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引導 下

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 埃が舞い散る事務所の入り口から、壊れかけの椅子が飛び出した。  

「だと思ったよ!」

 地面にぶつかって砕け散った残骸を避けて、積まれた資材の後ろに隠れる。

「ったくよぉ。コートが汚れちまったろうが、この野郎」

 着古されたボロボロのコートにかかったホコリを払いながら、入り口からトレントがゆっくりと出て来る。
 
「考えたみてぇだが、残念だったな。これが血族の力ってやつだ、舐めんじゃねぇ。
 こんなもん、擦り傷にもなんねぇよ!」

 散らばる雑貨の残骸を拾って、力の限り手当たり次第に投げつけ始める。
 特に狙いなどつけていない面での攻撃は脅威だが、これは相手側が自身の位置を知っていない事を意味する。
 力に絶望的なまでの差はあれど、その一点においてオミッドは優位に立つ事が出来た。
 
「大方カーティが帰ってくるまでの時間を稼ぐって考えなんだろうが、無駄だぜ。
 お前らとここに着いた後、温存しといた戦力を回せるだけ周辺に回しといた。
 如何にアイツがバカ強かろうが、数の暴力相手にゃ突破は至難の業だ。仮に出来たとして、後に控えるダンナにゃ勝てん。もしかしたら、ロッドにやられてくたばってるかもな。
 となれば、お前の辿る道は死だけだ。
 なあ、分かるだろ? 
 この環境が出来上がった時点で、お前はもう詰んでんだよ!」

 オミッドは遮蔽物を利用して、慎重にトレントに近付く。
 この奇襲が失敗すれば、確かに待つのは死だろう。
 だが。
 逆に言えば、まだ勝敗はついていない。それに、カーティの強さを自分はよく知っている。

 自分の希望は、まだ潰えてはいない。
 力の差はあれど、その思いが、オミッドの戦意を支えた。
 
「……最終勧告だ。本当に、俺につく気は無いんだな? 今来ればお前も超常の力、振るえるんだぜ?」

 馬鹿正直に答える訳もなく、静寂を返事にする。 

「そうか。残念だ」
「ああ、俺も残念だよ!」

 奇襲を仕掛けるのに十分な距離まで忍び寄ったオミッドは、トレント目掛けて駆け出した。
 
「ハッ、死にに来たか。近接戦でお前が俺に勝てるかよ!」

 トレントはすぐさま臨戦態勢をとって、スタートを切る。
 それを迎え撃つようにオミッドは銃を取り出し、構えた。

「またそれか? 次は当たってやらんぞ!」

 先程の経験からトレントは、血族の身体能力なら拳銃程度なら避けられる、という確信があった。
 対しオミッドはそれを知らず、未だに拳銃が有効打だと考えている。
 だから、ヘタクソを補う為、次を確実に当てにくる為にここまで接近してきたのだ、とトレントは分析した。
 
(さあ撃ってこい。でもって、自分の選択を悔いて死にやがれ! 間抜け野郎!)

 しかし、オミッドはここで銃を捨てるという暴挙に出た。

(なっ!? ……ん? やられた、クソッ!!!)

 予想外の展開に混乱しつつも、捨てられた銃を見てトレントはある事に気付く。
 銃が、先程のものではなかったのだ。
 オミッドはすぐさま両手で杖剣を構え、トレント目掛けて突進。突然の事に対処が出来なかったトレントに、オミッドの渾身の一撃が迫る。

「オオオ!!!」
「クソッ! 間に合わね、ガハッ!」

 トレントの心臓を貫いた杖剣を、思い切り引き抜く。
 刺し傷からは血ではなく煙が立ち、傷を中心に燃え広がってゆく。
 致命傷は与えた。が、この距離ではオミッドも反撃で致命傷は避けられない。
 それもそのはず、オミッドには避ける気が無かった。
 これは文字通り、命を懸けた一撃だからだ。
 
「ぐあっっっ!!! こ、この!」

 しかし、振り上げられた拳は振るわれる事は無く、トレントは力無く崩れた。

「……やっぱいいや。
 あーあ、ま、負けちまった。お、俺に銃の脅威を警戒させて、その実狙ってたのは、剣を用いた必殺の一撃……。
 ダ、ダミーの拳銃で隙を作るたぁ、そんな器用な真似ァ出来たとはな。見直したぞ、お前」
「ハァ……ハァ……な、何かの役に立つかと思って持ち出してた俺の銃が、たまたま役立っただけです。
 そ、それより、何で、俺を殺さないんですか?」
「ぐっ! そりゃお前、俺はもう助からねぇからさ」

 そう言って、トレントは手袋を脱ぎ捨てる。
 手の甲に大きな火傷のような傷が、今も火をつけた紙のようにチリチリと燃え広がっていた。

「あん時の傷だ。見ての通り、カーティにやられた傷は血族の再生能力でも治らない。むしろどーいう訳か、傷が広がってやがる。
 大方、その剣とかもカーティの持ちもんなんだろ?
 じゃあ心臓なんか刺された日にゃ、もう終わりだ」

 はあ、と深い溜息を吐いてトレントは言った。
 既に刺し傷周辺は灰と化しており、身体の灰化が徐々に侵攻していく。

「俺は、死ぬ。お前と戦った事でダンナへの義理も一応通した。
 なら、これ以上業を積む必要も無ぇ。
 殺しは、もう……いい」
「何とも、自分勝手ですね」
「ああ、違ぇねぇや。
 ……最期に振り返ってみりゃ、俺の正義も、俺という人間も、どうしようもなく自分勝手なもんだった」
 
 最後の最後に己を省みながら、クシャクシャになったタバコの箱から一本咥えて取り出し、ライターで火を点ける。

「もしかしたら俺は、血族になったあの日から誰かに……俺の正義を否定して欲しかったのかもなぁ」
 
 深くタバコを吸って、白煙を吐く。
 しかしそう呟くトレントは、身体の殆どが灰と化していながらも悔恨の念は見せなかった。

「でも、後悔はしてないように見えますよ」
「そりゃそうだ。歪んじゃいたが、俺は俺の正義を通した……そこに後悔なんざねぇよ。
 お前だって、ここで死んだとしても俺を倒せりゃ本望って思ったろ?
 でなきゃ、ここまで出来ない。違うか? それと変わんねぇんだよ、分かるだろ?」
「それは……」

 否定しようとしたが、その通りだった。
 刺した後の事など、何も考えていなかった。
 今更ながら、自分が下した判断の異常さに気付く。

「俺が言えたクチじゃねぇが、最後に師らしく忠告だ。
 お前の正義は俺のと同じくらい、狂ってやがる。
 もし、この先もその生が終わらなかったら、その辺は注意するこった。
 ……でなきゃ、お前か周囲の人間、あるいは両方……お前の正義が殺すかもな。
 まあ、何にせよ。気張れよ、こっからだぞ」

 そう言い残し、トレントはとうとう燃え滓となって消えていった。
 
「……」
「気にする必要はありませんよ。所詮、血族に堕ちた人間の戯言です」

 振り返ると、既視感のある修道着に身を包んだカーティの姿があった。
 何食わぬ顔で立つ彼女だが、土埃で汚れた衣服から、激しい戦闘を繰り広げてきた事が想像出来た。
 
「カーティ!? 無事だったのか!?」
「はい。ちょっとした幸運のおかげで、何とか一点突破出来ました」
「そうか、良かった! ……で、どこから見てた?」
「最後の方だけです。
 それより驚きましたよ。まさか成りたてとはいえ、子爵級を倒しちゃうなんて。
 先輩、刑事辞めて私のツテで一緒に執行官やりません? 素質ありますよ!」
「ハハハ。
 もう、こんな命の張り合いはしたくないよ。それにどうしようもなかったとはいえ、人の形をしたものを傷つけるのは、何か嫌なんだ」
 
 予想通りの回答が返ってきたのに満足して、カーティは優しく微笑む。

「……狩りを経験しても、貴方は貴方のままですね。何だか安心しました。
 では、一度退却しましょう。
 ここまで派手に暴れてしまっては、こちらが危険です。幸い大分時間に余裕はありますから、態勢を整えて……」
「煩いな」

 突然世界は赤く染まり、恐ろしく冷たい声が周囲に響く。
 反射的に声のする方に目を向けると、先程開かなかった搬入口が開いており、砕けた錠と鎖が散らばっていた。
 そして目に留まったのはその前に立つ、時代錯誤なアルストル風のジュストコートを着た壮年の男だった。

「今宵の蝿は活きが良い。どうやら随分と我が配下どもを可愛がってくれたようだ。
 さて、これでもう逃げられない訳だが。この責、どうしてくれようか?
 なあ、矮小な教会の蝿よ?」

 男は不気味な笑みを浮かべているが、纏う雰囲気が彼の怒気を露わにしている。

「なっ、デーヴ・スティルマン!? まさか、奴の棺の在処は……ここ!?」
「ア、アイツが!? どうする、カーティ!? まだティアは……!」
「無論迎撃します。ですが、想定していたより階梯が高いです! この気迫、伯爵カウント……いえ、侯爵マーキスに匹敵します!」
「それってどれくらいだ!?」
「上から二番目、血族の上位者へ至るまであと一歩といった状態です!
 つまり、今までと比較にならないくらいヤバいので、隠れていて下さい!」

 早口でそれだけ伝えて、カーティは聖輪を構えてデーヴに向かって駆け出した。

「聖輪隊執行官、カーティ・マスタンドミア! 
 主と聖輪の祝福を以って、対象を轢き殺しますッ!」
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