蒼い春も、その先も、

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余花と春霖

19-3

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 長椅子に座るなり、彼は開口一番に椿の容態について話し始めた。
 聞きたい気持ちは山々だったのだが、口にしていいものか迷っていた為、その察しの良さに驚く。
 穂希は一礼して、静かに耳を傾けた。

 椿が事故に遭ったのは、金曜日の夕方――――やはり、穂希の家から自宅へと帰る道中での事だった。

 命に別状は無いようだが、右目を失明、左目は失明には至らなかったものの視力が大幅に下がり、今は明暗を見分けることしか出来なくなってしまったらしい。

 椿の父親の口から語られた残酷な真実に、言葉を失う。
 なんと声を掛けたらいいのか分からない、と言うのも理由の一つだが、それ以上に現実感が無かった。

 上手く返事が出来ず、押し黙る。暫しの沈黙が過ぎった後、再び柔らかい声が鼓膜に届いた。

「私はね、穂希君には感謝しているんだ」

 予想だにしなかった言葉に、思わず顔を上げる。

 椿の父親どころか、椿にさえ感謝されるような事をした覚えは無い。椿が特殊な性嗜好をカミングアウトしているとも、同性の恋人が出来た事を報告しているとも思えない。

 ゆえに、また返事に戸惑う。 
 そんな穂希に対して、彼が微笑んだ。笑った顔が、何だか椿に似ている。

「椿は家で、よく穂希君のことを話していたよ。あの子も勉強で忙しいのに家事を一生懸命やってくれて、私もフルタイムで働いていたから会話は少なかったんだけどね、穂希君のことはわざわざ話しに来るんだ。本当に嬉しそうな顔でね」
「俺の、話ですか?」
「うん。穂希君は頑張り屋で優しい子だって。一緒に居ると楽しいんだって、顔を見るたび話してたよ」

 嬉々として話す姿が目に浮かぶ。恥ずかしいような、嬉しいようなで、やはり上手く返事が出来ない。

「父親の私でも心配になるほど大人びた子だが、穂希君のことを話している時は、妻が生きていた頃の笑顔そのものだったよ」

 思い掛けない流れで、予想が的中する。恐らく、椿の母親は彼が幼い時に、亡くなったのだろう。

 椿のことを知れば知るほど、『何かしてあげたい』と言う気持ちが強くなる。

「椿はどんな感じですか?」
「目覚めてからはずっと塞ぎ込んでる。最低限の返事はしてくれるけど、今日も朝から布団に蹲って出てこなかったよ」
「……ここから話しかけてもいいですか?」
「もちろんだ。……返事はないかもしれないけどね」

 穂希は病室のドアの前に立った。
 部屋の中には誰も居ないんじゃないかと錯覚するほどの静寂に、ノックすら躊躇ってしまう。

「椿、会いたい」

 ――――ただ一言、自然と言葉が零れた。
 返ってくるものは何も無い。それでも、声は届いていると確信する。

「また来る」

 それ以上は、もう何も言わなかった。何も、思い付かなかった。
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