婚約者に逃げられました。

砂臥 環

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新たな婚約者

前途多難を感じるスタート

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「ティアレット様、こちらでございます」
「まぁ……素敵なお部屋……」

 案内された部屋は確かに素敵だった。
 私の語彙では表現し難いくらい、とにかく豪奢でありながら、上品。
 なのに落ち着けそうな感じなのは、ローラン夫人が私の好みを熟知しているからだろう。

 だが私は、ある一点を見て落ち着けなくなった。

 ──謎の扉が、ある。




(これはもしや……お隣への……)

「ローラン夫人、このお部屋は侯爵様御夫妻のお部屋なのでは?」
「いいえティアレット様、ご心配なく。 若君御夫婦用の部屋でございます」

(フグゥッ!!)

 ──全く『ご心配なく』でもない答えに、あらぬ声を出しそうになった。

「へ……ヘェェー、ソウデスカー(棒)」

 しかし、こうもにこやかにサラリと言われてしまっては最早返す術がなく、辛うじて笑顔で返すも、笑えている気すらしない。

「大丈夫ですわ、お嬢様。 内鍵はついておりますから」

 ……どうやらからかわれただけだった模様。

 くすくすと笑いながら、ローラン夫人は隣に続く夫婦用の寝室を開けてくれた。

「勿論ご使用頂いても構いませんが、当然お嬢様の部屋にもベッドはございます。若君が夜中に訪れることはあるかと存じますが、鍵を開けるかどうかはどうぞご随意に」
「は、はぁ」

 ローラン夫人はニコリと笑うと「お印は後で確認致しますから、どうぞ御遠慮なさらず」とそっと耳打ちする。


『お印』! の! 確認!!


 ✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
 ──以上のように貴族婚の初夜には様々な慣習が存在するが、行為の終わりに他者が介在するものとしては『お印の確認』が挙げられる。
 我が国で『処女は血が出る』などというくだらない迷信が信じられていたのはとうに昔のこと。だが当時はそのせいで乙女達は予め血を仕込むなど、無駄で無意味な努力を強いらされてきたようだ。他国では未だに信じられているところも存在するので、他国に嫁ぐ際は注意が必要。
 処女膜云々で血が出るケースは稀である。処女を理由として血が出るとしたら…(※都合により割愛)だが、当然ながら非処女であっても血が出る場合もある。
 なので、本国の確認における『お印』とは即ち精e…(※都合により割愛)

【『初心者の為の閨』より抜粋】
 ✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼

 意外にも割と真面目な内容だったくだんの本だが、その一部(※伏せている部分)を思い出してしまった私は、恥ずかしさに今度は本当に倒れそうになる。

 ローラン夫人は「あらあらうふふ」と笑いながら、鈴を私室の方のベッドのサイドテーブルに置いた。

「今日はお疲れでしょうから、担当の侍女などの紹介は明日に致しましょう。 湯のご用意をしておりますので、お食事の準備が整うまではゆっくりとお寛ぎくださいませ。 頃合いを見てお支度の為に参ります。 なにかございましたら、鳴らしてくだされば私が駆け付けますので」

 一通りを簡潔に説明し、去っていく。
 流石は有能だ。
 おかげで倒れずに済み、自分の意思でベッドに倒れ込むことができた。




「お嬢様、湯の方はどうされますか?」
「うん、そのうち入る……」
「ですが初夜と違い、磨くとしたら本日は私のみですので、なるべくお早めに」
「普通で大丈夫!!」

 この国では貴族といえども、通常時には一人で風呂に入るのが普通だ。 
 侍女や侍従は、せいぜいタオルを持って控えているくらいだが、そんなことをするのはとりわけやんごとなき方々だけ。
 少なくともウチにその習慣はない。

「も~!! みんなして、からかってぇ~!」

 ベッドに横になり、暫く恥ずかしさにゴロゴロとのたうち回っていたが、徐々に冷静になってきた私はあることに気付いた。

(でも……『もしも』は想定しておいた方がいいのかしら……)

 ──それは、自分の体臭が、自分ではいまひとつわからない……ということ。

『もしも』がなくても、至近距離まで近付くことはあるかもしれない。
 その時恥ずかしさに耐えるのに、『やだー臭いと思われてるかもー』などという思考が過ぎったが最後……これはもう、別次元で恥ずかしすぎる。

 労い、褒めるどころではない。

(──っていうか、『労う』って……もしかしてそういうこと?!)

『貴女しかできない』って言われていたわ!
 無理よ無理無理!!
 私にはまだハードルが高過ぎるわァァァ!!

「お嬢様、多分そうではありません」
「ユミル……」

 脳内で叫んでいたつもりだったが、どうやら口に出していたらしい。

「そもそもここに来られたのは『互いへの理解と親睦を深める為』でしょう? 毎日少しずつ、まずは気持ちの面からで大丈夫では」
「そう……そうね……」
「基本的には、私も控えておりますし……」
「そ、そうよね!!」

 とても心強い。
「空気を読んで外に出ることはあるかもしれませんが」という台詞は、敢えて聞かなかったことにする。

 そして風呂には入った。
 どのみち体臭は気になるのである。




 暫くすると、私の支度のためにローラン夫人がやってきた。

「若君に申し付けられ、僭越ながら私が御用意致しました」

 ──という素敵なドレスに身を包み、化粧と髪型を整えられると……アラ不思議。
 鏡の中には猫を被った私よりも、淑女らしい女性。

「流石はグレタ様です」
「あらやだユミル、そこはお嬢様をお褒めするところよ?」
「お嬢様はいつも最高にお可愛らしいですが、私の技量では大人の魅力を引き出すことができないので」

 なんだか持ち上げられつつ、さり気無く揶揄されている気もしないではないが……
 兎にも角にも準備は整った。




 ダイニングは幾つかあるうちの、小ぶりなお部屋をチョイスして用意してくれたようで、ふたりの食事には丁度良い。
 間接照明の炎が大人な雰囲気を醸す。

 ──にも関わらず

「やあ! よく来てくれたね、ティア!!」

 なんだかハイテンションなご様子のフェルナンド卿。

「この度は……」
「ああ、いいよ挨拶なんて! さあ座って座って。 長旅で負担をかけさせてしまって申し訳ない。 身体は大丈夫かい?」
「は、はぁ……」
「気楽に食事を楽しもうじゃないか!」

 しかもやたらと饒舌である。

(待っている間に、酔ってしまわれたのだろうか……)

 困惑するしかない──そんなスタートを切った、侯爵家での花嫁修業初日。
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