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心は淡雪のように
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佐々木の許可を得て、今日は保健室で自習をすることにした。
本日の課題は現代文だ。ややこしい文法に唸り声が漏れ出すが、気分はどことなく穏やかだった。
ノートを指差しながら教示する椿を、近距離で見つめてみる。まさに、穂希の思い描く“優等生”の顔をしている。
椿と勉強をする度に、彼の簡潔明瞭な言葉選びや、周囲への配慮がまざまざと感じられる声量に、その卓越性を感じるのに、もう完璧だと思えなくなったのは、やはりあの秘密を知ってしまったからだろうか。
奇妙な優越感に浸っていると、保健室のドアがガラリと開いた。
「椿いるー?」
「ちょっと松原さん、ちゃんとノックして」
椿を呼ぶ女生徒の声に、佐々木の忠言が続く。
「千冬だ。ごめん、ちょっと行ってくる」
そう言い残し、椿はカーテンの外側に出て行った。二人の会話に、聞き耳を立てる。
「何?」
「先生が探してたよ」
「分かった、すぐ行く」
直後、再びカーテンが捲られた。
「穂希君、先生が探してたみたいだから行ってくるよ。すぐ戻ってくるから、待ってて」
「あ、うん」
ヒラヒラと手を振ると、椿は微笑んで立ち去った。足音が遠ざかってゆく。
――――かと思いきや、
「朝比奈くん、入っていい?」
千冬と呼ばれていた女生徒の声が、足音と共に近付いてきた。
「どうぞ……」
警戒心を剥きだしに迎え入れると、千冬がひょっこり顔を出す。
「……たしかに、思ってたより普通」
初対面での、お世辞にも礼儀があるとは言えない第一声に、穂希は反応を示す事が出来ない。
「突然ごめんね? 椿が穂希くんのこと話すからさぁ、ちょっと私も話してみたくなっちゃって」
椿が使っていた椅子に腰を下ろし、千冬は興味深そうに穂希を見つめた。
「あ、私松原千冬です。椿のクラスメイト、で幼馴染」
「はぁ……」
「はぁ、って、穂希くんとも同じクラスだよ? だから仲良くしよ」
彼女の笑みには、何となく圧迫感がある。
穂希はそっと袖を引っ張り、傷を覆い隠した。
「椿がさ、穂希くんのこと良い子って言ってたよ」
「そう……」
嬉しさを大幅に上回る緊張が発言を妨げ、会話が続けられない。
そんな穂希を意に介さず、千冬が訊ねる。
「教室来ないの?」
「……雰囲気が苦手で」
「えー、楽しいのにー」
穂希はただ苦笑することしか出来なかった。どうやら彼女とは相性が悪いようだ。
それ以上の反応を求めることなく、千冬は愛らしい笑みを浮かべた。
「気が向いたらおいでよ。椿がまとめてくれてる良いクラスだよ」
張り詰めていた筋肉が、僅かに弛緩する。
椿の名が含まれる言葉には、驚くほどに説得力があるのだ。
教室を覗いてみるのも、良いかもしれない。
そう、思えるほどに。
本日の課題は現代文だ。ややこしい文法に唸り声が漏れ出すが、気分はどことなく穏やかだった。
ノートを指差しながら教示する椿を、近距離で見つめてみる。まさに、穂希の思い描く“優等生”の顔をしている。
椿と勉強をする度に、彼の簡潔明瞭な言葉選びや、周囲への配慮がまざまざと感じられる声量に、その卓越性を感じるのに、もう完璧だと思えなくなったのは、やはりあの秘密を知ってしまったからだろうか。
奇妙な優越感に浸っていると、保健室のドアがガラリと開いた。
「椿いるー?」
「ちょっと松原さん、ちゃんとノックして」
椿を呼ぶ女生徒の声に、佐々木の忠言が続く。
「千冬だ。ごめん、ちょっと行ってくる」
そう言い残し、椿はカーテンの外側に出て行った。二人の会話に、聞き耳を立てる。
「何?」
「先生が探してたよ」
「分かった、すぐ行く」
直後、再びカーテンが捲られた。
「穂希君、先生が探してたみたいだから行ってくるよ。すぐ戻ってくるから、待ってて」
「あ、うん」
ヒラヒラと手を振ると、椿は微笑んで立ち去った。足音が遠ざかってゆく。
――――かと思いきや、
「朝比奈くん、入っていい?」
千冬と呼ばれていた女生徒の声が、足音と共に近付いてきた。
「どうぞ……」
警戒心を剥きだしに迎え入れると、千冬がひょっこり顔を出す。
「……たしかに、思ってたより普通」
初対面での、お世辞にも礼儀があるとは言えない第一声に、穂希は反応を示す事が出来ない。
「突然ごめんね? 椿が穂希くんのこと話すからさぁ、ちょっと私も話してみたくなっちゃって」
椿が使っていた椅子に腰を下ろし、千冬は興味深そうに穂希を見つめた。
「あ、私松原千冬です。椿のクラスメイト、で幼馴染」
「はぁ……」
「はぁ、って、穂希くんとも同じクラスだよ? だから仲良くしよ」
彼女の笑みには、何となく圧迫感がある。
穂希はそっと袖を引っ張り、傷を覆い隠した。
「椿がさ、穂希くんのこと良い子って言ってたよ」
「そう……」
嬉しさを大幅に上回る緊張が発言を妨げ、会話が続けられない。
そんな穂希を意に介さず、千冬が訊ねる。
「教室来ないの?」
「……雰囲気が苦手で」
「えー、楽しいのにー」
穂希はただ苦笑することしか出来なかった。どうやら彼女とは相性が悪いようだ。
それ以上の反応を求めることなく、千冬は愛らしい笑みを浮かべた。
「気が向いたらおいでよ。椿がまとめてくれてる良いクラスだよ」
張り詰めていた筋肉が、僅かに弛緩する。
椿の名が含まれる言葉には、驚くほどに説得力があるのだ。
教室を覗いてみるのも、良いかもしれない。
そう、思えるほどに。
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