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前編

17.砦に迫るもの

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 訓練場で切り結ぶ人々を眺めながら、レーネはぼんやりと開発中の魔道具に思いを巡らせていた。相変わらず、開発はうまくいっていない。

「レーネ、考え事か?」

 いつのまにか、ティノールトたちの稽古係はオルランドに交代したらしい。隣に座ったモリスに曖昧な返事をして、金属同士がぶつかる音に肩を跳ねさせる。慣れたつもりだが、いまだに剣戟の音には驚いてしまうことがある。
 なお、セシルたちの練習にはずっとサンサが付き合っているわけだが、何かを教えるのにレーネはあまりにも向いていないので仕方ない。

「……開発、うまくいかなくて」

 レーネが思ったように作ろうとすると、機構は複雑になるし、魔力の消費量も膨大になってしまう。一つだけ作ればいい魔道具ならそれでもいいが、これはもっと広く、いろんな人に使ってもらうことを想定しているのだ。魔力を込めるのも魔術師ではなく普通の人の予定だし、行き渡らせたいのであればあまりお金がかかっても困る。
 ただ、どう工夫しようとしてもうまくいかない。

「レーネでもそんなことがあるんだな」
「……僕、そんなすごい人間じゃないよ」

 ぽんぽんと頭を撫でて慰められたものの、レーネはぽつりと零して肩をすくめた。筆頭魔術師と呼ばれてはいるが、だからといってレーネが何でもできるすごい魔術師というわけではない。
 それに、魔法以外は苦手なことばかりだ。

「レーネはすごい魔術師だろう?」
「そ……」

 そんなことない、と言いかけ、妙な気配にレーネは振り返った。訓練場には、特に変化はない。騎士たちが剣をぶつけ合っているし、魔法を練習している魔術師もいる。誰もおかしな動きなどしていないし、レーネのように何かを探っている様子はない。
 それなら砦の中だろうか。でもそれならもっと騒ぎになっていてもおかしくないし、砦のどこなのか、レーネにはわかるはずだ。砦に対する魔法はこの前補強したばかりで、まだ精度が落ちるほどではない。
 となるとさらに向こう、砦の外だろうか。建物からある程度の距離までは魔法で把握できるようにしているので、それに引っかからないなら、砦間近まで迫っているわけではない、ということになる。

「レーネ?」

 モリスの声ではっとして、そちらに顔を戻す。新人たちが着任する前、オルランド隊の偵察はレーネとモリスが担っていたのだ。気配に聡いモリスなら、何か気づいているかもしれない。

「モリスくん、あの、変なのいないかい?」
「変なの?」

 ぴんとこないらしい。だとしたらレーネだけが何かを不穏に感じているということで、しかし思い当たるものがない。知っているものだったらその知識に合わせて対応すればいいが、この気配はわからない。
 おろおろと周囲を見回す後ろから、ふっと知っているにおいに包まれる。

「レーネさん、どうかしましたか」
「ティノールトくん……」

 レーネがあたふたしているのに気がついて、稽古を切り上げてきたらしい。邪魔をしてしまったかもしれない。そのことにもうろたえそうになったレーネを、ティノールトがぎゅっと抱きしめてくれる。

「大丈夫です。レーネさんが気にしてることを教えてくれたら、すぐに戻ります」

 オルランドとフィルも手を止めて、休息をとっているようだ。
 それなら休憩の間に、とも思ったが、どう伝えればわかってもらえるだろうか。うまく説明できる気がしない。

「何かありましたか」
「う、ううん、何もないけど……何か、変なのがいる……感じ……」
「変なの?」

 頷いてとにかく、見知らぬ気配がすることと、砦の外のユッダ山脈側、以前の魔物からの防衛戦で陣を張ったあたりより、もっと向こうから感じられるものらしいことを話す。

 隣で聞いていたモリスも少し険しい表情になって、ティノールトと顔を見合わせてしまった。やはりレーネの説明ではわかりづらいし、わけのわからないことを言っている、と困らせたのだろう。
 何も言わないで、大丈夫なことにしておいたほうがよかったかもしれない。

「レーネさん」

 びくっと反応してしまって慌てて見上げ、ティノールトの言葉を待つ。名前を呼んだからには、何か文句の一つでも言いたいことがあるのだろう、と思ったのだが。
 よしよしと頭を撫でられてしまった。

「ティノールト、くん……?」
「気になること、話してくれてありがとうございます。俺じゃ解決できなさそうなので……オルランド隊長に相談してもいいですか?」

 ぽかんと見上げたままのレーネを、辛抱強く撫でながら待ってくれる。撫でてくれるのは少し恥ずかしいものの嬉しいし、ぎゅっと抱きしめたままでいてくれるのは安心する。
 その手のおかげでゆるゆると緊張が解けて、レーネはただ頷いた。オルランドに相談すればいいと言われたらその通りなのだが、不確定な状態で話そうと思ったことはなかったから、そうしていいのだと示されたことに、驚いてしまった。

 モリスがぽんぽんとレーネの肩を叩いてからオルランドのほうへ歩いていったので、説明をするのはモリスのほうらしい。
 誰がオルランドに話そうが、レーネとしてはどちらでもいいのだが、ティノールトとくっついていられるのは安心できて嬉しい。そういう性質はSubのものだと思っていたのだが、Domにもあるものなのだろうか。それともレーネがそういう性質なのか、詳しく判断できるほどには、レーネは他の人のこともよく知らない。

 ティノールトを見上げると、オルランドとモリスのほうを向いていたのに、すぐレーネに気づいてくれた。

「どうかしましたか」
「……ううん」
「まだ妙な感じがしますか?」
「それは……うん……」

 少し心配そうに、辛いかと聞く声に首を横に振る。そわそわするし落ちつかないが、辛かったり苦しかったりということはない。妙なものは相変わらず感じるし近づいてきているようだが、ティノールトがいるから怖くはない。
 ぎゅっとしたままでいてくれるのは、先日、抱きしめていてくれたら怖くないと伝えたからだろうか。

「レーネ」

 甘やかしてもらっているままぼんやりしていたら、近づいてきたオルランドにちょっと変な顔をされた。

「何だい、オルランドくん」

 だからといってティノールトから離れる気はないので、レーネとしてはその状態で聞き返すだけだ。しばらく無言で見つめ合ったあと、何も言わないことにしたのかオルランドも頭をかいて言葉を継ぐ。

「……その妙な気配ってのは、警戒すべきものか?」
「……ほっといたらいけない、と思う」
「そうか」

 少し考え込むように腕を組んで、オルランドがモリスを振り返る。

「訓練を続けててくれ。イダン准尉のところに行ってくる」
「了解」
「レーネは来てくれ」
「わかった」

 歩いていくオルランドについていこうとしたら、レーネを抱きしめるティノールトの力が強くなった。どうかしたのかと見上げてみたものの、ティノールトはじっとレーネを見つめているだけで、何が気になっているのかわからない。レーネのほうは、しばらくティノールトがそばにいてくれたから気持ちは落ちついてきたし、妙な気配にも慣れてきた。イダンにうまく説明できるかわからないが、ある程度オルランドが助けてくれるだろう。
 だから心配することもないと思うのだが、何か他に気がかりなことでもあるのだろうか。

「ティノールトくん?」
「……すみません。いってらっしゃい」
「うん……いってきます?」

 レーネの頭を撫でてから、ティノールトがモリスのもとへ歩いていって、剣を構える。剣術のことはレーネにはよくわからないが、魔法も練習がたくさん必要だし、剣も同じなのだろう。型とかなんとか聞いたことがあるような気もするが、ティノールトが剣を振っているのはかっこいい。

「レーネ! 行くぞ!」
「今行くよ」

 だいぶ先に行ってしまっていたオルランドに呼ばれ、レーネは慌てて訓練場の中を急いだ。イダンの部屋まで道はわかるが、オルランドと一緒に行って話さなければ意味がない。
 ただ、偉い人の部屋となると大概建物の上のほうにあるのはやめてもらいたい。階段がきつい。

「……大丈夫か?」
「……大丈夫」

 オルランドの後ろをよろよろついていくことしかできないが、足は笑っていても会話はできる。
 何人か順番を待ってから部屋に入り、イダンに同じように心配されたが、会話はできるのだから大丈夫だ。足はぷるぷるしていようとも、口は回る。

「……まあ、それで、どうした」
「妙な気配が近づいているとレーネが気づいたようなので、念のためご報告に」

 イダンがすっと表情を引きしめ、レーネに視線を向けてくる。顔に傷がある分、イダンが真顔になると少々迫力が増して怖くなるので、レーネがイダンを苦手なのはその影響もあるかもしれない。

「方向はわかるか」
「……だいたい、ユッダ山脈のへこんでるところ……くらいだと思う」
「確か……ダズモンド隊が哨戒に出てるな」

 哨戒任務においては食料採取が重要な仕事になりつつあるが、魔物への警戒や駆除が元々の目的であって、毎日どこかの隊が任にあたるよう調整されている。そちらの方面へ哨戒に出ている隊がいるなら、戻ってから話を聞いてみればいいだろう。

 ひとまず安心かなと息をついたレーネの後ろで、ざわめきが起きて扉が勢いよく開けられる。

「何だ!」
「申し、上げます……!」

 息せき切って駆け込んできた男は、確か、ダズモンド隊の一人だ。

「ドラゴンの幼体を発見! 現在二名が監視を続けており、砦に接近中!」

 イダンも立ち上がったが、誰も言葉を発することはなかった。
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