馬鹿犬は高嶺の花を諦めない

phyr

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飼い犬、捨て犬、愛玩されたいわけじゃない

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 武器の作成依頼は済んだからウォツバルから出るのかと思ったら、しばらく滞在するみたいだった。町から出るなとだけ俺に言い付けて、師匠はあちこち出かけている。今日は、ウォツバルにいる聖女のところに行くと言って一人で行ってしまった。特におつかいも言い渡されていないし、何かしとけとも言われていない。
 ずっと宿に籠っているわけにもいかないから、俺も出かけて、どこに行くでもなく町を歩く。武器を買う必要がなければ武器屋に行く必要はないし、ヒューさんが渡してくれた剣は綺麗に研ぎ上がっているから、鍛冶師のところに行く必要もない。師匠がいないとやることがなくて、町を歩いても隣に師匠がいないから別に楽しくはない。

「あれ、君」

 どこかから聞こえた声にぽんと肩を叩かれて、驚いて振り返った。知っている人間の気配はわかるはずなのに、こいつは全然引っ掛からない。

「……魚料理の店、聞いてきた人」
「覚えててくれたんだ!」

 王都を挟んで反対側にある町にいた人間が、何でここにいるのか。あの時は観光と言っていたけど、ウォツバルは観光に来るような町じゃない。一通りの観光地は回り尽くして、他に物珍しいところに行ってみたいとなった時に初めて候補に挙がるような、そういうところだ。
 不審なものを見る気持ちを深める俺とは裏腹に、相手は気安く肩まで組んでくる。

「また会えて本当に嬉しいよ! 昼時だし、良かったらさ、一緒に食事でもどう?」

 断ろうと思ったのに、何故か頷いていた。何で、と思っていても勝手に足が動いて、俺一人だったら入りそうにない小洒落た店に連れて行かれる。奥の方のテーブル席に案内されて、メニューを見せられてもよくわからなくて、相手に任せておく。
 いつもなら、俺がメニューを見て師匠のためにあれこれ選ぶのに、文字を見ても頭に入ってこない。

「君、あれだよね、英雄の弟子」
「……そう、だけど」

 テーブルの上に手を置かされて、その上に相手の手が乗っている。どう見ても変なのに、振り払えない。会って二回だし名前も知らない相手に、普通はこんなこと、しない。

「僕はピーターって言うんだけど、君の名前は?」
「…………あんたに名乗るような名前、ない」

 実際、俺には名前がない。クロイチは呼び名であって名前じゃないし、孤児仲間にしか呼んでほしくない。
 頭の中がもやもやする。しゃっきりしたくて体に力を入れたら、目の前に座っている男が少し目を丸くして、それから微笑んだ。

「英雄に心酔してるんだねぇ……それとも躾けられちゃってるのかな? ねぇ、どれくらいイイの?」

 いいって何がだ。聞き返したいのに、声を出そうとするともやもやが強くなるから、目だけで睨む。男の手が、俺の手の甲を撫でる。

「英雄のアレってそんなにいいのかな? でも、僕の方がもっと君を気持ち良くしてあげられると思うよ?」

 何の話だ。気持ちいいとか気持ち良くないとか、現時点で最悪の気分だから手を離してほしい。目を開けているのもしんどくなって、けどもやもやするのが気持ち悪いから、奥歯を噛んで抗う。

 たぶん、絶対、こいつが、俺に何かしてる。

 全力で何かを押し返そうとしているのに、どんどん入ってきて、何か言ってるのに素直にうんうん言えばいいような気持ちになって、でも、違う、やだ、俺がうんって言いたいのは師匠だけだ。

「……思ったより強情なんだね……」
「まったくな。扱いにくいったらありゃしねぇ」

 気持ち悪い手が離れて、代わりに何かが触った。周りでばたばたと音がするけど、何が起きているのかよくわからない。今触ってるのは、気持ち悪くない。

「……落ちつけ。今テメェを掴んでんのは俺だ」
「し、しょ」

 椅子から抱え上げられて、肩を貸してもらったけどまっすぐ立つのもきつい。師匠が近いはずなのに、感覚全部が鈍って壁一枚隔てているように遠い。

「あー……無理か」

 体を動かされて、足が地面から浮いた。これ何だ、おんぶ? 煙草のにおいがしないけど、師匠のいいにおいがする。

「ししょ……」
「宿帰るぞ。寝たきゃ寝ろ」

 師匠が寝ていいって言ったから、もう、大丈夫。
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