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第一部 身の程知らずなご令嬢 ~第一章 毒花は開花する~

2. 毒花令嬢の目覚め

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 お茶会から三日後。マリエンヌはいつもよりも早起きして、寝巻き姿のまま椅子に座っていた。

 アリスティアにあのように言ったからには、調べないわけにはいかず、公爵家の情報網を駆使して調べることにした。
 聞き込みも考えたが、本人はもちろんのこと、周りの生徒が真実だけを話してくれる保証はなく、情報に偏りが出てしまう可能性がある。

「シーラ」

 マリエンヌがそう言うと、少しの音もたてずに、使用人姿の女性が、マリエンヌの側に立つ。
 彼女は、マリエンヌに跪いた。

「お呼びでしょうか、お嬢さま」
「進捗を聞きたいの。リネア・ブラットンについてのね」

 進捗と言葉で言ってはいるが、彼女が呼びかけに応答した時点で、もう情報収集を終えていることはわかっている。

「こちらでございます」
「ありがとう、シーラ」

 マリエンヌの予想通り、すでに終えていたようで、シーラと呼ばれた女性は、小さな紙を手渡してくる。
 マリエンヌは、その内容に目を通す。

「なるほどね……」

 その結果、アリスティアの言葉は正しかったことが証明した。
 リネア・ブラットンは、明らかに友人の範疇を越えるような言動を行っている。

 その対象には、アリスティアたちの婚約者の他に、レオナルドも含まれていた。

 同性の体に軽く触れたり、下の名前を呼ぶ程度ならば、中央の社交に不馴れな地方貴族には、たびたび見られる行動ではある。
 だが、それは中央のマナーを知らないだけなので、彼らにはきちんと注意をすれば、自身の行動に注意を払ってくれる。

 だが、リネア・ブラットンは、アリスティアたちが何度注意しようと直す様子がない。
 アリスティアは、きちんと婚約者のいる男性とは距離を置いてほしいと具体的に言っているのだから、何がいけないのか、理解できていないわけではないだろう。

 アリスティアの性格では、いつ感情のままに暴走したとしてもおかしくないというのに、よく堪えられているものだと、別の意味で感心してしまう。
 マリエンヌが忠告したのも効いているのかもしれない。

「処理いたしますか」

 無機質な顔でそう言うシーラに、マリエンヌはニヤリと笑う。

「一度、わたくしが彼女に接触してみるわ。それで改善が見られないようであれば、考えることとしましょう」

 伯爵令嬢では無理でも、王子の婚約者であり、公爵令嬢のマリエンヌが言えば、さすがに改めるかもしれない。
 これは、最後のチャンスだった。
 シーラは、静かに頭を下げた。

「かしこまりました。では、支度を手伝わせていただきます」
「お願いするわ」

 マリエンヌは、シーラに支度をしてもらい、学園へと赴いた。

◇◇◇

 講義を終えた後、マリエンヌはリネアの居場所を探るため、生徒に聞き込みをしてみることにした。 

 学園内が広いとはいえ、地道に聞いていけばすぐに見つかるだろうと思っていたが、返ってくるのは、

「私は知りません」
「姿は見ていません」

 ばかりであった。
 だが、そう答える生徒たちは目が泳いでいたり、妙に焦った様子を見せる者ばかりだった。

 誰かから口止めされている

 そう悟ったマリエンヌが、真っ先に思い浮かんだのはレオナルドだ。
 彼なら、マリエンヌに情報を流さないように操作できるだろうし、そうする理由もある。

(リネアを庇ってるのかしらね?)

 そう思うと、意地でも見つけてやろうという思いになり、なるべく人通りが少ないところを探してみることにした。

 婚約者でもない女性と行動するのなら、人目は避けるはずだからだ。

(……なるほど、あれね)

 マリエンヌの視界に入ったのは、アリスティアの婚約者であるアレクシスによく似た男子生徒に、腕組みをしている令嬢の姿。
 ルビーのようなきらめきを持った赤い髪と、夜空のような紺色の瞳は、シーラが集めてくれた容姿の情報と一致する。

 アリスティアがあれほどまで怒りを露にしていた理由を察したマリエンヌは、リネアたちのほうに近づく。

「アレクシスさま、少しよろしいでしょうか」

 直接話しかけるよりは、こちらのほうがリネアを揺さぶれると考え、アレクシスに声をかけた。

「マ、マリエンヌさま……!」

 マリエンヌに気づいたアレクシスは、顔を真っ青にして、しがみついている女子生徒を引き離そうとしている。
 だが、女子生徒はむしろアレクシスにさらに強くしがみつき、マリエンヌを睨み付ける。

「あなた、誰ですか?」

 本来ならば、身分の低い者が上の者に名前をたずねるのは失礼に当たるのだが、誰の目に止まるかわからない往来の場で、婚約者のいる男性と腕組みをしている彼女に、そんなマナーをいちいち指摘していては、きっとキリがない。

「わたくしは、マリエンヌ・リュークと申します。あなたはどちらさまでしょうか」
「……リネア・ブラットンですけど……」

 嫌々ながら答えている様子に、マリエンヌはもう頭痛がしてきたと同時に、アリスティアにさらに深く同情していた。
 一方のリネアは、さらに強くマリエンヌを睨み付ける。

「いきなりなんなんですか!アレクシスさまを怖がらせないでください」

 怖がらせている原因が言うなと言いそうになるのを堪えて、マリエンヌは、アレクシスに笑みを向ける。

「そのつもりはなかったのですけど……。もし、怖がらせていたというのなら、謝罪いたしますわ」
「い、いえ……大丈夫です。怖がってなど、いませんので」

 そう答える彼の顔は、真っ青に染まりすぎて、世辞にも大丈夫そうには見えない。
 だが、本人が大丈夫というのならば、ここで終わる理由はなかった。

「では、話を続けましょう。わたくしは、あなたの婚約者はアリスティアさまと記憶しておりますが、先ほどの行いについて、説明していただけますか?」

 まぁ、説明できないでしょうけどと、マリエンヌは心の中で付け足す。

「それは……」

 アレクシスは、それ以上、言葉を続けようとしない。何を言おうが、完膚なきまでに叩き潰される恐怖に、体がすくむ。
 それは、マリエンヌに言い訳が通じないという思いよりかは、もっと別の理由から抱いている思いなのだが、隣に立つリネアは読み取れていなかった。

「友人として世間話をしていただけですよ!ねっ、アレクシスさま」
「あ、ああ……」

 リネアは、アレクシスに同意してもらえるという自信からか、純粋な笑みを浮かべている。
 一方のアレクシスは、同意はしているものの、顔をさらに青くして、今にも倒れそうだ。

(どこからあの自信が湧くのかしら……?)

 リネアの目には、明らかに異常な様子のアレクシスが見えていないのだろうかと、マリエンヌは本気で心配しそうになる。
 ここまで理解力や現実感に疎い令嬢と関わってしまったことには、ほんのわずかな同情を感じざるを得ない。……アリスティアのほうが、まだ可哀想ではあるけど。

「だけではないでしょう。婚約者のいらっしゃる身で、腕を組むのはよろしくありません。アリスティアさまも、散々・・注意なさっているはずです」

 マリエンヌは、散々を強調する。本気と思っていなかった、知らなかったと言い訳をさせるつもりなどは、毛頭なかった。

「も、申し訳ありません……」
「アレクシスさまが謝る必要などありません!悪いのは私です!」

 何を当たり前のことを言っているのかしら?そもそも、あなたが余計なことをしなければ、わざわざ、わたくしが出向く必要はなかったのに。

 そう言ってやりたかったが、リネアが意志を固めたような目つきでマリエンヌを見たため、何も言わなかった。

「申し訳ございません。私の配慮が足りませんでした」

 あっさりと謝罪されたことに、マリエンヌは少し拍子抜けしてしまう。
 だが、すぐに取り直した。

「……いえ、理解していただけたのならいいのです。次からは互いに・・・気をつけてくださいませ」

 ひとまず謝罪は受け取ったため、マリエンヌは早々に去ることにした。
 このままだと本性が飛び出す予感がしたのと、単純に二人の茶番に付き合う体力がなくなったからだ。

 このままリネアが身を引いてくれれば、すべて丸く収まる。

 マリエンヌにしては、そう、甘い考えを抱いていた。アリスティアの話を聞けば、そう単純なものではなかったはずだというのに。

 後日、念のため調査させていたリネア・ブラットンの報告書に目を通すと。

「まったく懲りてないようね」
「ええ、そのようです」

 そこには、マリエンヌが忠告する前の行動となんら変わらない内容が書かれていた。

「『マリエンヌさまはお優しいから、反省した振りを見せればすぐに帰ったわ』と、ご学友に高らかに話しておられました。周りでは、咎めるどころか賛同しておられる方もちらほらと」
「それを、わたくしやアリスティアさまたちに見聞きされる可能性くらいは、考えなかったのかしら?」

 いろいろとおかしな点はあるが、まず感じた違和感はそこだった。
 貴族の会話は、いつ、誰の耳に入るかわからない。そのため、中央の貴族は、発言するときは常に思考を張り巡らせるのだが……

「往来の場で男性と腕を組むようなお方なので……」

 シーラのため息混じりの言葉に、マリエンヌは一瞬にして納得してしまった。

「それもそうね」

 マリエンヌは、ふむと考え込む。
 あれで引き下がれば、本当に何もしないつもりだった。
 処罰しようにも、時間も手間もかかるし、そんな面倒なことに時間を割くくらいならば、レオナルドと親睦を深めるのを優先したかった。
 でも……
 マリエンヌは、調査書をぐしゃりと握りしめる。

「わたくしがおとなしくしていれば、ずいぶんと調子に乗ってくれるじゃない……」

 マリエンヌさまはお優しいと思われるのは悪い気はしないが、このような扱いは看過できない。
 向こうがその気なら、マリエンヌにも考えというものはある。
 レオナルドに嫌われるかもしれないという考えが脳裏をよぎったが、それを考慮しても、王子の婚約者がこんな風に思われていては、国のためにならない。

「シーラ。人員を五人……いや、十人ほど増やしていいわ。ブラットン男爵家全員の情報と、その交流関係をすべて洗い出しなさい」
「かしこまりました、お嬢さま」

 シーラはマリエンヌに頭を下げ、ふっと姿を消す。

「さて、どうしてくれようかしらね……」

 マリエンヌは、シワのついた報告書を見て、ニヤリと笑った。
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