狂乱の桜(表紙イラスト・挿絵あり)

東郷しのぶ

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元亀三年

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 元亀3(1572)年。

 甲斐の武田信玄が大兵を発し、徳川領遠江へと攻め込んできた。
 浜松城内は、緊迫した空気に包まれる。

 信玄はもときっての戦上手。

 万は思う。
(お屋形様が勝てるわけがない)

 万から見た家康は、野暮でもの足りない男のままだ。「立派な大将だ」と褒めそやす家臣の声も、耳に届かないわけではないのだが──

(所詮、奥方様とは比すべくもない)

 万の判断の基準は、いつも築山御前なのである。
 評価の方法が間違っているとは、万は考えない。

 御前が美しい鶴なら、さしずめ家康は鷹……では無く、鈍重な野鴨であろう。自分は、庭でさえずる雀といったところか。

 武田軍の襲来を前にして、心労が甚だしいに違いない。近頃、家康は痩せてきた。その姿は狸というより、イタチのようだ。

 家康は頻繁に万の居間を訪れる。寵愛の証というより、単に万は気安い存在なのだろう。万に寄りかかりながら、ため息ばかりついている。家臣の前では露わに出来ない弱気な態度も、万になら平気で見せられるのだ。
 家康の体重が、万に掛かる。

(重い……。それにグチグチと泣き言ばかり)




 内心に不満をため込みつつ、それでも万は懸命に家康を励ます。

「お屋形様の勇ましさ、賢さを、万は良く知っております。お屋形様が、信玄などに負けるはずがありません」
「万。そなたは……それほどに、わしを信じておるのか」

 家康のドングリ目玉が潤む。
 こっくりと、万は頷いた。

 万としては、家康に勝ってもらわなければ困るのだ。もしも家康が武田の軍勢を遠江で食い止められなかったら、戦火は三河にまで及んでしまう。

(そしたら、岡崎の地に居られる奥方様が──)

 万が一にも、奥方様の御身が危うくなるようなことがあってはならない。
 奥方様を守るため、家康にはここで踏ん張ってもらうのだ。

 万の激励を受け、家康は元気を取り戻す。

「そうだ。わしは三河の一揆騒動も鎮めた。遠江も平定した。姉川の戦では織田殿を助け、朝倉の軍勢を打ち破った。信玄であっても、恐るるに足らず」
「その通りです。お屋形様」
「万。わしはやるぞ」
「はい」

 家康がこぶしを握りしめ、卒然と立ち上がる。
 万はその不格好な勇姿を頼もしげに見上げた。

(お屋形様、頑張ってください。奥方様のために)

 そして年も暮れようとしている12月22日。激しい吹雪の舞う、厳冬。
 浜松城の北方にある三方ヶ原で、徳川軍と武田軍は激突し、家康は大敗した。

 夜半になって。
 城へと家康が命からがら逃げ帰ってきたと聞き、万はホッと胸をなで下ろした。

(……ともかく、お屋形様は無事だった)

 家康の生還に、何故自分は喜びの感情を抱くのだろう?

(お屋形様には、これからも奥方様の盾として努めてもらう必要があるからだわ)
 きっと、そうに違いない。



 合戦直後、家康は敗戦の衝撃にやつれきった己の姿を絵師に描かせた。今後は決して慢心などせぬように、惨敗を敢えて画像として記録に残したのだ。

 後日、万はその肖像画を見る機会を得た。
 家康の心掛けに、万は別に感心しなかった。

(お屋形様の姿……絵になっても、やっぱりイタチみたいだ。今は太ってきて、狸に戻ったけど)
 そう思っただけだった。
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