蒼い春も、その先も、

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歪む朧月

8-3

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 夕方必ず家に訪れる椿を、うずうずと待つ。土日以外は自宅で彼と勉強をするのが、最近の日課だ。
 勉強会が恒例となってからは部屋も比較的整っており、穂希の生活は以前よりも確実に水準を上げていた。

 呼び鈴が鳴る。穂希は立ち上がり、玄関まで足を速めた。



「もうすぐ中間試験だね」

 机上に教材を広げながら、椿が言った。

「今回はそれなりに点取れそうな気がする。椿が教えてくれたから」
「僕がやりたいだけだよ」

 彼の表情を見れば、その言葉に嘘偽りがないことは明白だった。だが貰ってばかりいる罪悪感は日増しに募って、消えてはくれない。

「……俺も何かお返ししたい」

 自然と洩らし、瞳は真っ直ぐに椿を見つめる。暫く見合わせていたが、耐えられなくなったのか、椿は目を逸らしてしまった。

「い、一緒にいてくれるだけで充分、……だよ」

 眉目秀麗な顔には恥じらいの色が溢れ、語気には彼の抱える不満足が見え隠れしている。

「ねぇ、それ本当?」
「もちろん」
「……嘘だ」

 図星を指されたと言わんばかりの表情で、椿の瞳だけがこちらを向いた。

「お礼と言っちゃなんだけど、椿の好きなことしていいよ」

 肌の触れ合いに対して何も感じないからこそ、出来る発言なのだと思う。椿が親愛的な行為に至るのは、恐らくそれを理解しているからだ。

「……触りたい」
「うん、こっち来て」

 漸く求めてきた彼を、穂希は袖をたくし上げることで迎え入れた。

 これまでに数え切れないほどの切創が刻まれた左腕に、椿がそっと触れる。微かに恍惚の溜め息を落とし、ゆっくりと距離を詰めた椿はそのまま唇を合わせた。

 口付けはすぐに終わり、躊躇いがちな舌が乾いて切れた唇を僅かになぞる。二度目に落とされたキスは、一度目よりも少し長かった。
 彼のしなやかな指先は、途切れることなく傷を撫でていた。

「……いけないことしてる気分」
「何で? 恋人なのに」
「こういうことするの、初めてだからかな」

 椿が苦笑する。彼の性的嗜好が特殊とは言え、一回くらいは経験があると思い込んでいた。

「もてそうなのに、意外だね」
「僕、誰とも付き合ったこと無いから。……何回か女の子を好きになったことはあるけど、やっぱり途中で冷めちゃって。ダメだって思うのに、傷見て惚れて、治ったら冷めてを繰り返して、ホント嫌になるよ」

 哀調で色付く笑顔に、あることを再認識する。

 ――――椿は、自分自身ではなく“傷のある体”が好きなのだ。
 同時に、穂希は思った。
 傷があるうちはずっと好きでいてくれるはずだ、と。

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