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第二章 学園生活一年目

99.

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 カイエンの策略により、泣く泣く勉強することになった私は、教材を読み込んでいた。
 サボろうにもカイエンが監督官のように後ろに張りついているのでそうもいかない。

 勉強するからには真面目にやろうとなんとか内容を頭に詰め込もうとはしてるんだけど……

「全然覚えられない……」

 二十ページほど進めたところで、私は机に突っ伏した。
 ちなみに、まだ一冊目である。

「まだ半分も終わってませんが」
「だから言ったじゃん。私は詰め込みじゃないと覚えられないって」

 勉強は一夜漬けは意味がないと言うけど、それは記憶できる優秀な頭脳を持っている人だけが言えるセリフなのであって、ニワトリ頭に計画的な勉強はまったく意味がないのだ。
 そして、私は根っからのニワトリ頭である。前世でもテストは前日に教科書を読み込むタイプだった。
 頭脳くらいアルウェルトらしく高性能でもいいじゃないですか、女神さま。

『お前は中身が中身だからなぁ……』
『ライ、カイエンがいるからあまり語りかけてこないで』

 ライの野次を一蹴しつつ、私はもう一度本を見る。でも、だんだん記号が羅列しているように見えてきて、ゲシュタルト崩壊寸前の状態だった。

「もう無理だぁ……」
「それでよく座学の認定試験に受かりましたね……」

 カイエンが呆れたようにため息をつく。あれは、お兄さまたちのスパルタ教育あってのものだよ。言ったら呼ばれそうだから言わないけど。

「あれは、合格したい理由があったからだよ。でも、パーティーはどうしても完璧に終わらせたい理由がないからやる気が出ないの」

 評判を得るために上々の結果を残そうという心はあるものの、最低限王女として振る舞えればいいやと思っている私もいるのだ。
 私は単純な人間だ。やる気は目標がなければ絶対に出てこない。

「ようは、やる気が出ればいいと?」
「まぁ、そうなるかな?でも、やる気なんて出そうとして出るものじゃないし」

 自分の意志で出し入れできるなら、私はとっくにこの教材を読み耽っていたことだろう。やる気というのは自分の意志でどうにかなるものではないのだ。

「……そうですね。今は難しいでしょう」

 カイエンの含みのある言い方に首をかしげる。その意味を、私は翌日に知ることとなった。

◇◇◇

 翌日、私は今日も勉強していた。やらなかったらお兄さまたちに言いつけられそうだから仕方ない。カイエンも監視のためか今日も登城している。まぁ、家にいたところで針のむしろだろうからそれは構わない。
 でも、昨日もろくに内容が頭に入ってこなかったというのに、今日で劇的に変わるはずもなく、私は早々に机に突っ伏した。

「甘いもの……甘いものが欲しい……」

 私の脳は深刻な糖分不足に見舞われていた。このまま勉強を続けたところで何も入ってこないだろう。

「では、これでも食べてください」

 カイエンはそう言って、私にクッキーを渡してくる。
 クッキーなんて頼んでたっけと思いながらも、念願の糖分を渡された私は、流れるようにクッキーを口の中に入れた。

「ん!おいしい!」

 食感はサクサクとしており、ほどよい甘さとバターの風味が口に広がる。
 お店に売っててもおかしくないよ、このレベル。

 でも、なんかお城で食べたものとは味が違うような……?

「ねぇ、これってお城のものじゃないよね?」
「はい。俺が作ったものなので」

 カイエンの言葉にやっぱりと思って二口目を食べようとしたとき、私はピタッと動きを止めた。

「作ったの!?」

 あのカイエンが!?という言葉は口から出ることはなかったけど、顔には出ていたのか、カイエンの目が冷たくなる。

「……そんなに意外ですか」
「だって、カイエンって伯爵家でしょ?厨房に立つことなんてなさそうだから」

 まだ男爵家や子爵家とかなら、使用人も多くは雇えないため、夫人が台所に立つことは珍しいことではない。その一貫で、子どもが家事を手伝うこともある。
 だけど、伯爵家なら屋敷に見合うだけの使用人を雇う財力はあるはずだ。
 フォークマー伯爵家は、ルーメン派閥でも幹部クラスにいられるほど家の力も強いし。

「屋敷で作らされたことがあるんですよ。よく使用人の真似事をさせられたので、その一貫で」
「……そうなんだ」

 私は熟考した上で、そう返事をすることしかできなかった。お菓子が作れる理由が、こんなにデリケートな理由だとは思わなかった。

 カイエンが普通の伯爵令息として過ごしてきたわけじゃないのは今までの言動でなんとなくわかってたけど、なんかなぁ……
 ここまでとは思わなかったというか、それにしては貴族らしいところもあるというか……

 うーん……言葉にするのが難しいな。

「お気になさることはありません。俺は気にしていませんので」
「でも、お菓子を作らされたりしたんでしょ?」

 料理というのは生活と趣味のために作るからよいのであって、人の指示で作らされるのは苦痛でしかないだろう。
 カイエンって、料理好きな感じでもなさそうだし。それに、まだ六歳ですよ?

「叱責されるよりは、見下されるほうが遥かにましなので」
「そ、そう……」

 一体、どんな扱いを受けてきたら六歳児がこんなこと言うんですか。その目も、まるで五十年は生きてきた大人みたいに達観してるし。

「でも、そのお陰でおいしいお菓子食べられるし役得って思っておくよ」

 私がはにかみながらクッキーを食べると、カイエンは呆れてる感じはあるけど、ふっと笑う。

「ええ、そう思っておいてください」

 私はパクパクとクッキーを食べて、糖分を補給した。まだ何枚か残っているけど、糖分は充分だ。
 よし、勉強再開!

 糖分補給をしたお陰か、それなりに勉強が捗る。ペースはあまり変わっていないけど、記憶に残りやすくなっている。

 でも、いきなり全部を記憶できるわけではないので、半分くらいは脳内を素通りしてしまう。
 そして、それを覚えようとするほど糖分は消費されていくのだ。

 その結果ーー

「よし、休憩」
「早すぎませんか?」

 私はものの十分で、二回目の糖分補給をした。残っていたクッキーを二枚、口に運ぶ。まだ残っているから大丈夫、多分。

「このペースでは期限までに終わりそうにありませんが」
「大丈夫。追い込まれたらなんとかなる!」
「その根拠のない自信はどこから来るのですか?」
「実体験からだけど」

 現に、私はスパルタ教育で身につけた知識や技術は時間のたった今でも九割くらいは記憶に残っている。
 だからこそ、私は追い込まれたら強いタイプだと思うけど、そんなことを詳しく話したらお兄さまたちを召喚するに決まっているので、詳しく話すことはしない。
 でも、ある程度察しがついたのか、カイエンは私に背を向けて言った。

「そうですか。では、厳しい教育をなさるという他の殿下方に助力を仰ぎましょう」
「待って!大丈夫だから!自分でなんとかできるから!」

 私はしっかりとカイエンの服の裾を掴んで止めるけど、カイエンはさりげなく私の手を振りほどくようにして部屋の外に向かう。

「追い込まれたらなんとかなるのでしょう?なら、エルクト王子殿下やヴィオレーヌ王女殿下あたりがいいでしょうね。他の者たちはアナスタシアさまに甘そうですし」
「ダメ!ヴィオレーヌお姉さまには言わないで!」
「わかりました。ヴィオレーヌ王女殿下にご相談します」
「わかってないよね!?」

 本当にダメなんですって!マナーに関すると本当に厳しいんだからあの人!
 ヴィオレーヌお姉さまのことだ。報告を受けたら、アリリシアさまやシュリルカお母さまにも話が行くに決まってる。

 そうなったら、少女式の悪夢の再来だ……!

「あの人たちはね、頭のネジが爆発して吹き飛ばされてるの」
「……はい?」

 カイエンが珍しくすっとんきょうな声をあげたけど、私は声のトーンを下げて言葉を続ける。

「休憩は水と食事オンリー、おはようからおやすみまで隙間なしのぎちぎちプログラム。お菓子なんて甘いものは当然なし」
「……アナスタシアさま?」

 カイエンは、振り返って私のほうに寄ってくる。私は、さらにトーンを低くした。

「アメなんてもらえずにムチだけ、いつもの笑顔は彼方に消え去るんだよ」
「そ、それで……?」

 いまだに理解できていないカイエンを私はきっと睨み付けた。もしかしたら、軽く涙ぐんでいたかもしれない。
 さすがに驚いたのか、体をびくつかせたカイエンの腕をしっかりと掴み、私はおもむろに叫ぶ。

「そんな教育を一週間みっちり受けてパーティーなんかに出たら、私は燃え尽きて死ぬに決まってる!!」

 まだ少女式と認定試験はよかった。周りに人はいるものの、基本的には個々に行われる。
 でも、パーティーは話が別だ。パーティーに限らず社交の場は、基本的に人と関わらないというのは不可能だ。常に笑顔を向けて、相手の言葉に神経を研ぎ澄ませていなければならない。
 家族やカイエン相手とは違い、腹の探りあいが行われるのだ。

 スパルタ教育でへとへとの状態でそんなことをすれば、私は間違いなく途中で力尽きる。
 たとえ乗りきれたとしても、その後しばらくは燃え尽きて灰になっていることだろう。

 私は、カイエンの腕を握っていた手の力を、さらに強めた。

「だから、一人でどうにかするの。わかった?」
「は、はい……」
「なら、黙ってそこに座ってて」

 私が床を指差すと、カイエンは素直に床に座る。
 それを確認した私は、再び勉強机に向き合う。

「私のことを思うならお菓子はちょうだい。糖分補給するから」
「かしこまりました……」

 そのまま黙々と勉強をする私の脳内に、『おっかねぇな』という声が響いた。
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