蒼い春も、その先も、

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冷たい春雷

16-5

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 モカが家に戻された為、いよいよ椿と玄関先で二人きりになる。
 異様な空気が漂う中、椿が口火を切った。

「穂希君のお母さんのこと、葉月さんから聞いたんだ」

 彼の口から予想外の台詞が飛び出し、あぁ、と意味を持たない声が漏れる。諸事情を知られたことよりも、葉月と椿がそうした会話をする機会があったことに、穂希は驚いていた。

「一人暮らしになって、穂希君の自傷は少し落ち着いてたって言ってた。……高校二年生になってから、また酷くなったとも……」

 焦燥感が、泉の如く湧き上がる。彼の言いたいことを察知したが故の、焦りだった。

「もしかして椿、それが自分に関係あると思ってるの?」
「思ってるよ。だって、実際そうじゃないか」
「どうしてそんな……」
「会ったばかりの頃に穂希君、言ってたよね? やめようと思ってる……って」

 淡く記憶が蘇り、顔は真っ青になった。まだ何も知らない頃に、自傷行為をやめる努力をしていた事も、椿にそれを告白した事も、全て紛れもない事実だ。

「その時も穂希君の傷は酷かったけど、治り掛けていた傷はたくさんあったし、傷が増える頻度も少なかった。でも今は、会うたびに生傷だらけだ。……穂希君の自傷行為に僕が関わっている事くらい、分かるよ」

 この頃は『傷が無ければ嫌われる』『傷を付ければ椿が喜ぶ』という強迫観念にも似た感情に突き動かされ、傷を刻んでいた。
 今更自身の行為を客観し、何も発言出来なくなってしまう。

「僕たち、会うべきじゃないと思うんだ」 

 椿の双眸が、真っ直ぐに見つめてくる。普段なら容易に喜ぶ事が出来たはずの視線が、今は何だか痛かった。

「自分勝手なのは分かってるけど、……駄目なんだ。このままじゃ穂希君が死んじゃう。それは絶対に嫌なんだよ」

 吐息交じりに訴える声が、鼓膜を擦り抜けた。目を合わせているにもかかわらず、直視していると言う感覚がどこにも無い。

「僕が傍に居たら穂希君は自分を傷付け続けるでしょ? ……そもそも、こんな関係おかしいんだよ。最初からそこに気付くべきだったんだ」

 多分、互いに気付いてはいた。
 だが、これもひとつの“愛情の形”だと受け止めていたから、双方が心の傷を埋め合うことが出来ていたのだ。

 何か、何か言わなければ。

 不器用なりに、言葉を探す。――――椿を繋ぎ止める、言葉を。

 違う。そう口にしかけた時、聞いた事の無いほどに沈んだ、鉛色の声が耳に届いた。

「今度は本当に終わりにしよう」

 その語気に、椿が自分だけに見せていた幼さは無かった。

 余所余所しく目を逸らし、彼は体を翻した。麗しい顔を完全に覆い隠してしまった椿が、振り向くことなく呟く。

「今まで付き合せてごめんね」



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