馬鹿犬は高嶺の花を諦めない

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犬牙、犬吠、その身に喰らえ

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「……それで、何が聞きてぇんだよ」

 くっついたら引っぺがされて、向かい合って座らせられた。お説教がある時の姿勢みたいでちょっと嫌だけど、師匠が正面に座ってくれているから我慢する。師匠をたくさん見られるのは嬉しい。

「何で俺のこと置いてったの」

 師匠が口を引き結んだ。言いたくないことなのかもしれない。じっと見てても、何も言ってくれない。悲しくなって、あってほしくないことを口にする。

「……俺のこと、嫌いだから?」

 師匠が目を丸くして、何か言いたげに口を開いて、また閉じた。躊躇ってる。けど、言ってくれなきゃわからない。悲しい。泣きそうになって視線を下に向けたら、そっと頭を撫でられた。もっと撫でてほしくて頭をぐりぐり押し付ける。
 師匠が撫でてくれたら、大丈夫になるはずなのに。胸のところが痛い。喉が苦しい。

「……ルイ」

 俺の名前。師匠が考えてくれたやつ。

 ぱっと視線を上げて師匠を見たら、すごく険しい顔をしてた。普段師匠がそんな表情をすることなんてないから、驚いて手を伸ばす。大怪我しても、魔力が溜まって体が辛くなっても、こんな苦しそうな顔をしていたことなんてない。

「……嫌ってたら、名前であんなに悩むかよ……」

 絞り出すように零して、師匠が俺の手を払った。ため息をついて、目元を覆って、俺を見てくれない。
 好きとは、言ってくれてない。でも、嫌いじゃないって言ってくれた。
 師匠が俺を嫌いじゃないなら、大丈夫だ。痛くない。苦しくない。様子を窺って、じりじり近付いて師匠を抱きしめる。今度は剥がされない。

「俺は、師匠が」

 言おうとしたら手で口を塞がれた。また苦しそうな顔だ。俺を嫌いじゃないのに、どうしてそんな顔をされるのかわからない。
 師匠の手を掴んで外して、手のひらに口付ける。

「……言っちゃだめ?」
「だ、めだ、ルイ……頼むから……」

 懇願するように言われて、ちょっと困った。師匠のお願いだったら聞きたいけど、ちゃんと好きって伝えたい。俺の特別で、俺の一番の人はずっと師匠で、これからも師匠だってちゃんと言いたい。

 それに、今なら師匠が揺らいでる。

「師匠、言わないから、聞いてほしい」

 ひとまず、今は決定的な言葉は言わないことにした。今追い詰めたら、たぶん師匠がずっと苦しむことになる。師匠が作ってる壁を一個一個壊して、剥がして、奥にいるクライヴ・バルトロウを納得させないといけない。ウィルマさんのところで、考える練習をさせておいてもらって良かったかもしれない。
 怯えているようにも見える師匠の手にもう一度口付けて、頬に寄せる。俺に剣を教えてくれた手。俺を育ててくれた手。

「王都で、アドルフ・カーティスの話を聞いてきた」

 モンドールさんから、子供時代の話を。ラクレイン団長と護衛騎士から、騎士団時代とドラゴン討伐の話を。
 師匠の目が丸くなって、何でと言うように口が動いた。俺には、教えたくないことだったのかもしれない。

「クライヴ・バルトロウの話も、聞いてきた」

 ウィルマさんの家で過ごしていた時のこと、カーメルのような娼館にいる人たちを助けてきたこと、ドラゴン討伐で犠牲になった人の、家族の元を回ったこと、ヒューさんたち鍛冶師を助けたこと。
 なりたくて英雄になったわけではないのに、英雄であるべく生きてきたことは、俺も傍で見てきた。

「ベルナール・カーティスにも、弟をよろしく頼むって言われた」
「……兄上が……?」

 そういうところで兄上なんて言葉遣いをする、育ちのいい人。本当なら、孤児の俺が師匠に会うことなんて絶対になかったはずだ。王家の血筋が、とか、公爵家の事情が、とか、英雄だから、とか、いろんなもので雁字搦めになってるのに、それでも投げ出さないで立ち続けている人。
 強くて、優しくて、誰かを大事に出来るのに自分を後回しにするから、傍にいてちゃんと守りたい。

「全部聞いても……俺は師匠がいい。あと何したら、言ってもいい?」

 師匠の枷になっている全部がわからないから、格好はつかないけどあとは聞くしかない。強張っている背中を撫でて、答えてくれるのを待つ。師匠が混乱しているところに付け込んでいる自覚はあるけど、追い詰めたいわけじゃなくて、ただ、好きって言わせてほしい。

「……俺、は……」

 師匠の手がちょっと動いたから、掴んでいた力を抜く。カーメルと違ってすべすべしてなくて、ごつごつで、でも俺の好きな綺麗な手だ。頬を撫でてくれる。嬉しい。すり寄せたら少しだけ動きが止まって、でもまた撫でてくれる。

「……俺は……お前の可能性を、潰したくねぇんだよ……」
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