おだやかDomは一途なSubの腕の中

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前編

9.新しい魔法

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 わ、とか、あ、とか声を出しているつもりなのだが、耳に入ってくるのは鋭く甲高い音にしか聞こえない。もしかしたら何か言葉になっているのかもしれないし、そうではないのかもしれないが、とにかく、レーネは目的を果たすべく懸命に両腕を動かしていた。

 正確には、両腕と同じ感覚で使っている左右の翼だが。

 偵察をするなら全体を見渡せたほうがいい。全体を見渡すとなると、空を飛んでいたほうがよさそうだ。それだけの単純な理由でぼんやりとアイディアだけ練っていた魔法を使ってみたところ、レーネはどうやら成功したらしかった。空を飛ぶ魔物の一体に乗り移り、背筋がぞわぞわする高さからの眺めを味わう羽目になっている。

 元々は空を飛んでみたくて、鳥に変身したり人間に翼を生やしたりすることを考えていたのだが、人間の組成を変えるのは思ったより難しかった。
 仕方なく鳥や空を飛ぶ種類の魔物の体を拝借する方針を立てていたものの、それも悪手だったらしい。体の動かし方は何とかわかるが、ぎこちなさは拭えないし、魔法で風でも起こせば楽だろうと思っても、この魔物は魔法がうまく使えない個体らしく、いつものようには魔法が展開できない。もっと狙った相手に憑依できたほうが便利だし、魔物自体の意識か何かがずっと頭をガンガン叩いてくるようにうるさくて、改善点しか見つからない。
 思いつきだけで魔法を使うのはよくないなと反省しつつ、不格好に空を飛びながら、レーネは魔物の群れを遡っていた。大移動の横から合流するような動きは見当たらず、だいたい同じ方向から魔物が流れてきている。砦に魔物がおびき寄せられているということもないだろうし、この先に大移動を引き起こした原因があると考えていいはずだ。

 しかし、地を駆けるもの、空を飛ぶもの、小型のものから大型のものまで、あらゆる魔物が移動する理由とは何だろう。魔物同士で争うこともあるはずなのに、小型の魔物が襲われることもなく、他の飛ぶ魔物にレーネが攻撃されることもない。全てが同じ方向から、逃げるように砦のほうへ向かっている。

 リユネルヴェニア北の砦は、ユッダ山脈に向き合うように建てられている。他に比べて尾根が低くなっている辺りで、山裾もちょうど砦を囲うような形になっているので、水が高いところから低いところへ流れるように、魔物が入り込みやすい位置にあるのだ。元来、そういった魔物から国土を守るために作られた砦なので、魔物と戦う機能自体は備えられているし、砦にいるのも戦うための人間だ。それでも、この量の魔物に対処し続けるのはかなり厳しい。純粋な物量の多さというのは、どれだけの備えがあっても脅威になる。

 空からの視点をもってしても、ユッダ山脈のこちら側にはそれらしき要因が見つけられず、レーネは意を決してさらに高度を上げ、ユッダ山脈の尾根を越えた。高さに目がくらみそうだがそれよりも、リユネルヴェニアの領土を離れ魔物の領域に入ってしまったことに身がすくむ。尾根を越えてしまったから、砦からの支援など望むべくもない。
 そもそも魔物の姿をしているから、助けも何も攻撃されそうではあるが。
 ユッダ山脈にぶつかるせいで気流が乱れるのか、風が変な方向に吹くことがあって飛びにくいし、どこかから鈍い音が常に聞こえてくる。

 意識を引きしめて翼で宙を打ったレーネの目に、ようやく砦に流れ込む魔物以外の動きが見えてきた。まだはっきりとはわからないが、周囲と比べて見た印象では、超大型種の魔物だろうか。超大型種二体が争っているとなると、周辺の魔物が逃げ出すのも理解できる。うかつに巻き込まれて死にたくはないし、うっかり目に留まって八つ当たりされたら目も当てられない。
 そっと風下に回りながら、レーネは慎重に超大型種のほうへ近づいていった。近づくにつれて、先ほどから聞こえている鈍い音の発生源がここであるらしいことを理解する。超大型種の魔物、ギガント二体が殴り合っているせいで、肉がぶつかるたびにその音が響き渡っていたようだ。
 二体の喧嘩が始まった原因はわからないが、これがどうにかならない限り、魔物の移動が収まらないことは確かだ。つかず離れずといった位置で観察を続けてみるが、どちらもそれなりに負傷しているはずなのに、どちらも折れる気配はない。喧嘩が終わるのを待つよりは、どうにかして止めるか、もっと遠方まで誘導するか、少なくとも何か手を打たなければいけないようだ。

 ただ、その手段というのがまるで思いつかない。超大型種などそうそう倒せるものではないし、原因がわからないから根本から止めるのも無理だ。別の場所に誘導するくらいならできるかもしれないが、この不慣れな魔物の姿で実行するのは危険だろう。

 静かにギガントたちの争いから離れて、レーネは砦の方向に戻り始めた。状況は把握できたわけだし、一度帰還して、相談するなり指示を聞いてみるなりしたほうがいい。
 はたはたと宙を打ちながら羽ばたいて、再び尾根を越える。炎の壁は維持されているし魔物の移動も止まっていないから、まだ防衛戦は継続中だろう。オルランドたちの位置がわかればいいのだが、どのあたりだろうか。そもそも無事なのか。

 そこまで考えてふと、自分が魔物の姿であることを思い出す。何となくで魔法を使って成功はしたが、解除の仕方をまったく考えていなかった。うまく元の体に戻りたいが、この魔物をそのまま放り出すわけにもいかないし、砦に近づけば攻撃されるのではないか。
 あたふたと速度を緩め、違和感のないように周辺の魔物に合わせつつ、戻る方法を考える。

 おそらく、自分の体が見えていれば、元には戻れる、と思う。問題はその体をどうやって見つけるかで、さらには見える位置まで近づけるのかどうかだ。それから、抜け出したあとのこの魔物をどうするか。今はレーネがねじ伏せているが、魔物としての意識が戻れば砦の人間を襲うのは間違いない。そうなる前にレーネが退治できるならいいが、違和感なく元の体をすぐ動かせるのか、魔法をいつも通りに使えるのか自信がない。
 それに憑依したままでこの魔物を倒されたら、レーネも一緒に死んでしまうような気がする。この魔物を確実に倒せる状況にしておく必要はあるが、抜け出す前に倒されてはいけない。

 知らずに置かれた状況にぞっとして、レーネは短く声を上げた。それが引き金になったのかあちこちで魔物が鳴いて、炎の壁を突破しようと勢いを増す。ギガント同士の争いからはずいぶん離れていてこれ以上逃げることはないはずなのだが、ある意味パニック状態なのかもしれない。
 巻き込まれないよう距離を取ろうとしたのだが、レーネの後ろからも魔物が突撃してきて、体当たりされたり翼を引っかけられたり、バランスを崩して炎の壁に落ちていく。

 痛い。指先が沸騰して融け落ちている気がする。熱い。息が苦しい。怖い。喉が焼かれる。目が開けられない。怖い。

「……レーネさん!」

 冷たい水のような呼び声に、レーネは唐突に目を開けた。胸がばくばくとうるさくて、びっしょりと汗をかいている。体をしっかりと抱え込んでくれている腕を知覚して、ゆっくり視線を上げる。

「ティ、ノ……ト……くん」

 思った以上に小さな声しか出ない。周囲から口々に何か言われているのはわかるが、言葉としての理解が追いつかない。魔法の後遺症なのか、炎に呑まれた恐怖のせいなのかわからない。
 落ちつかなければ、とうまく力の入らない手でティノールトにしがみついて、ゆっくりとした呼吸をくり返す。
 大丈夫。熱くない。ティノールトの手は温かい。息もできる。ちゃんと、何かを掴む指もある。大丈夫。

「……大丈夫ですか?」

 降ってきた静かな声に顔を上げて、空色の瞳と視線がぶつかる。
 ものすごく心配していると、目が語っている。

「……大丈夫。ありがとう、守ってくれて」

 何も説明せずただ守ってくれとわけのわからないお願いをしたのに、きちんと約束を果たしてくれたのだ。それに、ティノールトが呼んでくれなければ戻ってこられなかった。今すぐは何もできないので、せめてもの気持ちを込めて笑顔を作る。
 今いるのは、おそらく、救護テントかどこかだろう。小隊の誰かが怪我をしたのかとも思ったが、レーネがいきなり意識を失ったから、ここまで連れてきてくれたのかもしれない。ベッドに寝かされていてもいいはずだが、ティノールトはずっと抱えていてくれたのだろうか。片がついたら改めてお礼をしなければ。

 ティノールトが驚いたような顔をしているがとりあえず置いておき、温かい腕に甘えたまま、視線を巡らせて目当ての人物を探す。

「オルランドくん」
「……あとでちゃんと説明してもらうからな」

 まずい。こちらはとても怒っている。でも説明する暇はなかったし結果として何とかなったし、許してほしい。
 ひとまず、今は叱責に時間を取るべきでないのはオルランドもわかっているようなので、返事をせずに話だけ進める。

「一緒にイダンくんのところに行ってほしい」
「歩けるのか」

 ティノールトに助けてもらって立ち上がり、地面を何度か踏みしめる。最初こそふらついたが、一人で歩けないほどではない。

「大丈夫」
「……まあ、いざとなったら抱えてやる。行くぞ」

 前線の後ろに設けられているらしい救護テントから出て、レーネはオルランドとともに防衛線本部へと向かった。
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