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キャロル視点⑦『ルールと主導権』
しおりを挟む「いってきます……愛しい人」
そう言ってエミールは私の額にキスをし、出かけて行く。
出かけるとは言っても王宮内の移動だけだが。
廊下を歩く騎士様の背中は大変に嬉しそうで、何度も振り返って私に手を振った。
(いいからさっさと行けよ。 浮かれポンチか)
振り返りが三度を越すと、流石にそう毒づかずにはいられない。
こちとら扉の横で、一応は廊下を曲がるまで見送ってやろうと立っているというのに、いくらも進んでいないじゃないか。
私は諦めて扉を閉め、溜息を吐いた。
──彼にはそういうところがある。
同棲初日のあの日も……カーテン越しに私を抱きしめたエミールは、いつまで経っても離れようとしなかった。
(お前の『少しだけ』は何分なんだ……!)
痺れを切らした私は抱きしめていた枕を彼に押し付け、強い口調で言った。
「エミール……! 着替えたいので一人にしてくださる……?」
着替えた私とエミールはしばし話し合った。
自分の気持ちを自覚したからなのか、私は冷静さを取り戻せていた。
「ええと……エミール? 私は貴方と仲良くなりたいとは思ってはいるのですが、なにぶんスキンシップが多すぎです。 貴方は私を慣れた女だとでも……」
彼がそんな事を思っていないのはわかっているが、自分の正当性を確保すべく、敢えて自虐ネタを入れた。
「そっそんなこと! 親指と人差し指の指紋の溝すらも思っていません!!」
普通そこは二つの指に間をあけて『これっぽっち』と言うところだと思うが、彼は二つの指をギュッとくっつけ、激しく否定する。
「貴方がどう思っているかはわかりませんが、私とハロルド殿下……勿論レヴィウス殿下とも、そういった行為は一切ありませんでした。 ですから……」
念押しに操が未だ綺麗であることも付け加えたが、それはとんだ蛇足だった。
言葉を続けようとした私の耳に、ゴクリ、という音が聞こえ顔を上げると、餌を目の前にした獣のようなギラついた目でエミールが私を見つめていた。
「~~ッ?!」
(大型犬だとばかり思っていたら……)
もしかしたら狼かもしれない。
上げたばかりの顔を逸らし、私は続きを捲し立てた。
「ですからっ……そういうのには慣れていないので貴方の過度なスキンシップには戸惑いを禁じえません。 もう少し控えていただけませんか?」
エミールは私の言葉に真っ赤になって、あからさまにシュンとした。
その姿は叱られた犬のようで、やはり大型犬。
ついさっきまで獰猛な肉食獣のような目をしていた人と同じとは思えない。
私はおもわず『可愛い』とすら思ってしまった。
(くっ、これがギャップ萌ってやつか! ……騙されるな!!)
私の中で誰かが警鐘を鳴らす。
そもそもコレは自分の恥をさらしてまで使用した秘技、『クソ美形力封じ』だ。
萌えていては元も子もない。
思いの外ダメージをくらった。
(しかしこの秘技によってパーソナルスペースは確保できるはずだ……!)
そう思ったのも束の間。
エミールは謝ったにも関わらず、すんなりと意見を受け入れてはくれなかった。
「確かに貴女の言うとおりです。 ですがその……どこまでなら過度にあたりませんか?」
「え?」
いままでのはちょっとした暴走からの行為であり、基本的にはヘタレなのだと思っていた。
なので正直これは意外──というか寝耳に水。
「もっ勿論『白い同棲』ですから! そういった行為をヨシとしないのはともかくとして……私は、貴女に……触れたい」
「!」
「少しでいいんです。 挨拶にハグしたりとか……出掛けに頬や額にキスしたり、とか……駄目ですか?」
熱い視線を私に注ぎ、懇願するように苦しげに言う彼は妖艶で……やはりズルかった。
しかも既に私は自分の気持ちを自覚している。
好きな相手からそんな風に言われて「うん、無理無理、ダメ~」と言えるような鉄壁のメンタルを持ち合わせている程、私は『鋼鉄の乙女』ではなかった。
もうこのふたつ名は捨てよう。
グッバイ『鋼鉄の乙女』。
(……とりあえず)
私はお茶を濁すという選択で切り抜けることにする。
「え~、それは……おいおい?」
「そうだ、ルールを決めませんか?」
私のお茶濁し発言は被せ気味にスルーし、ここぞとばかりにエミールはグイグイくる。
どうやら彼が『14年も私を好きだった』というのは伊達じゃないらしく、私への付け込み方をコイツは知っていたのだ。
エミールは私に『1日1回のハグ』『1日4回(起きた時、寝る前、出かける時、帰ってきた後)の頬か額へのキス』の許可、それに加えて『いつでも手を繋げる権利』の主張を行ってきた。
「……それくらいなら、いいですよね?」
にっこり笑って彼は言った。
『それくらい』の部分への圧が凄い。
おいお前、ヘタレじゃなかったのか。
「……わかりました。 ただ、イキナリやるのはやめてください……」
私は渋々了承した。
正直慣らすのにはいいかな……とも思うが、負けた気がして納得がいかない。
小さく溜息を吐いてからチラリとエミールを見ると、非常に満足気な彼と目があった。
彼はおもむろに私の横に座ると手を差し出す。『繋げ』という無言の圧力。
そして彼は朝の分のキスをする、と言い出した。……終始笑顔のままで。
「ルール、ですから(ニッコリ)」
昨晩までは自分に都合の良い展開だとばかり思い込んでいたが、私は自ら獣の檻に入っていった肉に過ぎないのではないか……そう思うと若干背中が寒くなる。
この『白い同棲』は非公式であり、王宮内。
殿下方の配慮も充分なので噂にはなりにくいが、逆になにがあってもわからない危険も孕んでいる。
自衛には長けているので当初は心配してなかったが、今はヤツのお色気攻撃に勝てる自信が無い。
あんまりオアズケばかりではいつ襲われるかわかったもんではない。
彼の要求をある程度のんでおくのは悪いことではないという、苦渋の決断である。
そもそもエミールが要求を提示してきたことに驚きはしたものの、23歳成人男子の割に、実に紳士的な……ヌルめの内容だ。
徐々になし崩しにしていく可能性は勿論あるが。
(クソッ……)
エミールの満足そうな笑顔に私は複雑な気持ちになった。
嫌というより、単純に悔しい。
一週間経った今も、彼はルール以上のことはしない上、今しがた出て行った感じでもわかるように概ね満足そうではある。
二日目の夜「もうひとつだけルールを加えたい」と言われた時には戦々恐々としたが、それも『お互いに敬語をやめること』だった。
少しずつエミールとの距離が近づいている感はあるものの、結局のところ『私は恋愛経験が皆無に等しく、おまけにツンデレである』という事実は変わらず。
この生活の主導権は、最早ヤツに握られている。
私は夜、ソファの隣に座った彼に「手を握っていい?」と聞かれる度、冷静でいるフリをしなければならず、高まる心音や熱と戦いながら負けた気分になることに、どうしようもない歯がゆさを感じている。
それ以上は何もしてこないエミールに、流石に暴力をふるいたいとまでは思わなくなったことは幸い。
(だが……このまま負けた気分でいるのは性に合わん)
──イニシアチブを取りたい。
私は色々考えた末、再び人に相談することを決意する。
その相手はあの人だ。
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