北の辺境伯と侍女

砂臥 環

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 ヘンリソン侯爵家に5年も帰らなかったライラだが、家族仲は非常に良い。逆に『だからこそ5年も帰らずにいれた』のだと言っても良いだろう。
 家族の変わらぬ愛情と信頼──それは頻繁にやり取りする手紙で十二分に感じられたから。

 特に今年デビュタントの妹、ローズマリーからは、毎週必ず便箋10数枚にわたる分厚い手紙が届いている。



 ローズマリー・ヘンリソンは王立学園に通う、ライラの妹。



 ご想像通り彼女の自慢は『姉』、自身に関しては『姉と同じ琥珀色アンバーの髪』という、筋金入りのシスコンである。

 その為敬愛する姉ライラの帰りを心待ちにしていたのだが……帰ってきた姉は父に連れられたまま、なかなか戻って来ない。
 暫くしてようやく広間に戻ってきたのは、父だけ。しかも『ライラは疲れているから夕食ディナーまでそっとしておきなさい』とのこと。

 (北の辺境伯ヤツのせいに違いないわ……)

 荷物を山の様に辺境伯家の従者が運び入れると、玄関ホールにすら入ることは無くあっという間に帰ってしまったブラッドロー辺境伯……挨拶に乗じて、その評判の御面相を見てやりたかったが、それは叶わなかった。

 ローズマリーは今、社交界デビューの為に美しく整えられた爪をギリリと噛み締めながら、敬愛する姉の部屋の前をひたすらウロウロしている。

 聞こえてきた彼の台詞が気になって仕方がない。

 彼女はあの台詞を『ライラを娶る』の意として捉えていた。



(私の美しく聡明な優しいお姉様を誑かした北の辺境伯……許すまじ! そもそも5年間もあんな僻地の、凍りつくような北の大地に……! それだけでも許せないと言うのにあの男ときたらよくもぬけぬけと……!!)


 ──麗しき我が姉は辺境伯に誑かされ、遠い北の大地でその白魚のような手をかじかませ凍えながら、たおやかな細い身体に鞭打ち、侍女としてボロ布の様に酷使させられていたというのに……!


 なんかそういうことになってたし、北の辺境伯はそんな感じの非情な男になっていた。
 ローズマリーの中で。

 手紙のやり取りの中で、ライラは散々『今週の旦那様♡』について熱く語っているのだが……『誑かされている』と思い込んでいるローズマリーには通用しない。

 彼女は辺境伯の『碌でもない噂の方』ばかりを信じているのだ。

(夜な夜な処女おとめの生き血を吸っているという噂もあるわ……はっ! 姉様は食糧として備蓄されているのでは!? 結婚したら、通常の男女のソレとは違う意味で食べられてしまうに違いない!! ……なんて恐ろしいの!)

 とんでもない言い掛かりである。

 学園生活で触れ合うのは当然ながら学生。
 実際に辺境伯に関わる機会がないので仕方ないが、ローズマリー自身にも原因があった。

 それは、彼女が重度のシスコンであるが故。

 5年も自分から愛する姉を引き離した、憎き辺境伯へのヘイト情報を無意識に欲していたので、碌でもない噂の方ばかりしかちゃんと聞いてないのだった。


 休んでいるのを邪魔したくはないが、様子は窺いたい──それよりなにより姉と触れ合いたくて仕方ないローズマリーは、思い切って扉をノックした。

 「お姉様、ローズです!」
 「……ローズマリー?」

 項垂れていたライラは、そこでようやく我に返った。
 王都までの興奮とそれによる疲れ、諸々の懸念、更にルーファスの爆弾発言により、マトモに家族との再会を果たしていないことに気付く。

 慌てて扉を開けるとそこには、妹ローズマリーの美しく成長した姿。

 「まぁ! ローズマリー!! すっかり綺麗になって!!」
 「お姉様~♡♡」

 ライラの笑顔に、先程までの鬼のような形相を弾けるような笑顔に変えたローズマリーは、ライラの豊満な胸に飛び込んだ。
 ほぼタックルである。

 「ぐふぅっ!!」
 「きゃぁぁぁ! お姉様ごめんなさい!!」

 なんとか倒れずに持ち堪えたライラは、胸部を擦りながらなんとか「いいのよ……」と辛うじて返し、妹の頭を撫でる。


(……こんなに大きくなって)

 ライラは変わらず甘えてくる妹の、タックルの勢いと撫でる頭の位置に、否応なく実感させられていた。

 ──5年という期間が長いものであることを。

(私は今まで何をしていたのかしら……)

 5年間の辺境伯家での生活は充実しており、目まぐるしく過ぎて行った。その充実に、いつしか目的を見失っていた事に気付く。

(旦那様の言葉の真意は多分……それにショックは受けたけれど、同時に『近付けた』とも感じてしまった……またそこで満足してしまうところだったわ)

 それは、気持ちを切り替えるには充分な気付きだった。

 「……お姉様?」

 成長した自分ローズマリーの髪を撫でながらもどこか遠くを眺めるような姉に、ローズマリーは不安げに声を掛ける。
 ライラはそんな妹に笑顔を向けると、以前していたように彼女をギュッと抱きしめた。

 「……う~ん、私より小さいとはいえ、もう振り回すのは無理そうね! 」
 「ウフフ! お姉様ったら♡」
 「立派なレディになって……そうだわ、あなたのエスコートのお相手はヴィクトル様?」
 「不本意ながら……」

 ヴィクトル・ターナーはターナー侯爵家の次男で、ふたりの従兄弟にあたる。




 特権階級のタウンハウスは、王都の一角に連なって建てられているものが殆ど。
 余談だが領地を持たない王宮勤めの爵位持ちはこの国では『役職貴族』や『宮廷貴族』と呼ばれており、王都の栄えた部分から若干離れた所に邸宅を構え、家族を住まわせていることが多い。

 また、ある程度高位貴族になるとやはりそれなりの大きさの邸宅を郊外に持っている。そうは言っても規模はカントリーハウスとは比べ物にならないほど小さいが、ブラッドロー家のタウンハウスはこれにあたる。

 侯爵の中でも歴史の長いヘンリソン侯爵家だが、領地が広いこともあって王都にいることは少ない。その為個人邸宅型のタウンハウスは王都に構えておらず、同派閥の貴族達と共に長屋型のタウンハウスを使用している。
 南角のいい場所が、ヘンリソン家だ。

 ターナー侯爵家のタウンハウスはその隣……その縁もあり、ダナンの妹はターナー家に嫁いでいる。
 うまりふたりの従兄弟であるヴィクトルは、タウンハウスでの幼馴染でもあった。

 「不本意だなんて……ヴィクトル様は素敵だ、とこちらでも耳にするわよ?」
 「あんな単細胞脳筋野郎が素敵だなんて、世の女性はどうかしてるに違いないわ!」

 現在17のヴィクトルは、ローズマリーの言う通り若干単細胞脳筋なところがないでもない。だがそんなところは、短気な直情型でお転婆なローズマリーも似ている。
 同属嫌悪とでも言うべきか、年齢が近く学校も一緒だが……どうも彼とは反りが合わないらしい。

 ライラはそんなふうに思っているけれど、ローズマリーが彼を気に食わない一番の原因は、ヴィクトルの憧れの女性がライラであること。

 「──はっ!!」
 「どうしたの? ローズ」
 「ちょっとそこまで出掛けてきます!! お姉様はゆっくりなさって!!」
 「え? ええ……」

 そう言ってローズマリーは扉を開けると、階段を走り降りる。
 急に踊り場で止まると、一旦戻って来て「今日は一緒のベッドで寝ましょうね♡♡」となし崩し的に約束を取り付けてから、再び走って何処かに行ってしまった。





 「……あんまり変わってなかったわ……」

 レディになったのは、見た目だけだった妹、ローズマリー。

『人はそう簡単に変わらない』──そう見せ付けられた気がして、自分のこれからにも若干の不安を抱いたライラであった。


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