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しおりを挟むヴィクトルの暴挙に場は一瞬静まったあと、ザワついた。
男子生徒が小声で言う。
「『ブラッドロー辺境伯』って言ったような……?」
そう、ヴィクトルが手袋を投げ付けた相手は、ブラッドローはブラッドローでも『パーシヴァル・ブラッドロー』である。
ブラッドロー『辺境伯』ではない。
だが辺境伯は今しがたまでずっと男子生徒と喋っており、ご指名のライラ・ヘンリソン嬢と仲睦まじく話していた(※小声で話していた為そう見えた)のは彼。
しかも彼はイケメン。
ヴィクトルの気持ちは知っていても、ライラの気持ちなど当然知らない学生達にしてみれば、彼が相手を間違えたのか、敬称を間違えたのかすらわからず……まずその事に困惑した。
((((どっちなんだろう……))))
ヴィクトルはルーファスの顔を見たことが無かった。パーシヴァルはルーファス程では無いが身長も高い。
死を覚悟し、勢いで行った彼の脳内にチラリと過ぎった(あれ? イケメンじゃね?)は、敢え無く霧散していた。──こういうところが『真正面からの勝負じゃなければ勝てない』ひとつの原因だろう。
「なにやら勘違いしているようだが……」
「私はターナー侯爵家次男、ヴィクトル・ターナー! 我が名を賭けて貴殿に決闘を申し込む!」
「うわ、名乗られた……」
パーシヴァルがチラリと主とライラの方をそれぞれ見ると、ルーファスは鬼の様な形相で驚いており、ライラは固まっている。
次に周りを見ると、皆訳がわからずオロオロしているか呆然としているか。
そしてヴィクトルは、覚悟を決めた実に男らしい瞳をして自分を待っている。
……話になりそうもない。
ターナー侯爵は他に外せない用事があった為、この場にいないことが唯一の救い。
「──まあいいや、余興ということにしておこう。 来なさい」
そう言うと、パーシヴァルは中庭の方へヴィクトルを促した。
主の手は煩わせない……というよりも、ルーファスは手加減があまり上手くない。ローズマリーの想像通り『ドスグチャー』とまではいかなくても、余興で済まなくなる可能性は大いにある。
剣を抜き、構えるヴィクトルにパーシヴァルはヒュウ、と口笛を吹いた。
「へぇ……なかなかできそうだ。 君、北に来るんだっけ? 楽しみだなぁ」
「……」
集中しているヴィクトルは、それには応えない。
「アイツ……!」
「ああ、マジだ」
ヴィクトルはここにいる男子達の誰より強く、止めるにはあまりに遅かった。集中している彼に迂闊に手を出したら──斬られる。
周囲は始まってしまった決闘を、固唾を飲んで見守るしか無かった。
(馬鹿……! どうせ殺るなら辺境伯にしなさいよ!! あの男なら殺られるとも思えないし! ……ああどうしよう! このままじゃ勘違いでヴィクトルは人斬りになっちゃう!!)
ローズマリーは相手が変わったことでヴィクトルの勝利を疑ってはいないが、その分、別の不安に頭を抱えた。
なんせ、決闘。
相手が姉を誑かしている辺境伯だからいい(※あくまでローズマリーの身勝手な理屈であり、駄目に決まっているが)わけで……
怪我を負わせて『勘違いでした』じゃ済まされない。
──だが、それは杞憂に終わる。
「どうしたの? 来なよ」
剣を抜くこともなく、パーシヴァルは挑発とも取れる言葉を発する。
その口調も表情もよもや決闘の場とは思えぬものだが……ヴィクトルの手にはじっとりと汗が滲んでいた。
パーシヴァルのナリは優男風だが、彼が養子として伯爵家に入ったのは幼少時から。ルーファスと幼馴染なのも、経験を積むため、公爵家嫡男だったルーファスの護衛の役割を任されていたからである。
ルーファスが剛ならパーシヴァルは柔。
彼はルーファスが辺境伯家に入ったことで、役割的にも有効であると、その太刀筋に磨きをかけていた。
──『不殺のパーシヴァル』……それが彼の軍部でのふたつ名であることは、あまり知られていない。
ちなみにパーシヴァルには『影中の影』だの『微笑みの悪魔』だの、なんだかよくわからないふたつ名がいっぱいある。
(養子とはいえ……流石に『北の総司令』というわけか……)
いや、それは違う。
惜しいけど違う。
(だが……ライラ様への気持ちは……!!)
確かに、勝っている。
その点では絶対勝っている。(※相手がパーシヴァルなので)
パーシヴァルの圧に額から落ちた一雫──その瞬間にヴィクトルは大きく踏み込んだ。
懐よりも向かって左側。
未だ剣を抜いていないパーシヴァルの対応しにくい位置を目掛けて。
相手を格上と看做したヴィクトルに、躊躇はない。
しかし次の瞬間──
ふっ、と軽く息を吐いたパーシヴァルは、右足を半歩だけ斜め後ろへと下げる。
身体を捻りつつ剣を抜き、逆腕でヴィクトルの背中を軽く押した。
前のめりになった彼が体勢を素早く立て直すも、既に喉元には切っ先。
「……これで満足かな?」
「……!」
ヴィクトルの太刀筋は鋭く、 踏み込みや動作も早かった。
だがそれをものともしない、パーシヴァルの圧倒的な勝利──
静まり返る会場の方を向き、パーシヴァルはゆっくりと優雅に礼をし、微笑んだ。
「皆様……北のこれからとパーティの盛り上げに一役買ってくれた、ヴィクトル・ターナー様の余興に盛大な拍手を!」
「余興……」
「余興……?」
「余興……!」
つまり、『余興』ということにしたのである。
貴族子息とはいえ、脳筋達の多い男子達は飲み込むのが若干遅かったが、場を当たり障りなくまとめる『貴族あるある』が発動され、場は拍手喝采に包まれた。
呆然としているヴィクトルに、パーシヴァルはゆっくりと手を差し伸べる。
「──参りました……」
項垂れながら手を取るヴィクトルが顔を上げ、泣きそうな顔でそう言うと、パーシヴァルはふっと笑って小声で告げた。
「言っとくけど、主は俺より強いよ?」
「……え?」
「ヴィクトルうぅぅぅ!!!!」
そこにローズマリーが勢い良く走ってきた。ヴィクトルの腹に激突する形で。
「ゴメン! 流石にゴメン!! 私、考え無しだったわ!! でも馬鹿! アンタ馬鹿!!」
「は? えっ!?」
初めて生で見た真剣による勝負に、『決闘』の重みをようやく感じたローズマリーは、泣きながらヴィクトルに謝った。
──ただし、それをわかっていながら決闘をしたことと、あまつさえ相手を間違えたことに対して責めるのも忘れないが。
ローズマリーが泣くのも謝るのも最早遠い記憶の彼方にしかない。ヴィクトルは、パーシヴァルの台詞が気になりつつも、ローズマリーを放れず……ただオタオタしながら、交互にせわしなく視線を動かすことしか出来なかった。
そんなこんなで、ヴィクトルの勘違いとパーシヴァルの機転により終わったかに見えた『余興』だったが……
「パーシヴァル」
「え」
──パサリ。
再び彼の元に、手袋が投げられる事になるとは……誰も予測していなかったのである。
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