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前編

4.威嚇のはずがどうしてお姫様抱っこ?

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 魔物との実戦で鍛えられる側面はあるにせよ、それは地道で基礎的な訓練が積み重ねられた上に成り立つものだ。
 そのため、砦の広大な敷地には、騎士も魔術師も使える訓練場が備わっている。屋外にあり、魔術師が派手に魔法を暴発させても周囲に影響が及ばないよう結界が張られているので、気兼ねなく魔法の練習もできる場所だ。レーネも時折、新しく編んだ魔法の試し打ちに使っている。

「隙が多いぞ、レーネ」
「君の、体力と、一緒に、しないで、ほしい……」

 ただ、魔法の練習ならともかく、オルランド相手にひたすら戦闘演習をさせられるなんて聞いていない。先日目の前の戦闘から意識が逸れたことを気にしているのはわかるが、オルランドとレーネでは基礎体力が違いすぎる。どこか楽しそうなのが本当に理解できない。息一つ乱していないどころか運動なんてしていませんみたいな顔だ。
 なお、フィルとティノールト・ヴァリエはモリスが、セシル・レスターシャとリィロンはサンサがまとめて面倒を見ている。

「しょうがないな……少し休憩にするか?」

 ゆるゆる頷くとオルランドが他の組にも休憩を告げたので、揃って訓練場の端にある休憩スペースに向かう。のだが、疲れて足にうまく力が入らない。のろのろと動くレーネのそばに、リィロンとティノールト・ヴァリエが寄ってくる。

「レーネさん、大丈夫ですか?」
「歩けますか」

 肩を貸されて体を支えられて、自分で体をまっすぐにしなくても運んでもらえる。とても助かる。
 しかしきちんとお礼を言おうと思ったら、急にリィロンがバランスを崩して、三人で倒れこむことになった。

「いたた……」

 ぎりぎり下敷きにはしなかったはずだが、怪我はしていないだろうか。転ぶような段差もないところでどうしたのだろう。
 無事を確認しようとリィロンに目を向けたものの、レーネは何も言うことなく顔をしかめた。そのままリィロンの視線の先をたどって目星をつけ、応急処置としてリィロンに弱めのGlareを与える。

「っ、あ……レーネ、さん……」
「僕のGlareを受け取ってくれてありがとう、リィロンくん。サンサくんのところへ Go行きなさい。そうしたらサンサくんが褒めてくれるからね」
「は、い……」

 ひとまずリィロンはサンサに任せておいて大丈夫だろう。日頃からPlayもしている間柄だから、ドロップする前に回復させられるはずだ。
 同意も得ずCommandを使ってしまったことはあとで謝るとして、よろよろ歩いていったリィロンをサンサが抱きとめるところまで見届ける。サンサが頷いてくれたから大丈夫だろう。

 念のためティノールト・ヴァリエも横目で確認しておくが、ぎりぎり保っている、ようには見える。おそらく影響は受けているだろうが、少なくとも彼自身はSubであることを公にしたくはなさそうだから、今ここでケアをするわけにはいかない。
 彼にはそっと手で触れて撫でておくだけにして、レーネはゆっくり立ち上がった。手元で軽く魔力を練って、先ほど見つけた二人を宙へ吊り上げる。騎士の鎧というのは丈夫でいい。魔術師のローブに魔力を流しても、すぐに脱げてしまって人間を持ち上げられないのだ。

「っひ!」
「な、何すんだ!」
「ヴィンス・カッレノート、ジョアル・ミソン、公共の場でむやみにGlareを放つものではないと習わなかったのか」

 新人が来る時期はこれだから面倒だ。魔術師団ではダイナミクスなどそこまで意識しないから、魔術師の子たちはSubであることを隠さない。けれど騎士団で育った子たちはダイナミクスで差別する。Subだと公にしている魔術師に、面白半分でGlareやCommandを使うのだ。
 一般的に、相手の同意がないGlareやCommandは非常識なふるまいだとされているにも関わらず。

 先輩風というのはどうも好きではないのだが、なるべく威圧的に、しかし冷静さを保って問いかける。

「騎士にやられてた魔術師のくせに」
「SubにGlareはご褒美だろ」

 責めてきた相手を見て反応を変えるタイプらしい。ため息をつきたいところだが、余計なとっかかりを与える必要もないので、静かに二人を見上げたまま強めにGlareを発する。

「見知らぬDomから不躾なGlareを受ける気持ちはどうだい」

 いかにも被害者ですといった顔で怯えているが、自分が同じことをした自覚はあるのだろうか。Subにとって、その気もないDomから与えられるGlareなど、迷惑行為以外の何ものでもないのに。意に沿わぬ服従と、それでも心の奥底で感じる喜びのせいで、精神の不均衡を起こしてDropしてしまうSubさえいるのだ。
 Subを適切にケアできずにDropさせてしまうのは、Domとして恥ずかしいことだとレーネは養父に教えられた。だからそういう面白半分の行為を見かけると、Subが気の毒になるしDomには苛立ちを覚えてしまう。

「それくらいじゃ足りないか」

 おおよそ十歳を迎える頃には、この国の子どもはダイナミクスの検査を受けさせられる。そこでDomかSubだと判明すればランクも調べられて、本人や家族に通達される。この国の人間であれば、ほぼ例外なく自分のダイナミクスも知っているはずで、ダイナミクスとはどういうものか、その頃から教育を受けているはずなのにこれだ。騎士団や貴族の価値観というのは本当に忌々しい。
 レーネも養父に連れられて行った検査の場でDomだと告げられて、ランクも教えてもらった。だからこそ、Glareを発することには特に気をつけている。

「これでどうだい」

 レーネがGlareを注げば、ほぼ例外なく相手のDomを委縮させられる。Subであれば、CommandなしでKneelの姿勢を取らせるくらいには、威力がある。直接投げかけなくても影響されるDomやSubもいるくらいだから、むやみやたらと使いたくないのだ。Glareによる支配関係はそうそう覆るものでもないから、飄々と覇気のないDomでいたほうがいい。
 相手がDomであろうと、怯えた目を向けられても嬉しくも何ともない。

「や、やめ……」
「そう? じゃあやめようか?」

 Glareを止めて、わざとらしく上向きに指を振る。

「ぎゃああ!」

 空中に浮かぶ魔法、というのは滅多に体験するものでもないから、支えもなしに吊るされているのはさぞ恐ろしいだろう。姿勢も、勢いすらも自分の思い通りにはならず、見知らぬ人間にいいように振り回される気分は、考えなくても最悪だとわかる。

「ああ、やめてほしいのはこっちだったかな?」

 今度はぴっと下向きに指を振って、二人を勢いよく地面に近づけていく。そのまま地面にぶつかればまず助からないだろう勢いで、叩きつけるつもりで落として、寸前で制止させてからゆっくりと地面に座らせてやる。痛い思いをさせる必要はなくて、ただ、恐怖というものを知っておいてほしいだけだ。

「ヴィンス・カッレノート、ジョアル・ミソン、恐怖と痛みを知りなさい」

 呆然とした様子の二人の肩に手を置いて、気持ちを落ちつかせる魔法をそっと流す。恐怖だけを記憶に刻みつけないで、きちんと言葉で覚えていてほしい。

「君たちがDomであるからこそ、ね」

 Domであるからこそ、Subが味わうだろう恐怖や痛みを知っておかなければいけない。恐怖を和らげ、辛い痛みに耐えたことを褒め、それらを超えて信頼を向けてくれるSubを尊重できなければ、いい関係を築くことなどできない。少なくともレーネは、養父にそう教わっている。 
 泣きそうな顔で見上げてくる二人の頭を何度か撫でて、レーネは彼らが最初に立っていたあたりに目を向けた。この砦に来たばかりの新人ならば、必ず彼らを預かっている隊がいるはずだ。

「ディーリト隊長、彼らの処分については君に一任する」

 レーネがこれだけ振り回したのできついお咎めはないだろうが、最終的な判断は彼らの上長にあたる人物に任せておいたほうがいい。

「……お手数をおかけいたしました、筆頭魔術師殿」

 敬礼を受けてしまった。あまり知られたいことでもないのに。とはいえそう呼んできたということは、彼らにきつい処分が下るということもないだろう。

 さすがにため息をついて、レーネはティノールト・ヴァリエが座り込んでいるところに戻った。今度はこちらをケアしなければいけない。訓練場から連れ出して部屋に行くのが望ましいから、何とかその流れに持ち込まなければ。
 ひとまず手を貸して立ち上がらせ、一応経緯を見守ってくれていたらしいオルランドのもとへ連れていく。サンサとリィロンがいないということは、彼らもPlayをしに部屋に戻ったのかもしれない。

「強烈だな、筆頭魔術師殿」

 筆頭魔術師というのは、単にその拠点で最も魔法に優れた魔術師というだけのことだ。王都には王都の筆頭魔術師がいるし、別の砦には別の筆頭魔術師がいるのだから、突出してすごいというわけでもない。ただ、その場で最も魔法に秀でているということは、場合によっては敬遠されるし、変に崇拝されることもありえる。

「……答える元気もないんだけど、部屋で休んでいいかな」
「そうしとけ。ほとぼり冷まさないとこっちもやりにくい」

 オルランドの言葉に、それとなく後ろを振り返る。ある意味彼らを見せしめに振り回した自覚はあるが、レーネ自身に注目してほしいわけではなくて、Subへの不躾な行為は許されない、と知ってほしいだけだ。
 何事もなかったかのように顔の向きを戻して、レーネは再びため息をついた。

「……ヴァリエくん、悪いんだけど、部屋まで付き添ってくれるかな」

 少し驚いたような顔のティノールト・ヴァリエに、乾いた笑みを浮かべてみせる。

「ごめんね。途中で行き倒れる自信があって」

 オルランドとの演習で疲れているのは事実で、正直なところもう一歩も歩きたくない。せめて訓練場から建物に入るまでは頑張らないといけないが、そのあとはもう、肩に担いでもいいから運んでほしいくらいだ。

「……わかりました」

 まさかその場で、いわゆるお姫様抱っこをされるとは思っていなかった。
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