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第10話 一閃(後半に4枚画像あり)
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摩耶が忽然と健太の前から姿を消して一年以上がすぎた。大学生活も四年目に入った彼は、そろそろ本格的になってきた就職活動や卒業論文のとりまとめに追われるようになってきた。
そしてあれほど強烈だった摩耶と暮らした日々のことも過去の記憶として整理されてきたらしく、日常意識することはほとんどなくなった。
そんなおり、健太はある夢を見た。あまりにもリアルだったので、彼は常にこれは夢なんだと自分に言いきかせていたほどである。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
そこはあるテロ組織のアジトであった。彼らはきわめて排他的な選民思想を持っており、既存の社会を完全に解体し、その上で指導者◯◯のもと、あらたな秩序による身分社会を作ろうとする教義で団結していた。
健太はアジトの一隅にある集積物資の中に隠れて様子をうかがっていた。夜の闇で周囲の景色はよくわからないが、中央の広場のようになっている空間だけはスポットライトに照らされて昼のように明るい。そして、そこには迷彩服を着こみ、スカーフで覆面をした十数名の男たちがたむろしており、彼らは一様にテロリストの定番武器であるAK47小銃を所持していた。
やがて大型の貨物トラックがやってきた。
後部の扉がひらかれると、そこから数十名の人間が次々と降ろされた。いずれも十代から二十代前半ほどの若い女性たちばかりである。
(人身売買の現場だ)
健太の背筋に冷たいものがはしる。この連中は奴隷制度の復活を公言しており、子供や若い女性は「商品」として売買するものと定めていた。目の前に集められた女性数十名の「入手経路」は不明だが、彼女らの服装がさまざまであることや、その表情には皆いずれも悲しみや怖れが見うけられることからおおかたの想像はついた。
そして最後にトラックから降りてきた監視役とおぼしき男が、肩から提げていたAK47の弾倉を交換する姿を目にするにおよび、彼女たち以外の人々の運命が想起されて心底から恐怖した。
テロリスト一味は拐かしてきた女性たちを一列にならべると商品としての「品定め」をはじめた。彼女らはその場で服を剥ぎとられて裸にされるか、あるいはAK47の銃口に脅されて自ら服を脱いだ。それを目利き役の男が左右にふりわけている。どうやら容姿がよくて健康な者とそうでない者とを選別しているらしい。
なかでもとりわけ可愛い容貌で均整のとれた肢体の娘は、リーダー格とおぼしき人物が連れ出して、いそいそと奥の建物へと消えて行く。
(役得の「試食」というわけか)健太は固唾を呑んだ。
そんな中、おそらくは戦利品のレイバンのサングラスを頭にのせたテロリストの一人が、列の最後尾に最前まで見かけなかった女の姿を認めた。
彼女はくるぶしまでおおう長いマントを纏っていた。目深にかぶった頭巾のため表情はよくわからないが、頭巾の下から見える顔の下半分は色白で鼻すじが通り、花弁のような唇は紛うかたなき美女を連想させた。
「鴨葱」という言葉は彼の国にはないだろうが、まさしくそんな気分だったにちがいない。彼はそろそろとマント姿の女に近づき、もっとよく顔を見ようと、頭巾に手をかけた次の瞬間であった。
一発の銃声とともに倒れるレイバンの男。不意の発砲におどろく一同の視線の先には、マントをかなぐり捨て、拳銃と日本刀を手にした女の姿があった。
摩耶である。
完全武装であった。半袖に直した九八式軍衣の襟には中将の金モールが輝き、右肩にはマットな野戦仕様の参謀飾緒が取りつけられている。
左胸の略綬は旭日章と瑞宝章、金鵄勲章だろう。胴は二本爪バックルの帯革で締められ、腰からは拳銃をおさめる革のホルスターに図嚢、そして軍刀の革鞘が下がっていた。
そしてすでに鞘を払い、摩耶の左手に握られている刀はいうまでもなく、
(斬魂刀だ)
下は軍衣と共地で丈の短いスカートを穿き、膝上までの黒革乗馬ブーツが長い脚を覆っている。顔が映るほどにも磨きあげられた長靴と、あらわな太ももの白磁のような輝きが眩しすぎるほど鮮やかなコントラストを呈していた。
頭には鉄帽をかぶっていた。顎紐は武士が兜を着ける際にもちいるのと同じ、伝統的な結び方である。「まあ、鉄帽の顎紐も兜結びが基本にはなっているみたいだが、簡略化されている。本式の兜結びのほうがしっかり頭に固定できるからね、だから顎紐は兜と同じ丸打ち紐にとりかえた」緊張の中、健太の脳裏を以前耳にした摩耶の言葉がよぎる――文字で書くと長いようだが、健太がこうした摩耶のいでたちを意識したのは瞬時のことである。
摩耶は肘まで隠れる長い革手袋の手に握られていた十四年式拳銃をすばやく腰のホルスターにおさめ、斬魂刀を持ちなおすと同時に右斜め上に斬り上げ、つづけて柄に左手を添えて振りおろした。
陸軍戸山学校の軍刀術「前の敵」である。数メートル前に立っていたテロリスト三人が声もあげずに斃れた。
摩耶は向きをかえると「右の敵」でさらに二人同時に切りすて、三太刀目では背後にいた一人を「後ろの敵」で屠った――この間わずか数秒のできごとである。六人とも摩耶が振るう太刀の切っ先が届くずっと手前で地に伏し、そして二度と起き上がることはなかった。
あまりのことに呆然としていたテロリストたちは、われに返ったようにAK47を乱射した。
摩耶は咄嗟に腰を落とし姿勢を低くしたが、堅い金属音がひびいた。避けきれなかった銃弾が頭部に命中したものの、標準的な九〇式の二倍に増厚された九八式鉄帽の強靱なニッケルクロム鋼鈑がそれを跳ねかえしたのだ。
鉄帽に命中弾をあたえた男は次弾発射のトリガーを引くまもなく喉をおさえて崩れる。摩耶が腰を落とすと同時に繰り出された、低い姿勢で喉輪の下を突く、甲冑刀法の一撃をもろに受けたのである。
エンジン始動の重低音が唸り、大型トラックが全速力で迫ってきた。たかが相手は小娘ひとり、そのまま踏み潰してしまえということか。
摩耶はトラックの正面を駆けぬけざま斬魂刀を一閃、瞬時に死人と化した運転手を乗せたトラックは暴走して奥の建物に突っ込んだ。轟音とともに簡易ユニットの壁が粉砕され、中にいたリーダー格の男と娘が、あられもない姿で飛び出してきた。
残ったテロリストたちはパニックに陥り、集めた女たちを残したまま手近の車に飛び乗ると、そのまま蜘蛛の子を散らすように逃げさってしまった。
それからしばらく経って、ようやく保安部隊が到着した。
保護された女たちは口々にこれまでの経緯を話したが、隊員たちは「とても信じられない」といった様子で目を白黒させるばかりであった。
なにより彼女らのいう「昔の軍服姿で剣を持った女戦士」がどこにも見あたらない。
そしてさらに不可解なことには、現場に残されたテロリスト九人の遺体には一人だけ拳銃で撃たれた痕が認められたものの、あとの八人の骸はまったくの無傷だったのである。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
その数ヶ月後、世間では奇妙な噂がささやかれるようになった。その噂とは「黒いカイエンからミニスカートの軍服を着た女が降りてくると、その近くで必ず死人が出る」というもので、やがてその話は都市伝説として定着した。ちなみにカイエンとはポルシェのオフロード仕様車のことである。
たとえば話の一例を挙げると、
―――深夜、ある高級住宅街の一角に、一台の黒いポルシェ・カイエンが停まった。中からは物ものしい野戦軍装姿の人物が降りてくる。
女性だ。軍服は現代のものではない。昭和初期、第二次大戦中に陸軍将校の着ていた詰め襟タイプである。
ただし、下は膝上までのミニスカートなのが異様だった。すらりと伸びた両脚はカイエンの車体と同じくらい黒く艶のある乗馬用革長靴で大部分おおわれているが、スカートと長靴の間から覗くあらわな太ももが夜目にも白く浮かび上がっている。ヘルメットを目深にかぶっているが、眉庇の下を見ると色白で細おもての美女ということは容易に判別できた。腰に下がっている長い得物は軍刀だろう、現代ではとうの昔に忘れさられた古い武器だ。
軍装姿の女は一軒の豪邸の前に立つと、おもむろに軍刀の柄に手をかけてキラリと剣を抜き、居合術のような所作で眼前の空間を一閃した。
そして刀を鞘におさめると、革長靴の靴音を響かせつつ落ちついた足どりでカイエンに乗りこみ、そのまま夜の闇へと走りさった。
翌朝のニュースは、その住宅地内で発生した、ある人物の死を伝えていた――彼(四十五歳・自営業)はベッドの上で仰向けに倒れて絶命しているのを家人に発見された。室内には何者かが侵入した形跡はみられず、遺体にも外傷ひとつない。死因は不明で「突然死」として片づけられたが、あとになってこの人物は一連の行方不明事件と深く関わっているらしいことが判明した。
そして他の事例も細部では違いがあれど、黒のカイエンからミニスカートの軍服姿の女が降り立つ姿が目撃された場所では必ず人が死に、死んだ人物は何らかの凶悪犯罪関係者の疑いがあるというところでは共通していた。
「もしかすると彼女は、公の裁きを逃れている悪人に天誅を下す目的で冥界からやってきた死神じゃないのか」それは一種の怪談であったが、勧善懲悪を好む世人には快哉を叫ばしめる痛快事でもあった。
なおこの都市伝説には続きがあって、なんでも「天に照らしてもなお万死に値する極悪人を成敗してほしい」と望む者は、あるサイトに秘密の合言葉を入力すれば、彼女が必ず望みをかなえてくれるというものである。
ただしそれには「もし依頼者の貴方がそれに該当すると判断された場合は、予告なく貴方の御霊をお預かりしますので、あらかじめご了承ください」という恐ろしい注意書きが添えてあるので、悪意で殺人代行を依頼しようとしている連中には強いブレーキがかかるようになっているという。
(なんて過激な……だけど藤本摩耶中将閣下にはふさわしい仕事かな)
巷間の都市伝説を紹介したウェブサイトをながめていた健太は画面を閉じてPCの電源を落とした。
――いやな予感がした。正確には七分の不安と、残り三分は密かな期待だった。それは摩耶が再び健太の前にあらわれて、コンビを組まされるのではないかということであった。
摩耶がおのれの活躍の場を見いだしたのは祝福すべきことなのだろうが、彼女はますます健太のような一般人からは縁遠い存在となりつつある。むろん再会したい気持ちはやまやまだが、今度はこれまでのような「美少女骨董コレクター」とはレベルの違う、「異次元殺人請負業者」の助手ということになるのだ。そこまで危険な存在に特化した彼女の運命に巻きこまれることだけは金輪際ご勘弁願いたい。
『どうか英雄とならぬように――英雄の志を起こさぬように力のないわたしをお守りくださいまし』芥川龍之介「侏儒の言葉」の一節が健太の脳裏をよぎる――そうだ、俺は「侏儒」、平穏な一小市民であればいいのだ、それが人生最高の満足なのだ。
明日は大事な就職面接がある。もう寝よう。
そしてあれほど強烈だった摩耶と暮らした日々のことも過去の記憶として整理されてきたらしく、日常意識することはほとんどなくなった。
そんなおり、健太はある夢を見た。あまりにもリアルだったので、彼は常にこれは夢なんだと自分に言いきかせていたほどである。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
そこはあるテロ組織のアジトであった。彼らはきわめて排他的な選民思想を持っており、既存の社会を完全に解体し、その上で指導者◯◯のもと、あらたな秩序による身分社会を作ろうとする教義で団結していた。
健太はアジトの一隅にある集積物資の中に隠れて様子をうかがっていた。夜の闇で周囲の景色はよくわからないが、中央の広場のようになっている空間だけはスポットライトに照らされて昼のように明るい。そして、そこには迷彩服を着こみ、スカーフで覆面をした十数名の男たちがたむろしており、彼らは一様にテロリストの定番武器であるAK47小銃を所持していた。
やがて大型の貨物トラックがやってきた。
後部の扉がひらかれると、そこから数十名の人間が次々と降ろされた。いずれも十代から二十代前半ほどの若い女性たちばかりである。
(人身売買の現場だ)
健太の背筋に冷たいものがはしる。この連中は奴隷制度の復活を公言しており、子供や若い女性は「商品」として売買するものと定めていた。目の前に集められた女性数十名の「入手経路」は不明だが、彼女らの服装がさまざまであることや、その表情には皆いずれも悲しみや怖れが見うけられることからおおかたの想像はついた。
そして最後にトラックから降りてきた監視役とおぼしき男が、肩から提げていたAK47の弾倉を交換する姿を目にするにおよび、彼女たち以外の人々の運命が想起されて心底から恐怖した。
テロリスト一味は拐かしてきた女性たちを一列にならべると商品としての「品定め」をはじめた。彼女らはその場で服を剥ぎとられて裸にされるか、あるいはAK47の銃口に脅されて自ら服を脱いだ。それを目利き役の男が左右にふりわけている。どうやら容姿がよくて健康な者とそうでない者とを選別しているらしい。
なかでもとりわけ可愛い容貌で均整のとれた肢体の娘は、リーダー格とおぼしき人物が連れ出して、いそいそと奥の建物へと消えて行く。
(役得の「試食」というわけか)健太は固唾を呑んだ。
そんな中、おそらくは戦利品のレイバンのサングラスを頭にのせたテロリストの一人が、列の最後尾に最前まで見かけなかった女の姿を認めた。
彼女はくるぶしまでおおう長いマントを纏っていた。目深にかぶった頭巾のため表情はよくわからないが、頭巾の下から見える顔の下半分は色白で鼻すじが通り、花弁のような唇は紛うかたなき美女を連想させた。
「鴨葱」という言葉は彼の国にはないだろうが、まさしくそんな気分だったにちがいない。彼はそろそろとマント姿の女に近づき、もっとよく顔を見ようと、頭巾に手をかけた次の瞬間であった。
一発の銃声とともに倒れるレイバンの男。不意の発砲におどろく一同の視線の先には、マントをかなぐり捨て、拳銃と日本刀を手にした女の姿があった。
摩耶である。
完全武装であった。半袖に直した九八式軍衣の襟には中将の金モールが輝き、右肩にはマットな野戦仕様の参謀飾緒が取りつけられている。
左胸の略綬は旭日章と瑞宝章、金鵄勲章だろう。胴は二本爪バックルの帯革で締められ、腰からは拳銃をおさめる革のホルスターに図嚢、そして軍刀の革鞘が下がっていた。
そしてすでに鞘を払い、摩耶の左手に握られている刀はいうまでもなく、
(斬魂刀だ)
下は軍衣と共地で丈の短いスカートを穿き、膝上までの黒革乗馬ブーツが長い脚を覆っている。顔が映るほどにも磨きあげられた長靴と、あらわな太ももの白磁のような輝きが眩しすぎるほど鮮やかなコントラストを呈していた。
頭には鉄帽をかぶっていた。顎紐は武士が兜を着ける際にもちいるのと同じ、伝統的な結び方である。「まあ、鉄帽の顎紐も兜結びが基本にはなっているみたいだが、簡略化されている。本式の兜結びのほうがしっかり頭に固定できるからね、だから顎紐は兜と同じ丸打ち紐にとりかえた」緊張の中、健太の脳裏を以前耳にした摩耶の言葉がよぎる――文字で書くと長いようだが、健太がこうした摩耶のいでたちを意識したのは瞬時のことである。
摩耶は肘まで隠れる長い革手袋の手に握られていた十四年式拳銃をすばやく腰のホルスターにおさめ、斬魂刀を持ちなおすと同時に右斜め上に斬り上げ、つづけて柄に左手を添えて振りおろした。
陸軍戸山学校の軍刀術「前の敵」である。数メートル前に立っていたテロリスト三人が声もあげずに斃れた。
摩耶は向きをかえると「右の敵」でさらに二人同時に切りすて、三太刀目では背後にいた一人を「後ろの敵」で屠った――この間わずか数秒のできごとである。六人とも摩耶が振るう太刀の切っ先が届くずっと手前で地に伏し、そして二度と起き上がることはなかった。
あまりのことに呆然としていたテロリストたちは、われに返ったようにAK47を乱射した。
摩耶は咄嗟に腰を落とし姿勢を低くしたが、堅い金属音がひびいた。避けきれなかった銃弾が頭部に命中したものの、標準的な九〇式の二倍に増厚された九八式鉄帽の強靱なニッケルクロム鋼鈑がそれを跳ねかえしたのだ。
鉄帽に命中弾をあたえた男は次弾発射のトリガーを引くまもなく喉をおさえて崩れる。摩耶が腰を落とすと同時に繰り出された、低い姿勢で喉輪の下を突く、甲冑刀法の一撃をもろに受けたのである。
エンジン始動の重低音が唸り、大型トラックが全速力で迫ってきた。たかが相手は小娘ひとり、そのまま踏み潰してしまえということか。
摩耶はトラックの正面を駆けぬけざま斬魂刀を一閃、瞬時に死人と化した運転手を乗せたトラックは暴走して奥の建物に突っ込んだ。轟音とともに簡易ユニットの壁が粉砕され、中にいたリーダー格の男と娘が、あられもない姿で飛び出してきた。
残ったテロリストたちはパニックに陥り、集めた女たちを残したまま手近の車に飛び乗ると、そのまま蜘蛛の子を散らすように逃げさってしまった。
それからしばらく経って、ようやく保安部隊が到着した。
保護された女たちは口々にこれまでの経緯を話したが、隊員たちは「とても信じられない」といった様子で目を白黒させるばかりであった。
なにより彼女らのいう「昔の軍服姿で剣を持った女戦士」がどこにも見あたらない。
そしてさらに不可解なことには、現場に残されたテロリスト九人の遺体には一人だけ拳銃で撃たれた痕が認められたものの、あとの八人の骸はまったくの無傷だったのである。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
その数ヶ月後、世間では奇妙な噂がささやかれるようになった。その噂とは「黒いカイエンからミニスカートの軍服を着た女が降りてくると、その近くで必ず死人が出る」というもので、やがてその話は都市伝説として定着した。ちなみにカイエンとはポルシェのオフロード仕様車のことである。
たとえば話の一例を挙げると、
―――深夜、ある高級住宅街の一角に、一台の黒いポルシェ・カイエンが停まった。中からは物ものしい野戦軍装姿の人物が降りてくる。
女性だ。軍服は現代のものではない。昭和初期、第二次大戦中に陸軍将校の着ていた詰め襟タイプである。
ただし、下は膝上までのミニスカートなのが異様だった。すらりと伸びた両脚はカイエンの車体と同じくらい黒く艶のある乗馬用革長靴で大部分おおわれているが、スカートと長靴の間から覗くあらわな太ももが夜目にも白く浮かび上がっている。ヘルメットを目深にかぶっているが、眉庇の下を見ると色白で細おもての美女ということは容易に判別できた。腰に下がっている長い得物は軍刀だろう、現代ではとうの昔に忘れさられた古い武器だ。
軍装姿の女は一軒の豪邸の前に立つと、おもむろに軍刀の柄に手をかけてキラリと剣を抜き、居合術のような所作で眼前の空間を一閃した。
そして刀を鞘におさめると、革長靴の靴音を響かせつつ落ちついた足どりでカイエンに乗りこみ、そのまま夜の闇へと走りさった。
翌朝のニュースは、その住宅地内で発生した、ある人物の死を伝えていた――彼(四十五歳・自営業)はベッドの上で仰向けに倒れて絶命しているのを家人に発見された。室内には何者かが侵入した形跡はみられず、遺体にも外傷ひとつない。死因は不明で「突然死」として片づけられたが、あとになってこの人物は一連の行方不明事件と深く関わっているらしいことが判明した。
そして他の事例も細部では違いがあれど、黒のカイエンからミニスカートの軍服姿の女が降り立つ姿が目撃された場所では必ず人が死に、死んだ人物は何らかの凶悪犯罪関係者の疑いがあるというところでは共通していた。
「もしかすると彼女は、公の裁きを逃れている悪人に天誅を下す目的で冥界からやってきた死神じゃないのか」それは一種の怪談であったが、勧善懲悪を好む世人には快哉を叫ばしめる痛快事でもあった。
なおこの都市伝説には続きがあって、なんでも「天に照らしてもなお万死に値する極悪人を成敗してほしい」と望む者は、あるサイトに秘密の合言葉を入力すれば、彼女が必ず望みをかなえてくれるというものである。
ただしそれには「もし依頼者の貴方がそれに該当すると判断された場合は、予告なく貴方の御霊をお預かりしますので、あらかじめご了承ください」という恐ろしい注意書きが添えてあるので、悪意で殺人代行を依頼しようとしている連中には強いブレーキがかかるようになっているという。
(なんて過激な……だけど藤本摩耶中将閣下にはふさわしい仕事かな)
巷間の都市伝説を紹介したウェブサイトをながめていた健太は画面を閉じてPCの電源を落とした。
――いやな予感がした。正確には七分の不安と、残り三分は密かな期待だった。それは摩耶が再び健太の前にあらわれて、コンビを組まされるのではないかということであった。
摩耶がおのれの活躍の場を見いだしたのは祝福すべきことなのだろうが、彼女はますます健太のような一般人からは縁遠い存在となりつつある。むろん再会したい気持ちはやまやまだが、今度はこれまでのような「美少女骨董コレクター」とはレベルの違う、「異次元殺人請負業者」の助手ということになるのだ。そこまで危険な存在に特化した彼女の運命に巻きこまれることだけは金輪際ご勘弁願いたい。
『どうか英雄とならぬように――英雄の志を起こさぬように力のないわたしをお守りくださいまし』芥川龍之介「侏儒の言葉」の一節が健太の脳裏をよぎる――そうだ、俺は「侏儒」、平穏な一小市民であればいいのだ、それが人生最高の満足なのだ。
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