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12.荊
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タリスマンの完成までしばらくミアンサルアに滞在し、ラジレたちはいよいよ魔族の領域に足を踏み入れていた。
ここから先、人の住む町はなく、魔族が魔族の秩序で生きている世界だ。
「もっと怖い感じのとこかと思ってたけど、あんまり変わらないね」
「植生は変わっていくだろうが……まあ、地続きだからな」
戦いながら会話するようになってきて、アキラもずいぶん慣れてきた。慣れすぎて油断するようなら問題だが、緊張しすぎるのもよくはないので、適度に力が抜けていていい、と考えてもいいだろう。
ラジレもヴィセオも、魔族の領域に入るのは初めてだが、残されていた過去の記録などのおかげで、一応知識はある。ただ、その知識がどこまで通用するかもわからないので、今までより慎重に進まなければならない。
「……すみません、少し、休んでもいいですか」
しかしあまりゆっくり進みすぎても、魔族と遭遇する確率が上がってしまう。できるだけ迅速に魔王城に向かって、魔王を討伐すべきだ。
「うん、ちょっと休もっか」
アキラの声を聞いたか聞かないか、その場で立ち止まったラジレをひょいとヴィセオが抱き上げてくる。
「……事前に声をかけていただけませんか」
「顔色が悪すぎる」
木陰に運ばれて下ろされ、ラジレはぎゅっと身を縮めた。
魔族の領域に入ってから、ラジレはひどく体調が悪かった。熱があるわけではないし、吐き気があるということもなく、頭痛もない。
ただ、体がだるく、気分が悪い。不快なものがずっとまとわりついているようで、歩みも遅くなっていた。
「何だろう、風邪じゃないんだよね?」
「……風邪なら、聖法で治せるんですが……」
怪我も、病も、疲れさえ、聖法で回復させれば治ってしまう。
そのはずなのだが、回復をかけた直後はいつも通りに戻っても、しばらくするとまた調子が悪くなるのだ。何か別の原因があるとしか思えないが、アキラとヴィセオには、そんな様子はない。
「ラジレだけ、違うこと……神官、くらいしか思いつかないけど……」
「俺とアキラも、騎士と勇者で違うだろう」
「そうだよね……」
食事が喉を通らない、というほどではないが、食べる量は少なくなっているかもしれない。あまり気は進まないが、ヴィセオに渡された干し果物をかじって、水を飲む。一つか二つ食べただけで、これ以上何も食べたくなくなってしまう。
「……申し訳ありません、お待たせしました。行きましょう」
長杖を支えに立ち上がり、ラジレはローブを軽く払った。気分の悪さは変わらないが、しばらく休んだところで治るものとも思えない。
「大丈夫?」
「同じ不調が続くなら、先に進んだほうがいいでしょう」
ヴィセオに物言いたげな視線を向けられたが、ラジレは黙殺した。アキラも少し躊躇っていたが、ラジレの背中をそっと撫でた後、歩き出す。
魔族の領域に入った後、体調を崩した、という記録を読んだ覚えはない。ただ、実際には体調が悪くなったとしても、格好がつかないので記録に残さなかったという、誰かのプライドのために書かれなかった可能性はある。魔族の領域まで入って、無事に出てきて記録まで残している酔狂は、滅多にいないのだ。
何か糸口を見つけなければ、このままアキラたちのお荷物になってしまう。
「人間がいるって言われたから来てみれば……」
ぞわりと、肌が粟立った。
「ラジレ!」
ぐっと腕を引かれて、ラジレはヴィセオに抱え込まれた。すぐ傍でアキラが剣を構えて、何かを睨みつけている。
視線を辿れば、人型の魔族が宙に浮かび、こちらを見下ろしていた。全く気配など感じなかったが、いつのまにか後ろに現れていたようだ。
「ぼうや、いい男、ヒュリネの手先」
ミルクのようにしっとりと滑らかな肌に、射干玉の黒髪が遊んでいる。何かをねだるような半開きの口の間からちろりと舌が覗き、赤い唇を舐めた。その唇が蠱惑的な笑みを形作り、アキラ、ヴィセオ、ラジレを順に見据えて、背にある蝙蝠のような羽が大きく広げられる。
「いい男だけ、持って帰ろうかしら?」
「女神ヒュリネよ、我らに守りを与えたまえ……!」
とっさに聖法を唱えた瞬間、結界に激しい風が叩きつけられる。詠唱はなかったが、目の前の魔族の魔法だろう。
「そうね、ヒュリネの手先は特に邪魔ね」
人型の魔族は、魔人と呼ぶ。
魔人の記載は過去の記録にあったが、とにかく強いということくらいしか、よくわからなかった。
強力な魔法を使い、人と同じようにものを考え、人の言葉を話す。
「でも、魔王様の領域でそこまでヒュリネの業を使えるんだったら、強い子なのかしら」
魔人の言葉に意識を割きつつ、ラジレは次の聖法を唱えた。アキラに、攻撃力を上げる聖法。ヴィセオに、防御力を上げる聖法。
先ほどの魔人の言葉からすると、魔王の領域で女神ヒュリネの業、つまり聖法は、威力が落ちるということだろうか。
浮いている魔人に風の魔法を唱えて、アキラが引きずり下ろそうと試みている。
「いい風ね、ぼうや」
妖艶に笑うと、魔人はアキラの前についと降りてきて、頬に手を添え、口づけた。
「わーっ!?」
アキラが飛び退いて、袖でごしごしと口元を擦っている。
「あは、かわいい」
魔人が楽しそうに笑って、ヴィセオに視線を移す。ヴィセオはラジレを背中に庇って、じっと構えて動かない。
「いい男は私のお土産、ヒュリネの手先は魔王様に差し上げたら喜ばれるかしらね? それとも、殺しちゃったほうがいいかしら」
悩んでいるというより、こちらで遊んでいるのだろう。どこからか取り出された巨大な鎌でヴィセオと斬り結び始めたが、力で押し負けるような様子はない。
むしろ、ヴィセオが苦しげな表情だ。
「女神ヒュリネよ、彼の者に不浄なるもの払う力を与えたまえ!」
ヴィセオの攻撃力を上げ、ラジレは眩暈を感じて長杖をついた。聖法を使う度に、具合が悪くなっていく。けれど、魔人から目を離すわけにはいかない。
アキラが戦闘に加わり、しかし二人を相手にしながら、魔人は窮する様子もなかった。
楽々と、二人分の剣を捌いている。
どうすれば、二人を上回らせることができるか。
「女神ヒュリネよ、彼の地に守りを与えたまえ!」
「ッ!」
初めて魔人の表情が歪んだ。羽の動きを阻害されると、魔人の体捌きにも支障が出るらしい。
眩暈と頭痛を無視しながら、ラジレが結界で魔人の動きを邪魔して、アキラとヴィセオの攻撃がようやく魔人に届き始める。
ただ、長くは続けられそうにない。
視界が揺らいでふらつき、ラジレは勢いよく長杖を地面に突き立てた。
「ラジレ!」
顔を上げると、鎌を振りかぶった魔人がいた。
聖法は間に合わない。
今の状態では、避けることもできない。
魔人をただ見つめていることしかできなかったラジレの前に、誰かが割り込んでくる。
金臭いにおいと、耳障りな金属音。
「ヴィセオ!」
膝をついたヴィセオの前に、さらにアキラが割って入り、魔人と剣をぶつけ合う。
「……ラジレ、無事か」
振り返ったヴィセオの顔を見て、ラジレは目を瞠った。
左目の上に、縦にまっすぐ傷が走っている。
「……吹けよ暴風、集え雷雲」
無意識のうちに口から零れ出したのは、ラジレが使える中で一番威力が高いはずの魔法だ。
「……ラジレ……?」
「我望むは輝く槍、敵打ち砕く黄金の穂先!」
神官は常に冷静で、人と穏やかに接することが良しとされる。怒りや悲しみに心を囚われ、まして激昂して魔法を使い、誰かを傷つけるなど恥ずべき行いだ。
それでも、今のラジレには、感情を制御することが難しい。
「雷鳴轟け我が敵屠れ、トニトゥルスランケア!」
ラジレの詠唱に合わせて集まっていた黒雲から、一直線に光が落ちてくる。飛び退いたアキラの前で稲妻が魔人を貫き、轟音が鳴り響いて魔人の悲鳴をかき消した。
稲光の消えた後には、少し焼け焦げたような跡が残っているだけだ。
途端に右腕に激痛が走り、ラジレは長杖を取り落とした。
「ラジレ、今の……っあ、ヴィセオ!」
振り返ったアキラが声をかけてきたものの、慌てた様子でヴィセオに駆け寄っている。ラジレも長杖を左手で拾い直し、魔人のいた場所をじっと見つめているヴィセオに近づいた。
「ヴィセオ、目!」
「……女神ヒュリネよ、彼の者に癒やしの慈悲を与えたまえ」
痛い。
ぐっと唇を噛みしめ、ラジレはヴィセオに回復をかけた。激痛はあの一瞬だけかと思っていたが、聖法を使う時にも痛みが走るらしい。
後は、右腕が常に鈍く痛い。
「治った! あれでも、ラジレ、敵攻撃したら聖法使えなくなっちゃうんだよね? 使えたの?」
「……回復量は下がっているようですが、一応……申し訳ありません、冷静さを欠いておりました」
神官が攻撃行動を取ると、聖法を失うと言われている。
だが本当は、女神ヒュリネの怒りを受けて、激痛が走るのだと神殿の記録には残されている。調和と癒やしの女神の怒りを買った者には、体に荊の模様が走るらしい。
鈍く痛むラジレの右腕にも、おそらく荊の模様が浮かんでいるのだろう。
聖法の威力が下がっているのは、痛みで聖法に集中しきれないせいだ。
「……ラジレ」
ヴィセオの左目の傷は、無事治療できたようだ。うっすらと傷跡が残ってしまっているのは、ラジレが怒りの感情を優先してしまったせいだろう。
大きな怪我は、迅速に治さなければ痕が残ったり、後遺症が残ったりする。ラジレの腕にもホシコズクの攻撃を受けた痕が残ってしまっているが、アキラが回復薬をかけてくれたおかげで、その他は何の支障もない。
「……左目は見えていますか、ヴィセオ殿」
ヴィセオが右目を手で覆って、ぱちぱちと瞬きをしてみせる。
「問題ない」
「……申し訳ありません、治療が遅れました」
「……いや」
言葉を探すように、口をわずかに開いて、視線を逸らし、口をぐっと引き結ぶヴィセオには、ラジレに何か起きたと、気づかれたかもしれない。
ラジレに視線を戻したヴィセオから、ラジレのほうが顔を逸らす。
「……アキラ様、進みましょう。あまりゆっくり進んでいると、また魔人が出るかもしれません」
「そう、だけど……ラジレ、大丈夫?」
「はい」
おそらく、女神ヒュリネの加護が薄れた分、あのだるさや不快感も薄れている。魔王の支配が色濃い地域では、女神の力が弱まるのかもしれない。
力の入れにくい右腕を庇い、左手で長杖を握りしめ、ラジレはアキラに頷いてみせた。
ここから先、人の住む町はなく、魔族が魔族の秩序で生きている世界だ。
「もっと怖い感じのとこかと思ってたけど、あんまり変わらないね」
「植生は変わっていくだろうが……まあ、地続きだからな」
戦いながら会話するようになってきて、アキラもずいぶん慣れてきた。慣れすぎて油断するようなら問題だが、緊張しすぎるのもよくはないので、適度に力が抜けていていい、と考えてもいいだろう。
ラジレもヴィセオも、魔族の領域に入るのは初めてだが、残されていた過去の記録などのおかげで、一応知識はある。ただ、その知識がどこまで通用するかもわからないので、今までより慎重に進まなければならない。
「……すみません、少し、休んでもいいですか」
しかしあまりゆっくり進みすぎても、魔族と遭遇する確率が上がってしまう。できるだけ迅速に魔王城に向かって、魔王を討伐すべきだ。
「うん、ちょっと休もっか」
アキラの声を聞いたか聞かないか、その場で立ち止まったラジレをひょいとヴィセオが抱き上げてくる。
「……事前に声をかけていただけませんか」
「顔色が悪すぎる」
木陰に運ばれて下ろされ、ラジレはぎゅっと身を縮めた。
魔族の領域に入ってから、ラジレはひどく体調が悪かった。熱があるわけではないし、吐き気があるということもなく、頭痛もない。
ただ、体がだるく、気分が悪い。不快なものがずっとまとわりついているようで、歩みも遅くなっていた。
「何だろう、風邪じゃないんだよね?」
「……風邪なら、聖法で治せるんですが……」
怪我も、病も、疲れさえ、聖法で回復させれば治ってしまう。
そのはずなのだが、回復をかけた直後はいつも通りに戻っても、しばらくするとまた調子が悪くなるのだ。何か別の原因があるとしか思えないが、アキラとヴィセオには、そんな様子はない。
「ラジレだけ、違うこと……神官、くらいしか思いつかないけど……」
「俺とアキラも、騎士と勇者で違うだろう」
「そうだよね……」
食事が喉を通らない、というほどではないが、食べる量は少なくなっているかもしれない。あまり気は進まないが、ヴィセオに渡された干し果物をかじって、水を飲む。一つか二つ食べただけで、これ以上何も食べたくなくなってしまう。
「……申し訳ありません、お待たせしました。行きましょう」
長杖を支えに立ち上がり、ラジレはローブを軽く払った。気分の悪さは変わらないが、しばらく休んだところで治るものとも思えない。
「大丈夫?」
「同じ不調が続くなら、先に進んだほうがいいでしょう」
ヴィセオに物言いたげな視線を向けられたが、ラジレは黙殺した。アキラも少し躊躇っていたが、ラジレの背中をそっと撫でた後、歩き出す。
魔族の領域に入った後、体調を崩した、という記録を読んだ覚えはない。ただ、実際には体調が悪くなったとしても、格好がつかないので記録に残さなかったという、誰かのプライドのために書かれなかった可能性はある。魔族の領域まで入って、無事に出てきて記録まで残している酔狂は、滅多にいないのだ。
何か糸口を見つけなければ、このままアキラたちのお荷物になってしまう。
「人間がいるって言われたから来てみれば……」
ぞわりと、肌が粟立った。
「ラジレ!」
ぐっと腕を引かれて、ラジレはヴィセオに抱え込まれた。すぐ傍でアキラが剣を構えて、何かを睨みつけている。
視線を辿れば、人型の魔族が宙に浮かび、こちらを見下ろしていた。全く気配など感じなかったが、いつのまにか後ろに現れていたようだ。
「ぼうや、いい男、ヒュリネの手先」
ミルクのようにしっとりと滑らかな肌に、射干玉の黒髪が遊んでいる。何かをねだるような半開きの口の間からちろりと舌が覗き、赤い唇を舐めた。その唇が蠱惑的な笑みを形作り、アキラ、ヴィセオ、ラジレを順に見据えて、背にある蝙蝠のような羽が大きく広げられる。
「いい男だけ、持って帰ろうかしら?」
「女神ヒュリネよ、我らに守りを与えたまえ……!」
とっさに聖法を唱えた瞬間、結界に激しい風が叩きつけられる。詠唱はなかったが、目の前の魔族の魔法だろう。
「そうね、ヒュリネの手先は特に邪魔ね」
人型の魔族は、魔人と呼ぶ。
魔人の記載は過去の記録にあったが、とにかく強いということくらいしか、よくわからなかった。
強力な魔法を使い、人と同じようにものを考え、人の言葉を話す。
「でも、魔王様の領域でそこまでヒュリネの業を使えるんだったら、強い子なのかしら」
魔人の言葉に意識を割きつつ、ラジレは次の聖法を唱えた。アキラに、攻撃力を上げる聖法。ヴィセオに、防御力を上げる聖法。
先ほどの魔人の言葉からすると、魔王の領域で女神ヒュリネの業、つまり聖法は、威力が落ちるということだろうか。
浮いている魔人に風の魔法を唱えて、アキラが引きずり下ろそうと試みている。
「いい風ね、ぼうや」
妖艶に笑うと、魔人はアキラの前についと降りてきて、頬に手を添え、口づけた。
「わーっ!?」
アキラが飛び退いて、袖でごしごしと口元を擦っている。
「あは、かわいい」
魔人が楽しそうに笑って、ヴィセオに視線を移す。ヴィセオはラジレを背中に庇って、じっと構えて動かない。
「いい男は私のお土産、ヒュリネの手先は魔王様に差し上げたら喜ばれるかしらね? それとも、殺しちゃったほうがいいかしら」
悩んでいるというより、こちらで遊んでいるのだろう。どこからか取り出された巨大な鎌でヴィセオと斬り結び始めたが、力で押し負けるような様子はない。
むしろ、ヴィセオが苦しげな表情だ。
「女神ヒュリネよ、彼の者に不浄なるもの払う力を与えたまえ!」
ヴィセオの攻撃力を上げ、ラジレは眩暈を感じて長杖をついた。聖法を使う度に、具合が悪くなっていく。けれど、魔人から目を離すわけにはいかない。
アキラが戦闘に加わり、しかし二人を相手にしながら、魔人は窮する様子もなかった。
楽々と、二人分の剣を捌いている。
どうすれば、二人を上回らせることができるか。
「女神ヒュリネよ、彼の地に守りを与えたまえ!」
「ッ!」
初めて魔人の表情が歪んだ。羽の動きを阻害されると、魔人の体捌きにも支障が出るらしい。
眩暈と頭痛を無視しながら、ラジレが結界で魔人の動きを邪魔して、アキラとヴィセオの攻撃がようやく魔人に届き始める。
ただ、長くは続けられそうにない。
視界が揺らいでふらつき、ラジレは勢いよく長杖を地面に突き立てた。
「ラジレ!」
顔を上げると、鎌を振りかぶった魔人がいた。
聖法は間に合わない。
今の状態では、避けることもできない。
魔人をただ見つめていることしかできなかったラジレの前に、誰かが割り込んでくる。
金臭いにおいと、耳障りな金属音。
「ヴィセオ!」
膝をついたヴィセオの前に、さらにアキラが割って入り、魔人と剣をぶつけ合う。
「……ラジレ、無事か」
振り返ったヴィセオの顔を見て、ラジレは目を瞠った。
左目の上に、縦にまっすぐ傷が走っている。
「……吹けよ暴風、集え雷雲」
無意識のうちに口から零れ出したのは、ラジレが使える中で一番威力が高いはずの魔法だ。
「……ラジレ……?」
「我望むは輝く槍、敵打ち砕く黄金の穂先!」
神官は常に冷静で、人と穏やかに接することが良しとされる。怒りや悲しみに心を囚われ、まして激昂して魔法を使い、誰かを傷つけるなど恥ずべき行いだ。
それでも、今のラジレには、感情を制御することが難しい。
「雷鳴轟け我が敵屠れ、トニトゥルスランケア!」
ラジレの詠唱に合わせて集まっていた黒雲から、一直線に光が落ちてくる。飛び退いたアキラの前で稲妻が魔人を貫き、轟音が鳴り響いて魔人の悲鳴をかき消した。
稲光の消えた後には、少し焼け焦げたような跡が残っているだけだ。
途端に右腕に激痛が走り、ラジレは長杖を取り落とした。
「ラジレ、今の……っあ、ヴィセオ!」
振り返ったアキラが声をかけてきたものの、慌てた様子でヴィセオに駆け寄っている。ラジレも長杖を左手で拾い直し、魔人のいた場所をじっと見つめているヴィセオに近づいた。
「ヴィセオ、目!」
「……女神ヒュリネよ、彼の者に癒やしの慈悲を与えたまえ」
痛い。
ぐっと唇を噛みしめ、ラジレはヴィセオに回復をかけた。激痛はあの一瞬だけかと思っていたが、聖法を使う時にも痛みが走るらしい。
後は、右腕が常に鈍く痛い。
「治った! あれでも、ラジレ、敵攻撃したら聖法使えなくなっちゃうんだよね? 使えたの?」
「……回復量は下がっているようですが、一応……申し訳ありません、冷静さを欠いておりました」
神官が攻撃行動を取ると、聖法を失うと言われている。
だが本当は、女神ヒュリネの怒りを受けて、激痛が走るのだと神殿の記録には残されている。調和と癒やしの女神の怒りを買った者には、体に荊の模様が走るらしい。
鈍く痛むラジレの右腕にも、おそらく荊の模様が浮かんでいるのだろう。
聖法の威力が下がっているのは、痛みで聖法に集中しきれないせいだ。
「……ラジレ」
ヴィセオの左目の傷は、無事治療できたようだ。うっすらと傷跡が残ってしまっているのは、ラジレが怒りの感情を優先してしまったせいだろう。
大きな怪我は、迅速に治さなければ痕が残ったり、後遺症が残ったりする。ラジレの腕にもホシコズクの攻撃を受けた痕が残ってしまっているが、アキラが回復薬をかけてくれたおかげで、その他は何の支障もない。
「……左目は見えていますか、ヴィセオ殿」
ヴィセオが右目を手で覆って、ぱちぱちと瞬きをしてみせる。
「問題ない」
「……申し訳ありません、治療が遅れました」
「……いや」
言葉を探すように、口をわずかに開いて、視線を逸らし、口をぐっと引き結ぶヴィセオには、ラジレに何か起きたと、気づかれたかもしれない。
ラジレに視線を戻したヴィセオから、ラジレのほうが顔を逸らす。
「……アキラ様、進みましょう。あまりゆっくり進んでいると、また魔人が出るかもしれません」
「そう、だけど……ラジレ、大丈夫?」
「はい」
おそらく、女神ヒュリネの加護が薄れた分、あのだるさや不快感も薄れている。魔王の支配が色濃い地域では、女神の力が弱まるのかもしれない。
力の入れにくい右腕を庇い、左手で長杖を握りしめ、ラジレはアキラに頷いてみせた。
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