おだやかDomは一途なSubの腕の中

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後編

37.盗難

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 いけ好かない相手とはいえ、ヴァリエ家の当主であるティノールトの兄にも挨拶したほうがいいのかと思ったが、ティノールトには少し待ってほしいと言われてしまった。相手は貴族だし、それなりに準備や手続きがいるのかもしれない。
 そう思ってレーネのほうは、引き続き魔道具の開発に勤しむ日々だ。少し調べたいことがあって魔術師団の書庫に入らせてもらい、その帰り道である。

「うわ」

 いきなり廊下の横道から飛び出してきた魔術師とぶつかってしまい、レーネは尻もちをついた。

「あっあっあっ、すみません、すみません!」

 しかも慌てたようにくり返し、魔術師はばたばたと走っていってしまった。よほど急いでいたのだろうか。
 やれやれと立ち上がって服の裾を払い、執務室に戻ろうと歩き出したところで、また誰かの走ってくる音がする。ぶつかられてはたまらない。
 あらかじめよけておこうとレーネが廊下の端に寄ると、騎士の集団が近づいてきた。

「レーネさん!」

 いささか聞き覚えのある声に顔を向けると、集団の中にジョアルがいた。Claim相手のリィロンが西方将軍の補佐官になっていることが騎士団でも考慮されていて、ティノールトの執務室のあたりの警備に回されることが多い、とリィロンが言っていた気がする。
 ここはまだ執務室の近く、とは言えないエリアだが、どうかしたのだろうか。

「怪しい人物を見ませんでしたか」
「怪しい人物……?」
「やたらこそこそしてる、とか、急いでる、とか」

 急いでいる、といえば先ほどの魔術師だが。あちらのほうに魔術師が走っていくのを見た、と伝えたところ、騎士たちもばたばた走っていった。
 何か起きたと考えて間違いなさそうだが、何があったのかわからない。軽く顔をしかめると、レーネは執務室へ急いだ。近づくにつれ、騎士や魔術師の人数が増えていく。間を抜けていくと、執務室のドアの前に人だかりができていた。ティノールトたちは無事だろうか。

「通してもらえるかい」
「補佐官殿」

 誰かの声で、レーネの前がぱっと開く。部屋の中まで人垣を通り抜けて、レーネは目を丸くした。室内が荒れている。

「レーネさん!」
「レーネ!」

 リィロンとティノールトが駆け寄ってきたが、クリフは顔の右側を押さえて床に座り込んでいる。駆け寄ってきた二人を見たところ、けがはないようだ。レーネも同じようにけがはないか確認されているようだったが、それは翻って、クリフがけがをしているということだろう。

「なに……どうしたの、何があったの……」
「……侵入者がいたんだ。お前の研究をやられた」

 クリフの声がして、レーネは慌ててそばに座った。こういうとき治してあげられる魔法があればいいのだが、人を癒す魔法というのは残念ながら発見されていない。
 どうしていいかわからず手をさまよわせるレーネに、クリフが困った顔をする。

「すまん、守りきれなかった」
「いい、いいよ、また作ればいいから……君、けが大丈夫なのかい……」
「急所は外れている。落ちつけ」

 三人の話を聞いたところ、レーネが魔術師団の書庫に向かったあと、文官に相談したいことがあって、ティノールトとリィロンも二人で部屋を離れたらしい。クリフが残って仕事をしていたのだが、廊下が騒がしくなって、何事かと席を立った瞬間、壊されたドアが飛んできたそうだ。

「魔術師と、騎士ではないが剣の使える人間だったはずだ。少なくとも……三人はいたと思うが」

 警備の騎士二人も命に別状はなさそうだが、念のためその場からは動かさず、医師を呼んでいるところだという。

「応戦したんだが、お前の魔道具を持っていかれた。すまん」
「ううん、僕こそごめん……こんな強硬手段取る人がいると思ってなくて……」

 まさか王宮内で、誰かを傷つけてまで人の開発成果を盗もうとする人物がいるとは思ってもみなかった。
 将軍執務室に訪れる人は多いし、特定の人ばかりが来るわけではないから、見知らぬ人物を結界で排除することはやめてしまっていたのだ。砦の部屋ならティノールトと自分を許可するだけでよかったが、この部屋の訪問者を制限することは難しい。せめて、レーネの机の周りだけでも守っておけば、いや、それでは部屋に侵入しようとする人物は防げない。
 悩み出した頭にぽんと手を乗せられて、レーネはぱっと顔を上げた。

「お前は成果を盗まれた被害者なんだ。気に病む必要はない」

 クリフなりに励ましてくれているらしい。へにゃ、と情けなく笑ってレーネがお礼を言うと、ドアのあったところが騒がしくなった。医師が到着したようだ。クリフのことと医師への応対をリィロンに頼んで、レーネは荒らされた開発机の確認に移った。

 部品は散らばっているし書きつけも破られたりしているが、魔道具の試作機は二つ残っている。三つ作っていたのだが、そのうちの一つを持っていかれたようだ。破片を踏まないように気をつけながら、転がされている試作機に近づいて手に取る。外側は少し壊れてしまっているが、中は問題ないはずだ。魔物の攻撃でも簡単には壊れないよう、中の機構は堅牢にしてある。

「レーネ」

 ティノールトがそばに来て、気づかわしげに撫でてくれた。ティノールトが触れてくれると、ぴりぴりとささくれ立っていた心が落ちついてくる。小さく息を漏らし、レーネはふわりと浮き上がってティノールトの頬に口づけた。

「ありがとう、ティノールトくん」
「……はい」

 顔が赤い。不思議に思ってから、レーネはばっと室内を振り返った。クリフ、は医師の診察を受けているところ。気づいていない。リィロンも同じ。他の騎士や魔術師、はなんだか不自然にあさっての方向を向いているような気がするが、それは見なかったことにしてくれている、と判断していいのか。
 見られなかった、と結論づけて、レーネは魔道具の点検に取りかかることにした。これ以上考えていると、レーネまで真っ赤にならないといけなくなる。

 飛び散っている破片を魔法で集めてひとまとめにし、使えなくなってしまったものをごみ箱に入れる。尖ってはいるが、人が触れても問題ない素材ばかりだから大丈夫だ。それからまだ使えそうな部品を分類して、レーネの机の上とまとめて整理する。残っている部品だけで、修理はできるだろう。書きつけも破られていくつか持ち去られたかもしれないが、あれだけで正解にたどりつけるとは思えない。

 試作機二つを机に置いて、ひしゃげてしまった外側の覆いを外そうと手をかける。

「……レーネ」
「うん?」

 その手の上に別の手が乗せられて、レーネは顔を上げた。

「まだ人がいる」

 ティノールトに言われて、まだ部屋にティノールトたち以外がいたのを思い出す。内部構造を見せるわけにはいかない。
 魔道具から手を放し、レーネはため息をついた。思ったより、動揺している。いつもだったら、それくらい気づくはずなのに。

 安心したくて、レーネがティノールトに寄り添うように立つと、腰を抱くようにそっと手を添えられた。一度視線を合わせて小さく微笑み合ってから、医師の手当てを受けるクリフを見守る。警備の騎士も、クリフも、けがはしたものの大事には至らなくて済んだようだ。
 クリフの手当てが終わり、医師が出ていくのに合わせて、部屋に集まってきていた騎士や魔術師たちもそれぞれの持ち場に戻っていった。

「申し訳ございません」

 リィロンに付き添われながらクリフが歩いてきて、ティノールトに軽く頭を下げた。顔の右半分が包帯で覆われていて、痛々しい。

「捜査のときは頼むぞ」
「はい」

 将軍の部屋に侵入者があったのだから、必ず解決しなければいけないだろう。
 あの慌てた様子の魔術師も、もし犯人だったら捕らえられるのだろうか。あのときは急いでいると思ったか、よく考えればどこか怯えていたような気もして、悪い人ではなかったのではないだろうかと思うのだ。ものを盗むこと自体は悪いことだから、罰を受ける必要はあるかもしれないが、あまりひどいことが起きないでほしい。

「レーネ」

 思いがけず名前を呼ばれて、レーネは慌ててティノールトを見上げた。

「あなたの申請に不都合は?」
「え、と」

 盗まれた試作機だけで申請することも、実は可能だ。範囲は多少狭いにしろ、単なる結界の魔道具として十分機能する。
 しかし、レーネが作りたかったのは、一つでは範囲が狭くても、組み合わせることで広い範囲に結界を張れる魔道具だ。あの試作機一つでは実現できないし、分解してみても、その仕組みまではわからないと思う。
 ただ、もしあの試作機で申請されてしまったら、レーネが同じ機構を使えなくなってしまう。他の方法で広範囲を保護できる結界が張れるなら、こんなに何年も一つの魔道具にかかりきりになっていない。

「……出されたら困る」
「リィロン、開発中の試作機が盗まれた場合、魔術師団に報告は?」
「してきます!」
「頼む」

 リィロンが珍しく走って、部屋を出ていく。盗まれたときの申請手続きがあったかレーネの記憶にはないが、リィロンが知っているなら、おそらくあるのだろう。

「レーネ、申請できる状態に直すまで、どれくらいかかる?」
「……今日中に、やる」
「……頑張ってくれ。心から応援している」

 額に口づけを落とされて、レーネは気合を入れ直した。椅子に座って二つの試作機の外装を取り外し、中を点検していく。

「クリフ、魔道具の申請の経験は?」
「……調べて参ります」
「頼む。捜査は俺が進めておく」

 ティノールトとクリフが何か話しているような声も聞こえたが、レーネは必要のない音を遮断した。
 今はただ、できる限り早くこの二つを直してしまわなければ。
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