馬鹿犬は高嶺の花を諦めない

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忠犬、馬鹿犬、貴方のために

5-2

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 立ち上がった師匠に引っ張られて、部屋の真ん中に立たされる。師匠の背中に回すように腕を引かれて、右腕に師匠の手が乗る。それから左手を掴まれて、ちょっと伸ばされて、さっきまで練習してたペアになって踊るやつの姿勢だ。

「楽を頼む」
「承知いたしました」

 指南役が楽器のところに行って、音を出し始める。師匠が動き始めて、組んでいるから俺もそれにくっついて動くことになる。
 師匠が近い。いいにおいがする。いや、勃たせるのはまずい。じゃなくて、ステップ。ええっと。踏まないように、顔上げて、近い。

「落ちつけ馬鹿犬」

 師匠の声が聞こえて、ぐっと奥歯を噛み締める。
 これは、あれだ、教えてくれてるのであって、近い、師匠の体温、変な意味じゃなくて、体付きがわかる、ええい落ちつけるか、くそ、めちゃくちゃいいにおい。

「落ちついて俺に体預けろ。足運びはどうでもいい。俺の声と、音楽だけ聞いてろ」
「……はい、師匠」

 師匠に体を預けたらそれはそれで落ちつけないんだけど、師匠の言い付けだから答えは「はい」しかない。力を抜いて、師匠の動きにただついていくだけにする。時折右、とか後ろ、とか教えてくれる声と、後は指南役が弾いている楽器の音だけだ。

「テメェが組むような相手は、どうせテメェより上手いんだ。下手だって申告してリード頼んどけ」
「はい、師匠」

 やっぱり知らない誰かと踊らないといけないのか。師匠だったらいいのに。

「……それから、式典だが」

 するり、するりと部屋の中を滑らかに動きながら、師匠の声に耳を傾ける。あまり大きくないから、たぶん俺くらいにしか聞こえてない。もっと聞きたくて、少しだけ顔を寄せる。

「近ぇ」
「声聞きたいから」

 指南役とかいろんな人がいるから、キスまではしない。人前でやったら蹴られる。けど、こうして組んで踊っているなら、顔を近付けても変じゃないことには気が付いた。
 不明瞭な音で呻いた師匠に軽く蹴られた。

「痛い」
「式典で、リチャードがテメェに名前を寄越す。それから位を授けるとか何とか言うから、忠誠か何か誓っとけ」

 無視された。

「くらい? ちゅうせい?」

 無視されたのも悲しいけど、位とか忠誠とか何の話だろうか。名前のことは知ってるけど、それ以外は何も聞いていない。

「……英雄の傍には、相応しい地位の人間を、ってやつだ。ただ、そんなもん野放しにしとくわけにもいかねぇ。だから、王への恭順を誓わせる」

 俺はただ、師匠と一緒にいたいだけだ。城の中のこととか、貴族の間でどうこうとか、何一つわかってない。地位とか忠誠とか、本当にどうでもいいし、何がありがたいのかよくわからない。

 わからないけど、この人を手に入れるためには、そういうことを知らないといけないのかもしれない。
 孤児で何も持ってない俺を拾ってくれた師匠は、本当は俺が見えている以上のものを持っている。それを重いと言って下ろしたりしないし、全部背負ってそれでも平気な顔で立ってるから。

「……師匠」
「話は終わりだ。今の感覚忘れねぇように、ちゃんと身につけとけよ」

 ちょうど曲が終わって、さらりと師匠が離れて部屋を出て行く。ていうことは、今の話のためにここに来たんだろう。

「何だそれ……」

 俺は別に賢い方じゃないけど、王様に忠誠を誓ったら、今のままじゃなくなることはわかる。王様に命令されたら従わなきゃいけなくなるし、地位、によってはずっと城にいなきゃいけなくなるかもしれない。けど師匠はきっと、城には留まってくれない。終わったらまた旅に戻るはずだ。
 俺が欲しいのはあの人だけで、俺に必要なのはあの人だけで、クライヴ・バルトロウの傍にいられるなら、別に、何だってするのに。

「……お弟子様?」

 指南役に声を掛けられて、眉間にめちゃくちゃ力が入っているのに気が付いた。慌てて首を振って、力を抜く。この人に八つ当たりしたって意味がないことくらい、俺にもわかる。

「先生、聞きたいことがある」
「……ええ、何でしょう?」

 ちょっと驚いたみたいだったけど、すぐににこにこと応じてくれた。俺みたいな孤児に教えてくれているだけあって、物腰は丁寧で貴族っぽいけど応用力の高い人だ。
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