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前編

18.ドラゴン

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 魔物が大量に砦へ向かって雪崩れ込んできたときも、今ほどぴりついた空気ではなかったように思う。ずらりと敷かれた陣は似たようなものなのだが、一つ違うのは、全員何かと交戦することもなくただ居並んでいるだけというところだ。
 自分からは何もできず、じっと待つしかないという状況は案外心に堪える。

「きついねー……」
「そうだね」

 苦笑しながら漏らしたサンサに返し、レーネは久しぶりに握った杖を撫でた。レーネの背丈より少し長い杖にはめられた魔石は、養父がわざわざ選んでくれたとても質のいいものらしい。しかしレーネは普段、魔法を使うときに杖を必要としないから、そこまでしてくれた養父に申し訳ない気持ちが少しある。
 ただ、魔法の威力を増幅させたり精度を高めたりするには、この杖を使うのが一番だ。

「あの……質問いいですか」
「はいフィルくん、どうぞ」

 ティノールトは当然のようにレーネの隣に陣取り、他の新人たちもそれぞれのバディのそばで身構えている。その状況でひたすら待機させられているのが苦痛なのは誰も同じで、口を開いたフィルを止める者はいなかった。

「ドラゴンの幼体って聞きましたけど……幼体でも、やっぱりこれだけ警戒しないといけないんですか、ドラゴンって」

 存在は知られているものの、ドラゴンに遭遇することなど普通はない。おとぎ話で語られるのを耳にするか、嵐のように天災と同列に例えられるか、一般的に知られているのはその程度の知識だ。

「そうだねぇ……幼体でも警戒が必要、も正解なんだけど、それだけじゃないんだよ」

 ただし、魔物からとれる魔石を使うことが多い分、魔物の生態について、魔術師団には騎士団より多くの知識が受け継がれている。

「幼体がいるなら近くに親がいる可能性が高いから、そっちへの備え、かな」
「親……って……」
「ドラゴンは子どもを大事にするからね」

 無論、ドラゴンの幼体自体が危険な魔物で、砦の騎士と魔術師たちが全員で戦えば何とかなるかもしれない、という想定でこの布陣になっている。何人かの魔術師はすでに結界を準備しているし、砦を守るためにそちらに待機している魔術師もいる。
 しかし幼体に手出しをすれば、確実に親のドラゴンが現れてしまう。ドラゴンは魔物には珍しく、子どもへの愛着が強く大人になるまでしっかり守り育てるという種族だ。子どもを傷つけられでもしようものなら、その国ごと滅ぼしかねない。
 だから、下手をすればこの砦どころか、リユネルヴェニアが破滅する。

「な、なら戦っちゃまずいんじゃ……」
「こっちから積極的に攻撃するのはまずいね。でも身は守らないといけないだろう?」

 ドラゴンが火を噴いてくるなら、炎を防がなければいけない。前肢を叩きつけてくるなら、避けるか跳ね返すかしなければいけない。全く無抵抗にやられるわけにもいかないのだから、備えは必要になる。

「でも攻撃したらまずいって、どうやって撃退するんですか……?」

 問題はそこなのだ。ドラゴンの幼体を攻撃せず、親ドラゴンを呼び寄せないようにしながら、砦から離れて魔物の領域に戻らせなければならない。そんなことが可能なのかと聞かれても、誰も答えを持っていない。
 流れた沈黙に質問したフィル本人も察したようで、サンサに向けていた顔をユッダ山脈へと逸らした。
 きゅ、と杖を握り直したレーネの手に、そっと別の手が重なってくる。

「……無茶、しないでくださいね」

 うまく答えられず、レーネはティノールトをただ見上げた。
 新人として砦に赴任してきた子たちは、まだ学校を卒業したばかりで経験も浅い。先日の魔物の大移動で一皮剥けた部分もあるだろうが、攻撃せず防御に徹してひたすら耐え続けるというのは難しいだろう。

 いざとなったら、全員なんとか逃がしてやらなければいけない。

「来たぞ!」

 誰かの声に視線を戻して、レーネは即座に結界を張った。遅れて衝突音が響き、正面に黒煙が上がる。
 間に合った、が、伝わってきた衝撃が重すぎて体が痛い。とっさに杖を地面に突き立ててなんとか凌いだが、情けなく尻もちをついていてもおかしくなかった。

「サンサ、く……魔術師、結界……」
「魔術師は総員結界を張り続けろ!」

 途切れ途切れに絞り出した声をサンサに拾ってもらい、魔術師たちに指示を出す。炎弾自体の速度はそこまでないが、やはり威力が高い。見てから防御するのではなく、きちんと魔力を練り込んだ結界で受けなければ押し負ける。魔力の低い魔術師だったら、結界ごと吹き飛ばされてしまうかもしれない。
 息をついた体を後ろから支えられて、慌てて振り返る。

「……何か、させてください」

 怪我はしていないはずなのに、ずいぶんと辛そうな表情だ。
 思わずティノールトの頬を撫でて、戦場でそんなことをしている場合じゃないと我に返って、わたわたと手を引っ込める。
 何か。何か。何だろう。

「……Hug」

 ぎゅ、とレーネの体に回った腕の力が強くなる。Commandをきちんと覚えていてくれたのが嬉しい。ティノールトが抱きしめてくれると、体の痛みが楽になる気がする。
 しかし、甘えてばかりいないで、やるべきことをやらなければ。

「ごめんね、ありがとう」
「……いえ」

 ティノールトの腕を抜け出して、セシルの姿を探す。ドラゴンの考えがわかるなら、何か対処法が見つかるかもしれない。
 結界を張る一団にいたセシルに駆け寄って、少し袖を引っ張って連れ出す。

「幼体の考えてること、わかりそう……?」

 なるべく声をひそめて、周囲に聞こえないようひそひそ尋ねれば、セシルもぽそぽそと返してくる。

「はっきりとは……敵意は感じない、ですけど」
「そう……」

 敵意がないということは、砦を破壊しようと徹底的に攻撃してくることはないはずだ。ただ、敵意もなく攻撃してくるというのは性質が悪い。戯れでこんな威力のものをぽんぽん打ち込まれても困る。
 しかし近くに親ドラゴンがいるのは確実だから、そちらも含めてどうにかしなければいけない。

「あの、レーネさん……僕、戻っても……」
「あ、ごめん、戻ろう」

 セシル一人で戻れば妙な顔をされるかもしれない。連れ立って魔術師の集団に加わり、思考だけをとにかく回す。

 幼体のほうには手出しできない。何があっても、成体のドラゴンを怒らせるのは得策ではない。親ドラゴンが移動すれば、子どももついていくだろうか。今は子どもを見守っているだろうから、近くにはいるはずだ。
 しかし、ドラゴンを移動させる手段など、ギガント以上に思いつかない。

 また視線を巡らせて今度はオルランドを探し、伝令に走り回る騎士に次々と指示を与えているのを見つけて駆け寄る。

「オルランドくん、マント貸してくれないかい」

 戦闘時に邪魔になるマントをつけているのは、小隊長よりさらに上の位階にあるものだけだ。そうするとレーネが気軽に声をかけられるのは、オルランドくらいしかいない。

「あ?」

 ただ、殺気立っているときのオルランドが怖いのを忘れていた。怯んで思わず固まった背中に、そっと誰かが触れてくる。

「隊長、マントを貸していただけませんか」
「ティノールト? ……おいレーネ、何をする気だ」

 驚いて隣を見上げ、しかしオルランドに尋ねられたので答えなければならず、レーネは二人を交互に見る羽目になった。

「ドラゴン、探してくる」
「……何だと?」

 怒られるようなことを言っただろうか。びくっと肩を跳ねさせてまた硬直しそうになったが、拳を握って自分を叱咤し、オルランドに踏み出す。

「幼体に手を出せないなら、大人のほうをどうにかするしかないだろう」
「どうにかするあてがあるならいいが、お前のそれはそうじゃないだろう!」

 オルランドの剣幕に思わず黙ってしまった。あてがないのは事実だし、それを超えてオルランドを納得させられるような論理は、レーネの口からは出てこない。
 それでも、このまま終わりの見えない防衛戦を続けるより、多少の危険はあっても何かしらの策を見出して抗うほうがいいはずだ。砦全員で耐え忍ぶより、一人を危険にさらしてでも活路を探すほうがずっといい。

「……僕は、魔法以外は得意じゃない」

 杖を握り直し、しっかりとオルランドに目を据える。今オルランドに臆しているようでは、ドラゴンと対峙することなどできるはずがない。

「だから、僕のできることで、みんなを守りたい」

 レーネにできること、魔法で何ができるかわからない。それでも、何もしないではいられない。

「僕の魔法で、ドラゴンを探すことはできる。他にはいない。そうだろう」

 ギガントのときと同じように、オルランドのマントを借りて飛び、空からドラゴンの親を探す。その魔法を使えるのは、今のところこの砦ではレーネだけだ。
 ぐっと言葉につまったオルランドに対して少し空気を緩め、レーネも一つ息をつく。

「貸してくれるかい、オルランドくん」
「……ティノールト・ヴァリエ」

 少し後ろに立っていたティノールトのほうに声をかけられて、レーネはきょとんと目を瞬いた。ティノールトを振り返ると、レーネのように戸惑うこともなく、真剣な顔でオルランドの言葉を聞いている。

「任務だ。この戦いの間、筆頭魔術師殿をお守りしろ」
「……了解しました」

 やや乱暴にマントを外し、くしゃっと丸めたものをオルランドが差し出してくる。

「必ず返しに来いよ」

 積極的な許可ではない。だから、保険としてティノールトを連れていかせる。
 言外の意図を読み取って、マントを受け取りながらレーネはただ頷いた。オルランドの考えをティノールトも理解しているのかどうかわからないが、あまり気分のいいものではないだろう。

「ちゃんと帰ってくる。前もそうだっただろう?」
「……そうだな」

 ぽん、とオルランドの手が頭に乗ってわしゃわしゃ髪をかき回すのを、レーネは好きにさせておいた。
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