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新たな婚約者
突然のお知らせからの
しおりを挟む──私は今、机の前で頭を抱えている。
フェルナンド卿を愛称呼びすることになった。
(フェル様……でいいのかしら?)
そういえば、ルルーシュ様を『ルル様』とか『ルーシュ様』などと呼んだことはない。
そして呼んだところで『ちょっと名前を略した』ぐらいの感覚しかないだろうと思う。
(それに比べてこの気恥しさは何?!)
フェル様……とはまだ呼べていない。
コネリー侯爵領のお屋敷からここ伯爵邸に来るには、当然ながらそれなりに時間が掛かる。
卿は騎馬なので比較的早いが、それでも丸一日掛かるらしい。それでも馬車で普通の速度なら三、四日だと思うと、かなりの早さではあるが。
それに卿は次期侯爵としての職務に携わったばかりでお忙しい。
『月に数度しか来れないだろう』と申し訳なさそうに仰っていたけれど、むしろ『月に数度も来るの?!』とこちらが驚いてしまったくらいだ。
手紙をしたためてみようとするも、愛称で始める気恥しさから『フェルナンド卿』と書き記してしまう。
そうすると普段父の代筆をしている癖からか、そこはかとない定型文臭を醸すことになり、結局破棄……
そんなわけで今、こうして頭を抱えているのである。
(それもこれもフェルナンド卿が! ……『ちょっと名前を略した』程度のことを、真面目かつ恥ずかしそうに願い出るからァ~!!)
あんなのこちらが照れる。
照れない方が無理だと思う。
華やかな王都でモッテモテだったに違いないと思っていただけに、余計。
私はそれを思い出して照れてジタバタし、心を落ち着ける為に編み物に着手、暫くしてから手紙を書いてみるも挫折……というのを、延々繰り返していた。
そんなある日、突然父の部屋に呼び出された。
「ふたりの式は、半年後だ」
「え?」
『式』……ってなんぞ?
そう尋ねそうになるも、辛うじて口を閉じた。父は何故か眉間に皺を寄せており、とても不機嫌そう。
暫く黙っていると、補足のお言葉が入った。
「お前とフェルナンド卿の結婚式だ」
「あっ、結婚式……」
……って、エ──────────?!
「はははは早くないですか?!」
「………………煩いッ!」
そう怒鳴りつけると父は荒々しく立ち上がり、「詳しくは母親に聞け!!」と言いながら扉を乱暴に開けて出て行った。
「なんなの……?」
内容と父の態度に戸惑いつつも、とりあえず言われた通りに母の部屋へ向う。
マイペースでおっとりした母は、いつものようにニコニコしながら私を部屋に招き入れ、侍女にお茶の用意を頼む。
先の疑問と不条理さに憤りつつ話す私を見て、母は何故か可笑しそうにコロコロと笑った。
「お父様は貴女を手放したくないのよ~。 ルルーシュ様とのお式だって、本当はデビューした年に行う予定だったのを延ばしに延ばして18まで待たせたのよ~?」
「ええ……?」
そんな話は知らなかった。
母曰く──
ルルーシュ様は9つも上だから、私との婚約が決まった時は『デビュタント時にふたりの婚姻の手続きもする』という話だったらしい。
数年後父が頼み込んで、それを延ばした結果……あの通り解消になってしまった。
なので『なるべく早い婚姻を望んでいる』らしいフェルナンド卿の希望は、対外的な意味で両家にもそれなりに都合がいいそうだ。
「でもお父様としては複雑なわけ~。 解消になったのは自分にも責任があるでしょう? 相手が代わったから、できればゆっくり……という気持ちと、また何かあっては困る……という気持ちで揺れているのよ~」
「…………」
気になるところはいくつかあるが──
「……フェルナンド卿は早く結婚したがっているのですか?」
一番気になるのはこれだ。
普段むっつりとして愛想のない父からの愛情も嬉しかったが……どのみちこのままずっと家にいる訳にはいかない。
「ええ、そうよ~。 貴女に最初に会って戻ってきたら、突然ですって~。 王都でも浮いた噂はなく、それまでは『結婚がしたい』みたいな気配もなかったのにねぇ~」
両親は社交シーズンになると兄のいる王都に行くので、多少フェルナンド卿の王都での様子を知っているようだ。
モテそうなのに浮いた噂がないというのが事実だったのは、なんだか意外だが……ちょっとだけ嬉しい。
「余程気に入られたのね~」という母のおっとりとした口調での揶揄いが面映ゆい。
──だが、母は続けてとんでもないことを口にした。
「ほら~、それに……卿はお若いし~。 ルルーシュ様と違ってこう……せ……体力もあり余ってそうな方じゃなぁい?」
「ほぶゥッ?!」
相変わらずの口調にそぐわない母の下世話な発言に、思わず茶を噴き出す。
しかもそれで終わりではなかった。
「貴女にはもう、侯爵家に花嫁修行に向かってもらうことにしたから~」
なんと、トンデモ発言は続いていたのだ。
「……はあぁぁぁッ?!」
顎に流れる茶を袖口で拭うという淑女に非ざる仕草など構いもしない私に、母は「あらあらうふふ」と、小さな子供に向けるように微笑ましく目を細める。
にも関わらずその直後、私のために取り寄せたという装飾過度なのに透明感が揺るぎない下着類と、襟ぐりがババンと豪快に開いたネグリジェ……それと共に『これで貴女も怖くない!いつでも嫁げちゃう♡』という謎の帯がついた『初心者の為の閨』という本の載ったワゴンを侍女に持ってこさせた。
「…………!!」
私は言葉を失った。
ワゴンになんつーモンを載せているのだ。
「うふふ、これなんか可愛いでしょ? 初日にどうかな~と思うの♡ 服は荷物に入れておくけど、本は読んでおいた方がいいんじゃないかしら?」
「要らな……っていうか行くなんて言ってません! ……はっ!? お父様もそんなこと言ってなかったわ!!」
私がそこにツッコむと、母は悪戯がバレた子供のようにあどけない顔でチロリと舌を出す。
その様は妙に妖艶で、まさに魔性。
小悪魔そのものである。
体型は私と同じつるペタのくせに。
なんて恐ろしい母……血の繋がりがある気がしない。
見た目以外。
「危うく騙されるところだったわ……!」
「あら~、行った方がいいわよぅ。 焦らしているうちに、また他となにかあったら困るじゃないの~」
「!?」
それは……一理ある気がする。
他と云々はともかく、ただでさえ月一ぐらいでしか会えないのに、式は半年後だ。半年後に初夜だとしても、あまり今と状況が変わっている気がしない。
手紙ですら恥ずかしく、躊躇っていた私は、自身の悠長さを悔いた。
「毎日二通送り付けるとかして、コミュニケーションを密に取るべきだったわ……!」
「それはちょっと嫌かもしれないわ~」
「ええ!?」
戸惑うばかりの私に、母は可哀想な子を見る目で「せめて恋愛小説とか読ませれば良かったかしら~」などと呟いた後、割と真面目な顔で言った。
「ねぇ、ティア? 閨はともかくとして、侯爵家には行ったらど~お?」
「…………」
確かにそうかもしれない。
半年後には初y……いや、式。
ただでさえフェルナンド卿には無理をさせてしまっている。
月に一度でも大変な道程なのに『月に数度しか来れないだろう』と申し訳なさそうに仰っていた卿。
かたや、私は手紙の一通すらマトモに書けずにいたのだ。
「──私、」
私も努力をしなくてはならない。
「行くわ、侯爵家に」
そう言うと母は、「うん、頑張ってね」と母親の顔をして笑った。
その後「でもこれは一応入れておくわね~♡」と言ってピラッピラの下着を手に取り、ピラッピラさせたりしなければ、ちょっといい話みたいだった。
……やめて!
合わせないで!!
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