おだやかDomは一途なSubの腕の中

phyr

文字の大きさ
上 下
5 / 47
前編

5.互いの同意はしっかりと確認すべき

しおりを挟む
 目を開けると見慣れた部屋が広がっていて、レーネは何度か瞬きをくり返した。何だっけと悩んでいるうちに、徐々に寝入る前のことを思い出す。
 ティノールト・ヴァリエに運ばれたのだ。訓練場から、おそらく部屋というかベッドまで。お姫様抱っこで。
 レーネは付き添ってほしいと言っただけで、まさかそんなことをされるとは思ってもみなかった。けれど抱っこされてからは抜群の安定感とティノールト・ヴァリエの温かさにあっさり陥落し、途中で眠りに落ちてしまったのだ。目の前の風景が見慣れたものなのは、いつものベッドにティノールト・ヴァリエが寝かせてくれたからだろう。

 いい年したおじさんがここまで世話をされているというのはどうなんだ。しっかりしたほうと言えない自覚はあるが、疲れて抱っこしてもらってそのまま眠るなんて、赤ちゃんか。

 気をつけないと、と体を起こして、つけてあったランプの灯りを頼りに靴を履く。これだけ暗くなっているなら、夕飯を食べ損ねたかもしれない。ランプをつけておいてくれたということは、暗くなるまでレーネが起きないだろうとティノールト・ヴァリエも判断したのだろうが、彼はどこに行ったのだろう。二段ベッドの上側には姿がないし、ランプで薄暗い中でも部屋にいないことはわかる。
 それとも食堂だろうかと首を傾げ、レーネは水音を聞きとがめた。

 通常、シャワーを浴びたければ大浴場に行かなければならないのだが、小隊長以上の役職にあるもの、そして特例として筆頭魔術師の地位にあるものの部屋には、個別に浴室がついている。大浴場が開いている時間に仕事が詰まっているかもしれないという配慮だが、そこまで忙しくしている人間はたいてい、風呂にも入らずに寝てしまいがちだ。
 レーネは一応身綺麗にするようにはしているが、風呂ではなく魔法で済ませてしまっているので、浴室は持ち腐れに等しい。

 その、しばらく水など通っていない浴室のほうから水音がする。ティノールト・ヴァリエだろうか。好きに使っていいとは伝えてあるが、真面目に大浴場に向かっていたから、今日だけ急に使うということはない、と思う。けれど他の人間を部屋に招き入れて、浴室を使わせるなどということもしないだろう。
 訝しみつつ浴室に向かい、マナーとして脱衣所の扉をノックする。

「ヴァリエくん?」

 かしゃん、と硬いもの同士がぶつかる音がした。返事はないが、らちが明かないと判断して扉を開ける。ただ、上のほうにあるはずのティノールト・ヴァリエの顔が下にあって、レーネはゆっくりと視線を下ろしていった。

「……ヴァリエくん?」
「……レーネ、さん」

 洗面台に、小瓶と錠剤が散らばっている。先ほどの硬い音はこれだろう。ティノールト・ヴァリエは、洗面台の縁を掴んでいるものの床に座り込んでしまっている状態だ。レーネが声をかけるまでは何とか立っていたが、いよいよ耐えきれなくなって床に落ちた、といったところだろうか。
 ケアをしないまま眠りこけてしまったレーネが本当にいけない。これは非常によくない。

「それ、安定剤だよね」

 ティノールト・ヴァリエの肩が跳ねた。まずい、さらに不安にさせた。慎重に言葉を選ばなければ。
 自分もそっと屈んでから近づいて、床に落ちているほうの手に触れる。拒絶はない。両手で包んで、安心させるように柔らかく撫でてやる。

「君がSubなの、僕は知ってる。君がここに来てから、一回もPlayしてないのも」

 こちらに視線が注がれているのを感じて、レーネも顔を上げた。空色の瞳が揺れていて、不安や疲労感、怯え、憔悴が見てとれる。ここまで我慢させる前に、もっと早く味方になってやるべきだった。急いでケアしてやらなければいけないが、怖がらせるのは不本意だ。無理やり従わせたいわけでもないし、無理をさせたいわけでもない。
 ただ、助けられるものなら助けたい。

「ヴァリエくん、僕とPlayしないかい。君さえ嫌じゃなければ」

  ティノールト・ヴァリエの手を握ったまま、視線を合わせて尋ねる。

「……俺が、選ぶんですか……?」
「お互いの同意の上でするものだから。君が嫌なら、あまり勧めたくはないけど頓服薬をもらってくるよ」

 Subは精神的な不安に陥りやすい。それはSubの性質として備わったもので、それだけ繊細なのがSubというダイナミクスなのだとレーネは理解している。彼らをか弱いものと扱うつもりはないが、Domのレーネにはわからない辛さが彼らにはあるのだと思う。

 信頼するDomと定期的にPlayができていれば、彼らも発作を起こすことなく普段通りの生活を送れるのだが、誰もが相性のいいDomと巡り合えるわけではないし、お互いの都合がつかないときもある。それで日常生活に支障を来さないために、Subのための安定剤が開発され、今では簡単に手に入るようにはなっている。
 ただし安定剤を飲んでいるだけでは、いつか限界が来てひどい発作を起こしてしまう。そういうときのための頓服もあるのだが、そうなる前にDomとPlayをして積もり積もったものを解消するほうがいいと言われている。頓服薬にはもちろん副作用があって、次の発作がどんどん重くなってしまうのだ。あまり頼っていると、Dropして自ら生を手放す危険性すらある。

「嫌なものは嫌って言ってくれて構わない。僕は申し出ているだけであって、Commandで強いるつもりはない」

 GlareもCommandも、ティノールト・ヴァリエの同意がなければ使う気はない。緊急避難的に使うことはあったとしても、彼とは一時しのぎではなく確かな信頼関係を築く必要があるから、軽々しく使いたくない。
 じっと待っていたレーネの手の中で、ティノールト・ヴァリエの手に少しだけ力が入った。

「……Play、してください……」
「……よかった。お願い聞いてくれてありがとう、ヴァリエくん」

 手を伸ばして頭を撫でると、少しだけティノールト・ヴァリエの表情が緩んだ。すんでのところで拾えたくらいだろうか。とにかく、間に合ってよかった。

「先にセーフワードを決めておこう。何か提案はある?」

 何となく、さっきからいちいち驚かれている気がする。レーネにとってSubの気持ちを尊重しつつ決めていくのは当然のことなのだが、彼は今までDomからそういう扱いを受けてこなかったのかもしれない。

「……俺が、決めるんですか」
「僕を止めるための言葉だから。お前が決めろって言われたら、考えるよ」

 ゆっくりと瞬きしてからレーネを見つめ、空いているティノールト・ヴァリエの手がレーネの髪に伸びてくる。ぐしゃぐしゃにかき混ぜてきたオルランドとは違って、ゆっくりと撫でつけるような動きだ。

「なら……レモン」
「レモン?」
「レーネさんの髪は……ミルクティーみたい、なので……レモンティーって思って……いけませんか」

 少し不安そうなティノールト・ヴァリエに、首を横に振って否定する。うっかり口にしてしまうような言葉でなければ、セーフワードは何でもいい。

「わかった。君にレモンって言われたら、僕は止まる。怖かったり痛かったりして嫌だったら、すぐに言っていい」
「……はい」

 だいぶティノールト・ヴァリエの不安が和らいできている、と思う。今度はレーネがティノールト・ヴァリエを撫でて、彼を驚かさないようにゆっくり立ち上がった。ティノールト・ヴァリエが立ち上がる様子はない。まだCommandは使っていないが、Domであるレーネの言葉を待っているのかもしれない。
 レーネが握っていたはずの手を、いつのまにかティノールト・ヴァリエにぎゅっと掴まれている。

「始めるね。 Stand up立ってごらん
「はい」

 嬉しそうに答えて立ち上がったティノールト・ヴァリエのほうが、やはりレーネより背が高い。ただ、見下ろされているはずなのにじっと信頼の視線を向けてくるのがかわいらしくて、レーネはPlayのためだけではなく笑みを浮かべた。

 Good boyいい子だね、ヴァリエくん。 Comeおいで、向こうでPlayしよう」
「はい」

 脱衣所はさすがに、Playにふさわしい場所ではないだろうから。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

虐げられている魔術師少年、悪魔召喚に成功したところ国家転覆にも成功する

あかのゆりこ
BL
主人公のグレン・クランストンは天才魔術師だ。ある日、失われた魔術の復活に成功し、悪魔を召喚する。その悪魔は愛と性の悪魔「ドーヴィ」と名乗り、グレンに契約の代償としてまさかの「口づけ」を提示してきた。 領民を守るため、王家に囚われた姉を救うため、グレンは致し方なく自分の唇(もちろん未使用)を差し出すことになる。 *** 王家に虐げられて不遇な立場のトラウマ持ち不幸属性主人公がスパダリ系悪魔に溺愛されて幸せになるコメディの皮を被ったそこそこシリアスなお話です。 ・ハピエン ・CP左右固定(リバありません) ・三角関係及び当て馬キャラなし(相手違いありません) です。 べろちゅーすらないキスだけの健全ピュアピュアなお付き合いをお楽しみください。 *** 2024.10.18 第二章開幕にあたり、第一章の2話~3話の間に加筆を行いました。小数点付きの話が追加分ですが、別に読まなくても問題はありません。

甘々彼氏

すずかけあおい
BL
15歳の年の差のせいか、敦朗さんは俺をやたら甘やかす。 攻めに甘やかされる受けの話です。 〔攻め〕敦朗(あつろう)34歳・社会人 〔受け〕多希(たき)19歳・大学一年

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

イケメンモデルと新人マネージャーが結ばれるまでの話

タタミ
BL
新坂真澄…27歳。トップモデル。端正な顔立ちと抜群のスタイルでブレイク中。瀬戸のことが好きだが、隠している。 瀬戸幸人…24歳。マネージャー。最近新坂の担当になった社会人2年目。新坂に仲良くしてもらって懐いているが、好意には気付いていない。 笹川尚也…27歳。チーフマネージャー。新坂とは学生時代からの友人関係。新坂のことは大抵なんでも分かる。

ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?

音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。 役に立たないから出ていけ? わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます! さようなら! 5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!

秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~

めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆ ―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。― モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。 だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。 そう、あの「秘密」が表に出るまでは。

完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました

美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!

【完結】極貧イケメン学生は体を売らない。【番外編あります】

紫紺
BL
貧乏学生をスパダリが救済!?代償は『恋人のフリ』だった。 相模原涼(さがみはらりょう)は法学部の大学2年生。 超がつく貧乏学生なのに、突然居酒屋のバイトをクビになってしまった。 失意に沈む涼の前に現れたのは、ブランドスーツに身を包んだイケメン、大手法律事務所の副所長 城南晄矢(じょうなんみつや)。 彼は涼にバイトしないかと誘うのだが……。 ※番外編を公開しました(10/21) 生活に追われて恋とは無縁の極貧イケメンの涼と、何もかもに恵まれた晄矢のラブコメBL。二人の気持ちはどっちに向いていくのか。 ※本作品中の公判、判例、事件等は全て架空のものです。完全なフィクションであり、参考にした事件等もございません。拙い表現や現実との乖離はどうぞご容赦ください。 ※4月18日、完結しました。ありがとうございました。

処理中です...