秋くん

津田ぴぴ子

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秋くん

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わたしは小学校に上がるまで、父の実家に住んでいた。
築百年をゆうに超える、古い木造二階建ての家屋で、トイレと風呂に行くには外履きに履き替えなければならないのが不便だった。子供のわたしが家の中を少し走っただけで床板がぎいぎいと軋むので、今にも足元が抜けてしまうのでは、とおっかなびっくり歩いていたのを良く覚えている。

玄関を上がるとすぐ、横に二間続きの和室がある。普段は、向かって右側の和室を居間として使っていた。その右端に寄り添うようにして、人が擦れ違えないほど狭く、細長い簡素な台所がある。
左側の和室には神棚と、その真下にある棚に賞状やトロフィーの類が飾られていた。その内容に関しては、あまり覚えていない。
その棚の隣に、やたらと分厚い引き戸があった。中は大層広い和室で、お盆や正月、冠婚葬祭などで家に親戚が訪れると、彼らはその部屋に布団を敷いて寝る。引き戸を開けると、すぐ右側に大きな仏壇が佇んでいたから、仏間も兼ねていたのだろう。
広さの割に窓が一つしか無く、引き戸を閉めて電気を消して仕舞えば昼間でも薄暗い。部屋の奥には磨り硝子の引き戸があって、そこから先は物置だと聞いていた。

親戚が訪れると、両親も祖父母も忙しく動き回って相手をしてくれなくなるから嫌だった。やっと落ち着いたかと思えば酒を飲んで、おおよそ普段からは考えられないほど馬鹿騒ぎをして、最終的にさっさと寝てしまう。親戚には歳の近い子供もおらず、わたしは毎回、酷く退屈していた。


あれは、わたしが五歳の時の盆のことだった。墓参りを終えて早々に酒盛りを始めた大人たちの喧騒から逃れて、わたしは仏間でひとり絵を描いていた。落書き帳はいつもチラシの裏で、新聞に付属してくる数十枚のチラシの中から、裏がまっさらなものを探すのが楽しみだった。
畳に直に紙を置いていたから、クレヨンの線が上手く引けない。

ふと、視界に細い足が映った。
顔を上げると、色の白い、同い年くらいの子供がわたしを見下ろしている。その子供は浴衣のような薄い生地の着物を着ていたが、その色はおおよそ子供が好むようなものとは思えない、暗くくすんだ青だった。長い前髪がべったりと顔に張り付いていて、顎先まで伸びた黒い髪を、切れかけの蛍光灯が明滅しながら照らしている。
親戚の誰かの子供だろうか、と思った。来た時は気が付かなかったけれど、もしかしたら大人の影に隠れて見えなかっただけかもしれない。
その子はわたしの目の前に蹲み込んで、その信じられないほど華奢な手を差し出して、薄く笑った。
「いっしょにあそぼ」
絵にも飽き始めていたわたしは、迷うことも無くその手を取った。夏だと言うのに異様に冷たいその指先に違和感を覚えることも無く、わたしは手を引かれるまま立ち上がる。

わたしよりも少し背が高いその子は、あきと名乗った。わたしの手のひらを人差し指でなぞりながら、春、夏、秋、の秋だよ、と教えてくれた。
秋ちゃんとは色々な遊びをした。鬼ごっこ、お絵描き、──トランプを知らなかったことには酷く驚いたが、ルールを教えてあげるとすぐに覚えた。
年を聞くと、六つだと言う。
秋ちゃんは、隠れんぼが得意だった。秋ちゃんが隠れる側になると、わたしは十数えた後にあらゆる場所を探した。浴槽の中、屋外にある物置、二階の押し入れ、祖父母の部屋の布団の中。どこを探してもいなかったのに、わたしが降参、と叫ぶと、どこからか歩いてくる。逆になっても、わたしが頭を捻って考えついた完璧な隠れ場所をあっという間に見抜いて、なっちゃん、とわたしを呼びながら顔を覗き込んでくるのだ。そして出会った時と同じように手を差し出してくる。

盆が終わって親戚が帰ってからも、秋ちゃんはまだ家にいた。そのことを秋ちゃんに聞いてみると、もっと遊びたいから、と返された。わたしは、夏休みの間はこの家に泊まることになったんだと解釈して、それ以上追求することは無かった。
夏休みを超えても秋ちゃんはずっと家にいたが、それを大人に聞くことで秋ちゃんが帰ってしまうのが嫌だった。だからわたしは何も聞かずに、毎日幼稚園から帰ると秋ちゃんと一緒にトランプをしたり、折り紙をしたり、隠れんぼをしたりした。

そして冬に入る頃、わたしは翌年四月に控えた小学校入学に備えて祖父母宅を離れ、両親が新しく建てた家に引っ越すことになった。
そのことを伝えると、秋ちゃんは悲しそうな顔をして、繋いでいた手を強く握って来た。わたしはその細い手を握り返して、お盆や正月は帰ってくるから、と秋ちゃんを宥めた。

引越しの日、準備でばたつく両親と祖父母から離れて、わたしは黄色の折り紙で蛙を折って秋ちゃんに渡す。マジックペンで顔を描いたが、妙に気の抜けた顔になってしまった。
「次会ったら、また隠れんぼしようよ!わたし絶対勝つから!」
「なっちゃん、隠れるのへただもん。すぐ見つかるよ」
「わかんないじゃん、わたし春から小学生だよ?」
「……なっちゃん」
「なあに?」
「約束、ね」
わたしがそれに大きく頷いた時、両親がわたしを呼ぶ声がした。
家の前に停められた父親の車の後部座席に乗り込むと、開いた窓から祖父母が腕を入れて頭を撫でてくる。また来いよ、いつでもおいで、と言う二人の言葉に頷くと、父は車のエンジンをかけた。
ずっと手を振っていた祖父母の影に隠れるように、秋ちゃんがじっとわたしを見て、何か言っているのが分かった。
わたしは泣きそうになるのを必死に堪えて、母に怒られるまで窓から身を乗り出して秋ちゃんに手を振っていた。

結局それから、わたしが父の実家を訪れることは無かった。母に取って父の実家や祖父母は好ましいものとは言えなかったようで、盆や正月は母の実家に泊まりに行くようになった。わたしはかなりごねたのだが、距離を理由に連れて行っては貰えなかった。秋ちゃんのことを言うと変なこと言わないのと酷く叱られるので、わたしはいつしか、秋ちゃんのことを口にするのを止めた。そして小学校に上がったことで出来た友人たちと日々を過ごすうちに、秋ちゃんのことはすっかり記憶の端っこに追いやられていった。




あれから、二十年余が経とうとしている。
その祖父母の家だが、今年の春に取り壊されることになった。祖父母も高齢で、あの古い家に二人きりで住み続けるのは危ないのではと、父を含めた兄弟全員で話し合った結果だと言う。詳しい経緯は知らないが、祖父母はわたしの家に住むことになるらしい。
ふと、秋ちゃんのことを思い出した。あの子はあれから、どのくらいあの家にいたのだろうか。秋ちゃんはわたしの一つ上だったから、今は二十五か六ほどになっている筈だ。

そしてその家の片付けも兼ねて、親戚一同がもう一度祖父母宅に泊まることになった。物置なども全て空っぽにしなければならないから時間も掛かるし、人手がいる。それにわたしも駆り出される羽目になったが、わたしは二つ返事でそれを了承した。親戚の集まりなら秋ちゃんも来るだろうし、子供の頃のことではあるが、約束を破ったことは事実だ。一度謝っておかなければならない。

二十年振りに訪れる家は、記憶の中のそれと全く同じ姿でわたしを出迎えた。それを母に言うと、元々古い家だったしねえと笑われる。
秋ちゃんの姿は、どこにも見えなかった。
それを聞く暇も無く皆で手分けをして家の中を整理して、物置の中のものを選別した。わたしの家に持っていくものと近所の人にあげるもの、捨てるもの。幼い頃に遊んだ覚えのある玩具を前にして中々進まなかった片付けも、夕方に差し掛かる頃には全て終わった。

左側の和室に大きな卓袱台を二つ置いて、皆でスーパーで買った惣菜の詰め合わせと寿司をつつきながら酒を飲んだ。父の姉──伯母が、わたしの顔を覗き込む。
「なっちゃん、ちょっと前までこーんなちいちゃかったのに、もうお酒飲めるようになったの」
早いねえ、とビールの缶を煽る伯母に笑いながら返事をして、わたしは隣にいる祖母の肩を会話に巻き込むように軽く叩いて口を開いた。
「ねえ、ばあや」
「なした?酒ねくなったの?」
「んーん、あるけど、……あのさあ、わたしが小学校に上がる前、ここに住んでたでしょ?」
「んだなあ」
「お盆くらいからさあ、秋ちゃんって子とずっと遊んでたんだけど、どこの子なの?今日来てない?わたしさあ、また遊ぼうって約束してたのに来れなかったから、申し訳なくてさ……」
わたしの話に、伯母は首を傾げる。
「秋ちゃんって?誰?そんな子いなかったよ」
「え、嘘、いたって。わたし毎日遊んだんだよ?夏休み終わってもずっといるから、何でだろうなーとは思ってたけど、……前髪長くて、すっごい細くて、浴衣みたいな、地味ぃな着物で」
わたしがそこまで言うと、相当酔った様子の母が口を挟んできた。
「そういや五歳くらいの時のあんた、結構変だったよね。何もないところに話しかけたり、仏間で一人で笑ってたりして。もう心配で、お医者さんに相談したわよ。小さい子供ならそう言うこともありますよって言われて終わったけど」
そう言えば、秋ちゃんと他の大人が話しているのを、わたしは一度も見たことがない。わたしが引っ越した当日も、祖父母は背後にずっと立ち竦んでいる秋ちゃんを気に掛けもしなかった。
まるで、見えていないかのように。
「座敷童っつーやつだべか。なっちゃんと遊びたくて、出て来たんだねえ」
祖母がしみじみとそう言うと、母は下らないとでも言いたげに溜息を吐いた。
座敷童。話には何度か聞いたことがある。古い家に居付くと言う、子供の姿をした妖怪だ。悪戯好きで、住み着いた家に繁栄を齎すとされているが、どうもこの家は例外だったらしい。
祖母の言葉を寿司と一緒に口の中で転がして、どうにか咀嚼した。普通の、生きた人間だと思っていた。大人になって考えてみれば不自然なことだらけなのに、当時はそんなことを考えもしなかった。幼い頃の自分のあまりの浅慮さに苦笑して、わたしは酒を煽る。


酔いが回ったふわふわとした頭で、何とはなしに仏間に入った。両親や親戚は話に夢中になっていて、わたしの方を気にしもしない。仏壇を含む部屋の中のものはすっかり片付けられてしまったようで、がらんとしただだっ広い和室が目の前に広がっていた。
わたしは押し入れを開けて、身を屈めてそこに入り込む。戸を閉めて、膝を抱えた。
思い返せば秋ちゃんと隠れんぼをしている時、わたしは大抵ここに隠れて、大声でもういいよ、と叫んでいた。それでは見つけてくださいと言っているようなもので、秋ちゃんが隠れるのが下手と言ったのにも頷ける。
「もう、いい、よ」
わたしは無意識にそう口にしていた。目を閉じると、過去のことが鮮明に思い出される。
黄色い折り紙の蛙、その気の抜けた顔、それを大事そうに持つ秋ちゃん、祖父母の後ろで、秋ちゃんがらしくなく目一杯口を開けて何かを叫んでいた。何を言っていたかは聞き取れなかったけれど、その口の動きだけなら覚えている。
「つ、ぎ、に」


次に会ったら、連れていくよ


目を開ける。
連れていくって何だ?
背中に嫌な汗が伝って、押し入れを出ようと身動いだ。
床に手を付いたわたしの指先に、何かが触れる。見ると、そこにはぼろぼろになった黄色い蛙が、相変わらず気の抜けた顔でわたしを見上げていた。
「みぃつけた」
いつの間にか少しだけ開いていた押し入れの戸から、生白く、細い足が覗く。
べたべたとした黒く長い前髪の奥で空洞になった眼窩を目一杯細めた秋くんが、やっぱり隠れるの下手だね、と笑った。
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みんなの感想(1件)

藤森馨髏 (ふじもりけいろ)

面白かった。

中盤までは有りがちな話だなと思って読んでいて、後半「ここからが小説だ」と期待したことは裏切られなかった🎵

人間は、死を予見できないうことなのでしょうか?
それとも、この世の者ではない相手を呼んでしまったことが、いけなかったのか?

怖かったです😭が、面白かったです😃🎵

津田ぴぴ子
2021.07.15 津田ぴぴ子

感想とお褒めの言葉、とっても嬉しいです。
こういう話が好き、というのを詰め込んで書いたので、怖がっていただけて良かったです。不用意に過去の再現をするものではありませんね。
読んでいただいてありがとうございました!

解除

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