せたがらない彼が、唯一感情を曝け出す事が出来る相手、――――それが自分である事を再認識した穂希は、そっと手を伸ばした。
「……椿、触っていい?」
椿が俯いていた顔を上げる。やはり視線は何も無い場所に据えられており、目が合わさる事は無かった。
慎重に肩に触れると、びくりと僅かな振動が伝わる。息を呑み、そのまま肩を包み込むと、ゆっくりと手を滑らせ、抱き締めた。
「椿、俺の前では本当の椿でいて」
椿が項垂れるように顔を埋める。熱い雫が、忽ち肩を濡らすのが分かった。
「怖い、怖いよ」
泣きながら縋る様は、まるで子供みたいだ。
本当は駄目なのに、彼の弱い姿を見て、嬉しいと思ってしまう自分がいる。
けれど、罪悪感と優越感が入り混じった今の可笑しな表情も、椿には見えていない。それで安堵する自分は、どう足掻いてもまともな人間にはなれないだろう。
「それでいいよ」
囁くほどの声は、椿の耳に届いていないようだった。
自身の中の“大切な何か”が壊れてゆくのを感じながら、穂希は艶のある彼の黒髪を、何度も撫でた。
「椿、久し振り」
声に、椿が振り向く。しかし彼の視点は、穂希から大きく逸れてしまっていた。
その時初めて、自身の表情の変化を感じ取った。けれど、そんなあからさまな変化でさえ、椿には見えていないのだ。
突如頭が真っ白になり、穂希はずっと会いたいと願っていた椿の前で立ち尽くした。
最後に会った日と変わらない端整な顔立ちと、健康的で白い肌に不似合いな傷が、やけに目立っている。
「穂希君、ごめんね」
不意に、椿が言う。今にも消え入りそうな声だった。
「また会いにいけなくて、ごめん。せっかく来てくれてたのに面会も断ってばかりで……」
「ううん、気にしないで」
何か言わなければ、と唇を開くも、言葉が出てこない。閉口していると、椿が白い壁の方を向いたまま問い掛けた。
「最近どう?」
「前と変わらないよ。学校で……寝てる。あとは……」
本当は、学校に行ってなんかいない。
食事も疎かで、葉月が来ても居留守を使っていて、此処に来る以外は大体眠って過ごしている。
穂希は自身の生活を振り返りながら、椿を心配させないための嘘の続きを、必死に考えた。
「もう勉強、教えてあげられないね」
またもや、椿が先に口を開く。伏せた瞼が物語っている彼の悲哀に、黙り込んでしまう。
「学校にも行けないかも」
優しい声とは裏腹に、椿の顔には嘲笑的な笑みが浮かんでいた。
味わった事が無いほどの深い沈黙が、病室と言う空間を牢獄に変える。
だが、この現実から逃げ出したいのは、きっと椿も同じだ。
「椿、無理しないで」
一歩も動かずに声にすると、椿の瞳が揺らいだ。
「穂希君、これから僕はどうしたらいいんだろう」
いとも簡単に崩れる表情から、今の椿が極限状態である事が分かる。
「本も字も読めないし、目の前にいるのが誰かも分からない。立つことすら怖くて、情けないよ」
ボロボロと零れる弱音は、事故に遭ってからの長い時間の中で、椿が我慢していた証とも言えるだろう。
他人に負の側面を見せたがらない彼が、唯一感情を曝け出す事が出来る相手、――――それが自分である事を再認識した穂希は、そっと手を伸ばした。
「……椿、触っていい?」
椿が俯いていた顔を上げる。やはり視線は何も無い場所に据えられており、目が合わさる事は無かった。
慎重に肩に触れると、びくりと僅かな振動が伝わる。息を呑み、そのまま肩を包み込むと、ゆっくりと手を滑らせ、抱き締めた。
「椿、俺の前では本当の椿でいて」
椿が項垂れるように顔を埋める。熱い雫が、忽ち肩を濡らすのが分かった。
「怖い、怖いよ」
泣きながら縋る様は、まるで子供みたいだ。
本当は駄目なのに、彼の弱い姿を見て、嬉しいと思ってしまう自分がいる。
けれど、罪悪感と優越感が入り混じった今の可笑しな表情も、椿には見えていない。それで安堵する自分は、どう足掻いてもまともな人間にはなれないだろう。
「それでいいよ」
囁くほどの声は、椿の耳に届いていないようだった。
自身の中の“大切な何か”が壊れてゆくのを感じながら、穂希は艶のある彼の黒髪を、何度も撫でた。
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