14 / 17
六話
6-1
しおりを挟む
深い溜め息を吐く。飲み会が終わる頃には、真っ暗だった空が白んでいた。
しかし、衣知に伝えたよりも大分早く帰ることが出来そうだ。恐らく彼はまだ眠っているだろうが、待っているものが声ではなく寝息だとしても、幸福であることに変わりはなかった。
「ただいま……」
声を潜めつつドアを開け、近所迷惑にならぬよう、足音を殺して部屋まで向かう。
「衣知……」
ゆっくりと開いたドアの隙間から、背中を丸めて座り込む衣知が見えた。
焦燥感に満ちた瞳だけが、こちらを見据えている。
「……何やってんの?」
「これは……」
朝陽は衣知の肩に手をかけ、強引に彼を向き直らせた。
そして唖然とする。
彼のために購入した首輪は無残にも環状が崩れ、首元で不安定に揺れていた。
人為的であることは明らかだ。簡単には千切れないはずの革が、力任せに切り裂かれている。
言葉を失っていると、思い出したように衣知が首を手で覆った。当然、意識はそちらに向いた。
「何隠した?」
僅かな苛立ちで、鼓動が音を変えた。
衣知の前にしゃがみ込む。と同時に、コツンと膝に何かが当たった。
「鋏……? まさか!」
首元を覆っていた彼のか細い手首を掴むと、指先と、そして隠されていた部分に血液が付着していた。まだ新しい血だった。
如何やら逆光で、気が付かなかったらしい。
「……違うんだ、これは……その……」
言い訳が見つからないのか、衣知が目を泳がせる。
瞳が濡れて、揺らいでいた。
「泣かなくていいよ衣知、昨日は薬飲んでないもんな。だから眠れなかったんだろ? ほんとにお前は、いつになったら睡眠薬なしで眠れるようになるんだろうな。いい加減この生活にも慣れてもらわなきゃ俺が悲しいよ」
子供をあやすように、朝陽は穏やかに一笑した。
腰を抜かしている衣知を余所に、救急箱を引っ張り出して、血を拭き取る。刃先で勢い良く引っ掻いたような、線状の傷が浮かび上がった。
「血止まってないじゃん。ガーゼしとこうか」
普段よりも早い呼吸音が聞こえてくる。まるで痙攣しているように震える衣知の体が、随分と冷え切っていた。
「……何しようとしてたのかは分からないけど、鋏を手の届くところに置いておいた俺が悪いんだ。衣知は気にしなくていい」
「あ、あさ……」
「まだ泣いてるのか? 大丈夫、許してやる」
衣知は今、俺にこの上なく感謝している事だろう。きっとそのお礼に尤も適した言葉を探しているのだ。
相思相愛もここまでくると恐ろしくなる。
だが何故か、何時ものように諦めがつかなかった。
強がり、照れ隠し、躊躇い。
今回の行動はそのどれにも該当しない気がした。
――――体の中、何かが煮え滾っている。
今はただ、笑顔と理性を保つ事だけに意識を集中させた。
しかし、衣知に伝えたよりも大分早く帰ることが出来そうだ。恐らく彼はまだ眠っているだろうが、待っているものが声ではなく寝息だとしても、幸福であることに変わりはなかった。
「ただいま……」
声を潜めつつドアを開け、近所迷惑にならぬよう、足音を殺して部屋まで向かう。
「衣知……」
ゆっくりと開いたドアの隙間から、背中を丸めて座り込む衣知が見えた。
焦燥感に満ちた瞳だけが、こちらを見据えている。
「……何やってんの?」
「これは……」
朝陽は衣知の肩に手をかけ、強引に彼を向き直らせた。
そして唖然とする。
彼のために購入した首輪は無残にも環状が崩れ、首元で不安定に揺れていた。
人為的であることは明らかだ。簡単には千切れないはずの革が、力任せに切り裂かれている。
言葉を失っていると、思い出したように衣知が首を手で覆った。当然、意識はそちらに向いた。
「何隠した?」
僅かな苛立ちで、鼓動が音を変えた。
衣知の前にしゃがみ込む。と同時に、コツンと膝に何かが当たった。
「鋏……? まさか!」
首元を覆っていた彼のか細い手首を掴むと、指先と、そして隠されていた部分に血液が付着していた。まだ新しい血だった。
如何やら逆光で、気が付かなかったらしい。
「……違うんだ、これは……その……」
言い訳が見つからないのか、衣知が目を泳がせる。
瞳が濡れて、揺らいでいた。
「泣かなくていいよ衣知、昨日は薬飲んでないもんな。だから眠れなかったんだろ? ほんとにお前は、いつになったら睡眠薬なしで眠れるようになるんだろうな。いい加減この生活にも慣れてもらわなきゃ俺が悲しいよ」
子供をあやすように、朝陽は穏やかに一笑した。
腰を抜かしている衣知を余所に、救急箱を引っ張り出して、血を拭き取る。刃先で勢い良く引っ掻いたような、線状の傷が浮かび上がった。
「血止まってないじゃん。ガーゼしとこうか」
普段よりも早い呼吸音が聞こえてくる。まるで痙攣しているように震える衣知の体が、随分と冷え切っていた。
「……何しようとしてたのかは分からないけど、鋏を手の届くところに置いておいた俺が悪いんだ。衣知は気にしなくていい」
「あ、あさ……」
「まだ泣いてるのか? 大丈夫、許してやる」
衣知は今、俺にこの上なく感謝している事だろう。きっとそのお礼に尤も適した言葉を探しているのだ。
相思相愛もここまでくると恐ろしくなる。
だが何故か、何時ものように諦めがつかなかった。
強がり、照れ隠し、躊躇い。
今回の行動はそのどれにも該当しない気がした。
――――体の中、何かが煮え滾っている。
今はただ、笑顔と理性を保つ事だけに意識を集中させた。
15
お気に入りに追加
14
あなたにおすすめの小説

目標、それは
mahiro
BL
画面には、大好きな彼が今日も輝いている。それだけで幸せな気分になれるものだ。
今日も今日とて彼が歌っている曲を聴きながら大学に向かえば、友人から彼のライブがあるから一緒に行かないかと誘われ……?
【完結】はじめてできた友だちは、好きな人でした
月音真琴
BL
完結しました。ピュアな高校の同級生同士。友達以上恋人未満な関係。
人付き合いが苦手な仲谷皇祐(なかたにこうすけ)は、誰かといるよりも一人でいる方が楽だった。
高校に入学後もそれは同じだったが、購買部の限定パンを巡ってクラスメートの一人小此木敦貴(おこのぎあつき)に懐かれてしまう。
一人でいたいのに、強引に誘われて敦貴と共に過ごすようになっていく。
はじめての友だちと過ごす日々は楽しいもので、だけどつまらない自分が敦貴を独占していることに申し訳なくて。それでも敦貴は友だちとして一緒にいてくれることを選んでくれた。
次第に皇祐は嬉しい気持ちとは別に違う感情が生まれていき…。
――僕は、敦貴が好きなんだ。
自分の気持ちに気づいた皇祐が選んだ道とは。
エブリスタ様にも掲載しています(完結済)
エブリスタ様にてトレンドランキング BLジャンル・日間90位
◆「第12回BL小説大賞」に参加しています。
応援していただけたら嬉しいです。よろしくお願いします。
ピュアな二人が大人になってからのお話も連載はじめました。よかったらこちらもどうぞ。
『迷いと絆~友情か恋愛か、親友との揺れる恋物語~』
https://www.alphapolis.co.jp/novel/416124410/923802748

僕たち、結婚することになりました
リリーブルー
BL
俺は、なぜか知らないが、会社の後輩(♂)と結婚することになった!
後輩はモテモテな25歳。
俺は37歳。
笑えるBL。ラブコメディ💛
fujossyの結婚テーマコンテスト応募作です。

そんなの真実じゃない
イヌノカニ
BL
引きこもって四年、生きていてもしょうがないと感じた主人公は身の周りの整理し始める。自分の部屋に溢れる幼馴染との思い出を見て、どんなパソコンやスマホよりも自分の事を知っているのは幼馴染だと気付く。どうにかして彼から自分に関する記憶を消したいと思った主人公は偶然見た広告の人を意のままに操れるというお香を手に幼馴染に会いに行くが———?
彼は本当に俺の知っている彼なのだろうか。
==============
人の証言と記憶の曖昧さをテーマに書いたので、ハッキリとせずに終わります。

フローブルー
とぎクロム
BL
——好きだなんて、一生、言えないままだと思ってたから…。
高二の夏。ある出来事をきっかけに、フェロモン発達障害と診断された雨笠 紺(あまがさ こん)は、自分には一生、パートナーも、子供も望めないのだと絶望するも、その後も前向きであろうと、日々を重ね、無事大学を出て、就職を果たす。ところが、そんな新社会人になった紺の前に、高校の同級生、日浦 竜慈(ひうら りゅうじ)が現れ、紺に自分の息子、青磁(せいじ)を預け(押し付け)ていく。——これは、始まり。ひとりと、ひとりの人間が、ゆっくりと、激しく、家族になっていくための…。

組長と俺の話
性癖詰め込みおばけ
BL
その名の通り、組長と主人公の話
え、主人公のキャラ変が激しい?誤字がある?
( ᵒ̴̶̷᷄꒳ᵒ̴̶̷᷅ )それはホントにごめんなさい
1日1話かけたらいいな〜(他人事)
面白かったら、是非コメントをお願いします!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる