馬鹿犬は高嶺の花を諦めない

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野良犬、迷い犬、あの手が恋しい

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 何言ってんだと立ち上がりかけて、碧の目で師匠を思い出して我慢する。これは、師匠の血縁だから殴っちゃだめ。切っちゃだめ。落ちつく。大人しくする。
 息を吐いて、握りしめた手を緩めて、部屋の中を観察する。公爵の物言いとか態度とかはきついのに、周りに護衛は置いてないし、部屋にいる使用人は三人だけだ。お茶を出してくれた人と、ドアの傍にいる人と、もう一人、公爵と一緒に入ってきて壁際にいる人。全員戦えないわけじゃなさそうだけど、ラクレイン団長とか王様の護衛騎士とか、城にいる騎士よりはずっと弱い。
 俺に対して全く敵意がないって感じじゃないのに、攻撃されそうな雰囲気はまるでない。そこに少し違和感がある。

「一定周期で倒れるような男を英雄だと? くだらん。そのような不確実なものに頼る者の気が知れん」

 師匠が上手く魔力を排出出来ないことは、知っているらしい。公爵の目には金色が混ざっていないから、本人は魔力を持っていないはずだ。

「いつ倒れるかわからない個に頼るなどという愚を捨て、各地に騎士を配備された陛下の采配はまさに英明だ」

 言葉を切って、公爵がカップを持ち上げた。

 ラクレイン団長たちの話では、王様の采配っていうより団長たちがお願いしたって印象だったけど、今はそれはいい。とにかくその話を聞いたから、元は騎士団が王都にしかいなかったのは知ってる。師匠が王都を離れて療養して、その後旅を始めた理由はわからなかったけど、俺と一緒にいる間は、騎士団の手が回らないところを中心にしてた。俺が孤児になった頃も、騎士がいる町や村は少なかったらしくて、孤児にも親を魔物に殺されたやつは多かった。
 今は第二騎士団がいないところは本当に少なくなって、孤児も減ったし、魔物に襲われて滅ぶ町や村もほとんどない。すごく強い魔物が出た時や、魔物の大量発生があれば第三騎士団も出動する。師匠やウィルマさんみたいな、強い人も呼ばれる。

 師匠のことを貶すのはめちゃくちゃイライラするけど、一人が頑張っても今いる場所しか守れないのもわかるから、公爵がそっちに賛同するのもわからなくはない。

「全域とは言えんが、今はどこが襲われようとも騎士が駆け付けられるのだ。あれが剣を振り回す必要もあるまい」

 もう一度お茶を飲んだ公爵が、カップを置いて背もたれに体を預けた。苦々しげな表情は消えて、師匠との手合わせの時に見たような、冷徹な顔に戻っている。

「魔力に関する体質は一生変わらんし、剣などずっと振るえるものでもない。いい加減カーティス家のものとして自覚を持ち、領地に戻れば良いのだ。そのための教育も既に受けているのだから」

 もしかして、と思って否定しかけて、いややっぱり、と思考が戻る。わかりにくい。ものすごくわかりにくいけど、この人、もしかして、師匠のことをめちゃくちゃ心配してるのか。師匠が魔力を外に出せなくて、限界が来たら倒れてしまうことを知っている。だから、師匠が英雄だと持ち上げられて、人の期待を裏切れなくて戦い続けてることを、嫌がってる、ように見える。

 もう騎士団が国中にいるから、師匠が戦う必要なんてない、剣なんて置いて、自分の家に戻ればいい。
 もしかして、そう言ってる?

「……あの」
「何だ」

 聞きたいけど、直接そう言っても素直に答えてくれない気がする。そういうところは、もしかしたら師匠に似てるかもしれない。少し言葉を探して、でも思い付かなくて、口から出たのは別の言葉だった。

「……師匠のこと、嫌ってるのかと思ってました」

 いろんな人に話を聞いて、公爵ともちょっと長めに話したから気付いただけだ。訓練所で師匠と話していたのを聞いた限りだったらたぶん、公爵は師匠のことが嫌いなんだとずっと思ってた。
 公爵が軽く目を瞠って、一瞬だけ視線を逸らして、眉間に皺を寄せてこちらを向く。

「…………嫌えれば、良かったのだろうがな」

 たっぷり時間を取ってから返された言葉には、感情がぎゅっと詰まっていた気がした。
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