馬鹿犬は高嶺の花を諦めない

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飼い犬、捨て犬、愛玩されたいわけじゃない

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「……これで大丈夫だと思います。あとはゆっくり休ませて、回復させてあげてください」
「助かりました」

 誰かの声と、師匠の声がして、それから扉が開いて閉まる音がした。最初に聞こえた声の誰かが、出ていったんだと思う。ゆっくり目を開けたら、宿の天井だった。ベッドに寝てて、光が少しオレンジっぽいから、夕方になってるらしい。
 師匠がここまで運んでくれたんだろうか。寝る前に師匠がおんぶしてくれたような気がするけど、感覚がおかしくて全然よくわからなかった。師匠におんぶしてもらえるなんて、ガキの頃以来なのに。もったいない。
 今はすごく怠いだけで、ちゃんとものが見えるし、寝ている布団の感触もわかる。

「起きたか」

 扉のところから戻ってきた師匠が、ベッドの傍にあった椅子に座った。いつものように長い足を組んで、煙草、は持っていない。

「師匠……!?」

 瞳が金色だ。
 慌てて起き上がったら、問答無用で頭を押さえ付けられてベッドに戻された。けどその力もいつもより弱いような気がして、不安が増す。
 長期間の眠りに入る前、師匠の目は大概金色になっている。

「落ちつけ。説明してやる」

 まず、俺に声を掛けてきた男について。
 あれは異国の間諜で、俺を英雄の弟子と知って、少し前から異国に連れ帰ろうと狙っていたらしい。けどいつもは師匠がいて手を出せないから、ついに焦れて直接接触してきた。そこで師匠が、逆に相手を罠に掛けるために、わざわざウォツバルまで大移動して、あえて俺を一人で行動させて囮にした。引っ掛かった相手とその一味を、モンドール家の人を借りて一網打尽にしたらしい。

 今知ったけど、モンドールさんの家は代々この国の諜報活動を担っているそうだ。

「捕まえたもんをどうするかは知らねぇけどな。まあ、使えねぇなら適当に始末すんだろ」

 そこで一度ため息を漏らして、師匠が眉間を揉む。やっぱり体が辛いんじゃないかと思うけど、今起き上がってもまたベッドに戻されるだけだ。
 悔しくて眉を寄せていたら、指でぐりぐりと皺を伸ばされた。

「次、に……テメェの体だが」

 俺はあの間諜から、魔術を掛けられていたらしい。体に触れて発動させるタイプのもので、だから肩を抱かれて断れなくなったり、テーブルの上で手を触られて上手く動けなくなったりしたみたいだ。掛けられた魔術自体は、さっき出ていった人、ウォツバルの聖女が解呪してくれたらしい。

「ただ、テメェの魔力で対抗したから、掛かりが悪かったみてぇだな。最後まで抵抗してたようだし」
「……俺、魔力持ってたの?」

 魔力というのは、誰でも持っているようなものじゃない。ごく稀に魔力を持っている子供が生まれて、その中でも魔術を使えるほどの魔力持ちはさらに少ないと言われている。だから奇跡みたいな回復魔術を使える聖女も、聖女見習いもすごく珍しくて、大事にされる。
 俺が師匠から教えてもらっていたのはそれくらいで、俺が魔力を持っているなんて聞いたこともなかった。

「ある。つーか……たぶん、習えば魔術使えんじゃねぇか」

 師匠が二の腕を擦っている。体がしんどいんだと思う。どうにかしたくてベッドから起き上がったら、今度は戻されなかった。もしかしてもう、そんな余裕もないのかもしれない。

「師匠、後で聞くから、もう寝てほしい」

 そっと手を取ったら、熱がある時みたいに熱かった。ちょっと怠いだけの俺なんかより、師匠の方がよっぽど具合が悪い。なのに手を払われて、師匠がため息を吐く。呆れてるんじゃなくてたぶん、体調をごまかすためだ。

「……俺に、魔術は教えられねぇ。お前が習いてぇなら知り合いに」
「俺の師匠は!」

 師匠が肩を揺らして言葉を止めた。俺も、思ったより強めの声が出て驚いたけど、これは言わなきゃいけないことだ。

「俺の師匠は、クライヴ・バルトロウだけだ。他はいらない」

 別に、魔術を習うからってその相手に弟子入りしなきゃいけないわけじゃないと思うけど。けど、俺の師匠はこの人だけで、この人以外は欲しくない。
 目を丸くしていた師匠が、そうか、とぽつりと呟いた。その顔がいつもより無防備で、参ったなとでも言いたげに少し笑っているように見えて、もう一度師匠の手を取った。今度は、振り払われなかった。
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