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侯爵家での生活
フェルナンド視点⑧
しおりを挟む図書室で兄と出会した後。
その場ですぐ追い返してしまったものの、兄は自身の部屋にいた。
追い出す予定ではなく、兄は勝手に消えた。
どういう理由でかはともかく、戻ってくるのを見越して部屋はそのままの状態で維持されていた。
「まさか隠し通路から戻るとは思わなかったが……ニックはこのことを?」
「いや、知らないよ。 父と母すら知らない。 アレは私とお祖母様だけの秘密だ」
兄の部屋は元々祖母が使用していた部屋で、兄が14の時に譲ってくれたらしい。勿論理由は隠し通路だ。
悪戯心から作ったものなので、図書室、元・祖母の部屋、外へと続く出入口の三箇所にしか行けないそう。
外部出入口は目立たないところにあり、しかもいずれも鍵のついた三つの扉で構成されている上、三つ目は隠し扉だと言う。
このおふざけで不審者が入って来ては困る、という配慮のようだ。
「このことで君には後で会うつもりだったが、まさか図書室で会うとは思わなかった」
そう笑い、兄は俺に鍵を渡した。
「どこに続いてるかは確かめてみたらいい。 私は少し図書室に用事があるのだが……もう表から行った方がいいかな? 勝手に出て行った身としては、あまり目立ちたくないんだが」
「……兄さん、戻ってはこないのですか?」
兄は妙にあどけない顔で瞠目すると、破顔一笑。
こんな風に笑う人だったか?とこちらも驚く。
「なにを情けない顔をしているんだ? ……ああフェルナンド、やっぱり君は私の弟だなぁ」
「……!? 答えになってません!」
「大丈夫、君は上手くやっている!」
そう言って俺の肩をばしばしと叩く兄は、やはり変わった。
なんていうか、以前はもっと繊細な人だった。
『目立ちたくない』という兄に内心ホッとしつつ、それを口実に部屋に留まらせ、酒を酌み交わしながら色々話をした。
考えてみれば、初めてのことだった。
兄は自分のことになると、ほぼ全てのことに対しのらりくらりと躱していたが、ティアとのあれこれに対しては明確に否定した。
そしてティアの気持ちに対しても。
だがその根拠を求めると、『彼女を知ればそのうちわかる』と言って濁した後……
「でも君の見ているティアレット嬢は、もう私の知らない女性かもしれないな。 ただ、そうだとしたらそれは君が変えたんだ」
などと意味深なことを言い、最終的に「本人に確かめろ」と言われてしまった。
兄と会ってからスッキリした部分は確かにあったものの……その一方で、俺はまだティアに踏み込めずにいた。精神的にも、物理的にも。
少しずつ知っていく色々なこと。それは心地好く、生温い。
上手く行っている分、これ以上好きになるのが怖い。
……結局のところ、自分に自信がないのである。
ティアへの幻想じみた想いは生活を共にするうちに薄れていったが、代わりに気付いた部分はとても可愛らしく、愛おしい姿。
図書室でヨダレを垂らしながら眠った彼女の『違いますよ~、そこは笛ですにゃ~』という謎の寝言や、ヨダレを垂らしていたことを気付かれまいと必死になる姿。
夕餉の際にうたた寝し、フォークを落としたこと。
孤児院で子供に懐かれすぎて、鬼ごっこなどをいつまでも強要されたらしい。
その微笑ましい光景が目に浮かぶ。
社交は苦手と聞いていたが、そもそも人と対峙するのに緊張するタイプなのだと気付いたのは割と最近だ。
慣れない相手だと身分は関係なく、いつもより背筋を伸ばし、丁寧な所作になる。
とてもいじらしい。
そして、そんな彼女が目を自然に合わせてくれるようになったことに、喜びを隠せない。
向けられる好意がティアの努力によるものからでも、少しずつ受け入れて貰えている今……逆に『兄をどう思っているのか』などとは聞けなくなっていた。
「聞いたらいいじゃないですか」
ニックは呆れた顔で俺の切ない気持ちを一刀両断した。
「そんな簡単に……胸筋がズクンズクンするんだぞ!」
「その例え気持ち悪いからやめてください」
「例えではない!」
「いやっ、脱がなくていい!!」
「しかも緊張で下腿三頭筋が」
「捲るな捲るな!」
あの時兄が来たのは図書室で調べものをするためで、最終的にそれは新しい薬の開発に繋がった。次に来た時は、薬に使う薬草を育てるため、荘園を手に入れるのが目的だった。事業目的というより、薬草の生育上の問題らしい。
領としても有益だが着手したことはなく、まるっきり専門外。結局はなかなか大掛かりな事業になりそうな為、話し合いの末こちらに仕事が回ってくることになった。
婚姻まで三ヶ月、その準備もあるので大忙し……ティアにも仕事をある程度行って貰っているが、無理はさせられない。
終わりの見えない事務的仕事にニックと俺は疲弊しており、夕方になると少しばかりハイになる日が続いていた。
ニックは「男の足なんか見たくない」と言うが、俺だって見たくはない。
できればティアの足が見たい。
一度バルコニーで、寝間着姿の彼女を見てしまったことがある。本当に偶然で、ほんの僅かな時間の出来事。
あれは衝撃的だった。
何故あんな短い寝間着を着ているのか。
しかも似合う。最高にエロ可愛いが、誰かに見られたら大変だ。
「……殺すのは無理でも記憶を失わせるぐらいの処罰は」
「いきなり怖い! なんの話ですか?!」
「あし……いや、なんでもない」
「そもそもですね……ルルーシュ様への気持ちのある無しなど、どうでもいいのでは? ご自身がもっと近付けばよろしいでしょう」
「──」
確かにその通りではある。
だが、ティアもまだ俺の前で素を出そうとはしてくれない。
それが彼女の努力からだと理解しているだけに、なにをどうすれば心を開いて貰えるかがわからないのだ。
「物理的接触です」
「……!!??」
「初めての記憶というのは、鮮烈に残るものですから。 あっ、逆にコレ失敗するとヤバいやつですね、フェルナンド様には難しいか。 ハハハハ」
ニックの嫌味と乾いた笑いが響く。
「大体ふざけんなって話ですよ! フェルナンド様もルルーシュ様も愛だの恋だのガタガタ抜かしやがって!!」
そしてこちらが怒るより先にキレ出した。
「……ううっ……私こそ癒しが欲しい……」
最終的に泣き出す始末。……疲れているのだ。
「もうなんかスマン」
ニックが限界なので、兄には戻って貰うことにしよう──それを告げると一瞬目を輝かせたが、それをなかったかのように振る舞う。
「……私の力不足ですから! 出て行った方を気にする必要はありません!! 大体あの人が余計な仕事を」
「ニック! ……俺は大丈夫だ」
多分、ニックは俺を気にして言えなかったのだと思う。
彼は厳しいものの、俺の前で兄を褒めたり、兄と比べたりは決してしなかった。
「すまなかった……」
「いやっ、違います! クソッ……ああもう!!」
『これは涙じゃない、心の汗だ』というニックの男泣きに俺も、いよいよここまできたか、と涙を流す。
ふたり泣きながら仕事をしているところに、サミュエルが伝達にやってきた。平静を装っているが、若干引いている。
「我が主、婚約者様が『丁度三ヶ月、ふたりきりで今後のお話し合いがしたい』と……」
「!? ……
ふふふふ『ふたりきりで』……ッ?!」
「はい」
ふたりきりで!
ってことは当然……寝室!!
先程思い出したティアの寝間着姿が脳裏に蘇る。
別にやましい気持ちなど……ない!ちょっとしか!!
しかし美しいものが嫌いな人がいるか?!否!!
「 ──だが」
仕事は終わらない。
多分、深夜までかかる。
「……行ってください」
「ニック……」
「ただし……物理的接触とは言いません、なにかこう成果をあげてきてください! 今後の為にも!!」
「ニックゥゥゥ!!!」
俺とニックは抱き合った。
彼は騎士ではないがここは戦場……ふたりは今、戦友となった。
サミュエルは無表情のまま『湯の用意がありますので』と言ってそっと扉を閉める。
俺はキリのいいところまで仕事を終えると、ニックに十字を切って執務室を離れた。
ニックは「ばくはつしろ」と、涙を流しながらも笑顔で応えてくれた。
彼の犠牲は無駄にできない。
心置き無く兄を呼べるように、ティアとの仲を深めねばならない。
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