狂乱の桜(表紙イラスト・挿絵あり)

東郷しのぶ

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永禄八年・春

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 まんは、初めて築山つきやま御前ごぜんへのお目見えを許された際
(これほど美しい方は、世に二人とは居られまい)
 と感嘆した。

「こなたが、万かぇ? 勤めに励むよう」
 権高く構えつつも、御前は万へ穏やかに語りかけた。その声音こわねも、麗しい。

 万は身を震わせながら、板敷きへ額を擦りつけんばかりに平伏した。侍女として主人に謁見している場面であるにもかかわらず、天女の前へ引き出された罪人のような気分であった。

 永禄8(1565)年、弥生やよい(3月)。

 三河国(愛知県東半部)の岡崎城下。菅生川すごうがわのほとりに建つ、築山つきやま御殿ごてん
 御前は、そこのあるじだ。

 築山御前は、三河の太守である松平家康の正妻である。生まれは、駿府。駿河の国府として栄えている駿府は、京より伝わる文化が花咲く、雅やかな地であるとか。
 城内まで土臭い、田舎の岡崎とは空の色も異なって見えるに違いない。

 そして、築山御前はかの・・今川義元公の姪。今川は足利将軍家の一門。御前にも、その尊貴な血が流れているのである。
 侍女として、これほど仕え甲斐のある主人はあるまい。

(奥方様に誠心誠意、お仕えしよう)
 御殿の庭で満開の桜を眺めながら──万は、己に固く誓った。



 築山御前の傍らで、万は充実した日々を送った。毎日、朝が来るのが待ち遠しい。
 御前は下々の者にも気遣いを忘れず、それでいて常にりんとした姿勢を崩さない。万にとって、御前は単に主であるというだけで無く、憧れの女性でもあった。御前も多くの側仕えの中で、取りわけ、万に目を掛けてくれる。

 万は十六歳。御前の歳は……万は知らない。が、既に二人の御子、竹千代君と亀姫様を、家康公との間に授かっている。若君と姫様のお歳は、いずれも六つか七つ。御前は晩婚とも聞いているので、二十代後半──もしかしたら三十歳に近いのかもしれない。
 その美貌に年月の影は感じられず、けれど御前の振る舞いには完成された〝大人としての美〟が確かに存在し、万はいつも圧倒される。

 万は、幼い時分じぶんに母を亡くした。姉は居ない。兄や妹は居るが、厳格すぎる父の支配のもと、家族仲はあまり良くなかった。
 万は家から逃れるような気持ちで奉公に出た。築山御前付きの奥女中として採用されることが決まった際には、安心したものだ。これで、実家へ帰らずに済む。

 天啓てんけいそのものとも思える、築山御前との出会い。はべりつづけるうちに、万は秘かに御前を母とも姉とも慕うようになっていった。

 ……いや。この心中の熱き炎は、果たして主への敬意と忠誠なのだろうか? 

 御前の側に居ると、万の胸は高鳴る。身体が火照ってくるのが、自分でも分かる。酩酊めいていしているかのような心持ちになる。万は酒を飲んだことは無いが。

 胸を焦がす、慕情。

(私は、誰にも嫁いだりしない。一生、奥方様にお仕えするのだ)

 万は幸福であった。

 完璧な女性に見える築山御前。しかし、万にはただ一つ、不満があった。
 御前がいつも、夫である家康公――松平家康の動向に気を揉んでいる点だ。妻である以上、それは当たり前とも言える。
 だが、万は面白くなかった。

 家康は、万にとってだけでなく、岡崎一党にとって掛け替えのない主君である。やや気ぜわしい面はあるものの、武勇に優れ、民生にも辣腕らつわんを発揮している。
 古老たちが「清康様の再来であろう」と讃えているのを、万は耳にしたことがある。

 家康の祖父に当たる松平清康は、英主として名高い。三河平定の直前、二十代の若さで横死しなければ、どれほど天下へ向けて驥足きそくばせただろうと今も噂されている人物だ。

 けれども、万から見た家康は、たいした男では無い。風貌は、冴えない。のっそりした猪首いくびの肥満漢で、ギョロッとした目をしている。狸みたいだ。御前と並ぶと、夫と言うよりも、どこぞの下男に見える。なのに、女好き。御前の目を恐れて側女そばめは持たないものの、下女あたりに盛んに手を伸ばしている。みっともない男だ。

(奥方様には、相応しくない)
 万は、そう感じる。奥方様の夫は、もっと凜々しい美男であるべきだ。

 御前に対する家康の扱いも、決して良いとは言えない。何より、与えられている住まいが岡崎城では無く、城外の屋敷なのである。

 万は疑う。
(『御殿ごてん』などと称しているものの、実質は奥方様の幽閉場所なのでは?)

 しかしながら、御前に会いに来る家康の様子を見ると、この男は必ずしも妻をうとんじているわけではないらしい。

 長い間今川家の圧制下にあった岡崎の人々は、御前に対して苦々しい感情を抱いている。八つ当たりとも言えるが、家康はそんな家臣達の気持ちに配慮せざるを得ないのだろう。
 また、同盟相手である織田家への気兼ねもあるに違いない。何と言っても、かの田楽狭間でんがくはざまの合戦で今川義元公は織田信長に討たれているのだ。家康が下手に築山御前を尊重すれば、織田の猜疑さいぎを招きかねない。

 万は見下げる。
 家康は、小心な男だ。つまらない男だ――と。

 ところが、そんな男に御前は執着している。家康が来訪すると御前はことのほか喜ぶし、足が遠のいている間は気落ちしている。

(夫婦とは、そのようなものなの?)

 それとも、家康と築山御前の関係が特異なのか?
 未だ男を知らない万には、分からない。


※ますこ様に表紙イラストと挿絵を描いていただきました(2022年9月2日)。心より御礼申し上げます。
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