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第6話 斬魂刀(二)
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ふたりが目指した刀工の家は、先日訪問した大佐の家ほど離れていない、ある都市の郊外にあった。
刀工の家は現在、手作り包丁の店として看板を出していた。ネットで調べてみると、この店の包丁は切れ味がよく長もちするというので、地元のみならず県外からも注文があるらしい。
「ごめんください」摩耶が声をかけると、若い男の店員が出てきた。
「刀を一口打っていただきたいのですが」
店員は、「少々おまちください」と店の奥に消え、やがて五十代後半くらいの年配の男性が姿をあらわした。店主の結城信生氏である。
結城氏は言った、「刀を作ってほしいということですか。うちはもともと刀鍛冶なので、もちろん刀も作ります。だけどこのところ包丁の注文が多くて」
一年ほど待ってもらうことになるが、それでもかまわないかという氏の問いに摩耶は「じつは『斬魂刀』を作っていただきたいのです」と、単刀直入の一言。
それを聞いた結城氏の顔色が変わった。彼は店員を呼ぶと「急用ができたので、しばらく店を閉める、今日はもう帰っていい」と言った。
店員を帰してしまうと店先に「本日は閉店しました」の看板を出し、リストを見ながら予約客に「都合により包丁の納品が遅れる」旨の電話を入れはじめた。
摩耶と健太はそのまま店内でしばらく待たされていたが、とりあえず連絡が済んだらしく、ようやく結城氏がこちらを振りむいて訊ねた「どこで斬魂刀のことをお知りになったのですか」
「昭和のはじめ、戦前にこの店をおとずれたことのある、当時陸軍中佐だった人の話からです」摩耶は他人事のような物言いをした。生まれ変わる前の自分が、当時の刀工から直接聞いたと正直に話したところでとうてい信じてもらえないだろうから、まあしかたないだろう。
すると結城氏は得たりとばかり膝をたたいた。「ああ、その話ならよく知っています、私の曾祖父がこの店の主だったころ、ひとりの軍人さんがやってきて、斬魂刀について詳しく聞いていったことがあると……すると貴方は、その軍人さんか、お知り合いのご子孫なのですね」
まあそういったところですと摩耶は軽く返しながら、さらに白々しく訊ねる「ちなみに、その軍人は斬魂刀を作ってもらったのですか」
「いや、軍人さんが来たのはそれ一度きりだったそうです、曾祖父は、自分が二百年ぶりに斬魂刀を手がけることができたかもしれなかったのにと、たいそう悔やんでいたと聞きました」
摩耶はおおきくうなずいた。「その軍人も、できることなら注文したかったのだが、職業がら一ヶ月以上の『修行』に割く時間がとれず残念だと申しておりました」
「どうやらこれから私がご説明しようとしている斬魂刀の必要条件についてもご存じのようですな」結城氏は居ずまいを正して言った、「ひととおりお聞かせ願えませんか」
摩耶は例の「七つの要件」について説明した。
話を聞きおえた結城氏は、「そのとおりです、当時その軍人さんは熱心にメモをとりながら曾祖父の話を聞いておられたということですから、そこまでくわしく伝わっていたのでしょうな、それなら話は早いというものです」
彼はそこで一息つくと、手元の茶をひとくち啜った。そうして話をつづけた。
「ご承知のとおり、私の家は先祖代々、刀鍛冶を生業としてきました。応仁の大乱のとき家や工房が焼かれ、刀匠も殺されたそうですが、長年鍛冶を手伝っていた弟子が跡を引きついだので、なんとか家は絶えずにすみました。そのため正確な系図も五百数十年前までしか遡ることはできないのですが、じっさいは千年以上前から刀を打っていたと聞いています」
そうだとすれば、この刀工は日本刀の創生期の頃からつづいている、老舗中の老舗である。
「斬魂刀が生まれたきっかけは、元寇だったと聞いています。古今未曾有の国難を経験した武士たちは、おのれが手にする太刀に、さらなる実戦能力をもとめたのです……ところでお嬢さん」結城氏は摩耶に向かって言った、「この国に武士や軍隊が存在しなかった時代があったのはご存じですね」
「平安時代ですか」
「そうです、末期には源氏や平家が覇権をあらそい、やがて武士の時代に移って行きますが、それまで日本には一定の武装組織は存在しませんでした」
「平安時代というと、当時『唐』と呼ばれた中国との交流を絶ち、国風文化が発達した時期ですね」
「はい、私たちは平安期というと十二単や平等院に代表される、絵巻物に描かれているように雅な風景を連想してしまいがちですが、現実には貴族たちのドロドロした権力闘争で明け暮れる世界でした。憎い競争相手を蹴落として、すこしでも高い地位に上りつめようという、欲望と嫉妬の渦巻いていた時代です」
「それなら実力行使で相手をやっつけたいと考えたくなりますよね」ここで健太が口をはさんだ。「武士や軍隊がなかったというのは不思議な話だ」
結城氏は健太と摩耶を交互に振りむいて言った、「当時の貴族たちは武器を使わずに相手を倒す方法を知っていたのです。そして、それが斬魂刀を開発するきっかけでもあったのです」
結城氏はそれから、「呪禁道」、「陰陽道」、「修験道」といった、この国につたわる呪詛の文化について語った。そして、平安期の人々はそれらの呪いの数々を駆使することにより、数多の怨敵と戦ってきたというのだ。
「呪いなんて迷信じゃないですか」そう言いながらも健太は深夜、蝋燭を立てた鉄輪を頭にかぶり、白衣をまとった女が長い髪を振りみだし、呪詛の言葉を吐きながら呪う相手に見たてた藁人形を神木に五寸釘で打ちつけている、おどろおどろしい図を想像していた。
「平安遷都の七九四年から、武士の台頭を象徴する保元の乱が勃発した一一五六年まで三六二年の開きがあります」結城氏は健太を見すえて言った、「ただの迷信なら貴族たちが三百年以上も刀槍弓矢に頼ることなく呪詛合戦をつづけてきたと思いますか」
「平安貴族の呪詛合戦」という言葉を聞かされた健太には以前観た映画「陰陽師」の光景が想起された。高名な陰陽師の安倍晴明が、朝廷への恨みから悪霊の力を駆使して政権転覆を狙う道尊と戦いを繰りひろげるストーリーの各場面が、あらためて脳裏を駆けめぐった。
「武士の世が到来してからは、弓矢と太刀による実力行使が相手を倒す手段となり、呪いは脇役的な存在となります。その後は貴族の衰退と歩調をあわせるかのように、世間からも忘れさられて行くことになるのですが」
結城氏はここでいったん話を止め、またひとくち茶を啜り、さらに話をつづけた「そこへ元寇の到来です。モンゴルの兵士たちは海をへだてた遠い存在の異民族でした。しかし彼らはヨーロッパにもおよぶ、空前絶後の広大な版図を掌握した勇猛無比の戦士たちでもありました。そうした強力な軍隊を阻止するためには国中の武士のみならず、すべての民たちが貴賤を問わず一丸となって立ち向かうことが不可欠でした――総力戦です」
武士以外の非戦闘員は上陸阻止の石塁や木柵の建設、海岸一面に軍船の接岸を防ぐ杭を打ちこむ土木作業や、兵糧の運搬などにすすんで加わり、船大工たちは渡航仕様のため大型で小まわりのきかない蒙古の軍船に奇襲攻撃をしかけるための、軽快な小型艇の増産に全力をあげた。
その一方で、全国の神社仏閣では「敵國降伏」のさまざまな祈祷がおこなわれた。国家存亡の危機でもあり、神官や僧侶たちは渾身の願いをこめて祈ったことであろう。平安貴族の没落以来、ひさしく忘れさられていた呪法の数々も、あらためて古文書をひもといて検証されたに違いない。
ところで当時、結城氏の祖先にあたる刀匠、正信は、ほかの数多の同業者たちとひとしく「折れず、曲がらず、よく切れる」という、刀剣にもとめられる三大原則を追求してきたが、顧客のひとりから「元寇景気」で活況を呈している当世呪詛事情をきかされているうちに、刀にそうした呪法の霊力を加えることで、より強力な武器を作ることができるのではないかと思い至ったのである。彼は戦争を前にした武士たちの注文に応じ、太刀作りに寝る間もないほど多忙をきわめていたことから、新刀開発の余裕などはまったくなかったが、思いはつのる一方であった。このため元軍が退散して戦いが終結すると、すぐに作刀の仕事は弟子にまかせ、妻子は家においたまま単身で各地を回って様々な呪法の修行に励んだ。
数年後、ひととおりの呪法を習得した正信は家に帰ると専用の工房を拵え、そこに隠りきりで太刀に霊力を込める実験を繰りかえした。
正信が着目したのは、呪法がおこなわれる際に用いられる法具や呪具の数々であった。それらはじつに多種多様であり、独鈷杵、三鈷杵、五鈷杵、羯磨、金剛鈴など、正統派の密教的な色彩を帯びたものから、勾玉、櫛、鏡、隕石、さらには頭蓋骨やミイラ、蠱毒といった、いかにも「呪具」そのもののような代物まで存在した。
彼はこれらの道具は法力もしくは呪力の増幅装置であろうと解釈した。そして鉄という、腐蝕しやすくありふれた素材を火と水で丹念に鍛えることで、単なる武器と称するにはもったいないほどの美しい芸術品の域にまで高められた刀剣には作刀者のきわめて強い念が込められており、呪力を増幅させる役割を果たすのに十二分の資格があると考えたのだ。
何年も試行錯誤を繰りかえし、正信はついにその太刀を打ち上げた。
彼は完成したばかりの太刀を手に町へ出る。永仁年間当時(十三世紀末)の往来は、現代では想像できないほど物騒で、強盗殺人などは日常茶飯のことであったから、ほどなく奪った財物らしきものを背おい、抜き身を提げた男がこちらに走って来る姿を目にした。
さいぜん人を斬ったのだろう、男の手にした太刀は鮮血で赤黒く染まっていた。
「気をつけろ」
「もう三人殺している」
「役人はまだ来ないか」
そんな群衆のヤジを聞き流しながら、正信は男の前にずいと進み出た。
強盗らしき男は今、通せんぼをするように現われた相手を、おのが逃走の妨害者であると認識したのだろう、走りながら血刀を振り上げ「殺す」と叫んで正信に飛びかかろうとした。
しかし、正信は男の振りおろした刀の切っ先がとどくより先に後ろへ飛びのくと、そのまま太刀を鞘走らせて空を切った。すると男は、まるで芝居の殺陣でも演じているかのようにもんどりうって倒れ、背おっていた包みのなかからは黄金の仏像や、豪華な装飾が施された経典などが飛び出して地面にころがった。
(罰当たりな奴だ、寺に押し入ったのか)
やがて役人たちがやってきたので正信はことの顛末を説明した。役人たちはうなずきながら仔細を書き留めていたが、やがて強盗の死体をあらためていた役人が、死体のどこにも傷がないことに驚きの声をあげた。
「これは……神仏の剣であるか」
奇跡の刀が世に知られた瞬間であった。
その後、噂を聞きつけた武士たちから斬魂刀の注文が殺到し、正信は仕事にとりかかったのだが、不思議なことに体がうごかない。鍛冶道具の槌を振りあげようとしても、腕にまったく力が入らないのである。
しかたがないので弟子の一人に命じて打たせたところ、今度は問題なく仕上げることができた。
しかし、その弟子も二口目の製作に取りかかったところ、やはり槌を持つ手に力が入らず作刀できない。
このことによって斬魂刀は刀工一人につき一口しか打てないことが判明した。正信は斬魂刀の製法を一子相伝とし、後継者にのみ口伝で継承することとした。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「敷島中佐(当時)が参謀本部の資料室で見つけた文献によると、斬魂刀で斃された真田の兵は、甲冑は無傷だったが、胴体はバッサリ両断されていたとありましたが」
そう摩耶が問うと、結城氏は言った、「斬魂刀は、物理的な破壊をともなわずに、直接相手の命を絶つ呪術的な特徴の強い武器です。甲冑同様、肉体を損傷させることもありません。誤伝か、あるいは意図的に改変されたのでしょう。傷もなく死ぬよりは、血飛沫のもと一刀両断のほうが、威勢があって軍記ものには似あいますからね」
斬魂刀開発の経緯についてひととおり話しおえた結城氏は、あらためて本題である商談に移った。
「その後、二百八十年以上前に最後の注文があって以降、斬魂刀は作られていません。そのため私自身、まだ現物を目にしたことはなく、これが初めての、そして最後の作刀となります……正直いって自信はありませんが、ここは先代から受けついだ製法に従って取りかかるしかないと思っています」
「よろしくお願いします」摩耶は深々と頭をさげる。
「ところで」結城氏は言った、「斬魂刀を作るには、注文主が着用する甲冑が必要ということになっておりますが」
「それならここにあります」摩耶はそう言って持参のキャリーケースをひらいた。
「八十数年前、ここに来た軍人の軍装です、私の体格に合うように直しています。ただしこの鉄帽以外、厳密には『甲冑』とは呼べないかもしれませんが」
結城氏は装備を手にとって検分し、そして顔を上げて言った、「いや、これならば戦場におもむく者が身につける晴れ着ということで甲冑と見なしてもいいでしょう」
(なるほど、摩耶が大佐の軍服をリフォームしたのはこのためだったのか)健太は内心独りごちた。
「ちなみに製作費用のことですが」摩耶はポケットから封筒を取り出しテーブルの上に置いた。中には例の古書や刀を売り払って得た金が入っている。
結城氏は封筒の中を見ることもなく言った、「それで結構です」
代金の額は注文主の任意であり、作刀者が決めることはできないという。それよりむしろ、生涯一度の霊剣を打つ機会を与えてもらったことに感謝している、と彼は言った。
「これから斬魂刀の基礎となる『下地刀』の製作に取りかかります。すでにお聞きおよびのとおり、刀が完成したら、その刀に魂を吹きこむために、貴方には一ヶ月の修行に励んでいただくことになります」
下地刀の製作には半月ほどかかることから、完成しだい、あらためて結城氏から連絡するという話だったので、摩耶と健太は礼を言って帰路につく。
「なんで制作費が注文主まかせなのかな」帰りの道すがら、健太が最前からの疑問をつぶやく。
「まあ、これは想像になるが、損得勘定のような邪念が入ると集中できなくなるというようなことかな、それだけデリケートな作業なんだろう」軍装の入ったキャリーケースをごろごろ引きながら摩耶が答えた。
刀工の家は現在、手作り包丁の店として看板を出していた。ネットで調べてみると、この店の包丁は切れ味がよく長もちするというので、地元のみならず県外からも注文があるらしい。
「ごめんください」摩耶が声をかけると、若い男の店員が出てきた。
「刀を一口打っていただきたいのですが」
店員は、「少々おまちください」と店の奥に消え、やがて五十代後半くらいの年配の男性が姿をあらわした。店主の結城信生氏である。
結城氏は言った、「刀を作ってほしいということですか。うちはもともと刀鍛冶なので、もちろん刀も作ります。だけどこのところ包丁の注文が多くて」
一年ほど待ってもらうことになるが、それでもかまわないかという氏の問いに摩耶は「じつは『斬魂刀』を作っていただきたいのです」と、単刀直入の一言。
それを聞いた結城氏の顔色が変わった。彼は店員を呼ぶと「急用ができたので、しばらく店を閉める、今日はもう帰っていい」と言った。
店員を帰してしまうと店先に「本日は閉店しました」の看板を出し、リストを見ながら予約客に「都合により包丁の納品が遅れる」旨の電話を入れはじめた。
摩耶と健太はそのまま店内でしばらく待たされていたが、とりあえず連絡が済んだらしく、ようやく結城氏がこちらを振りむいて訊ねた「どこで斬魂刀のことをお知りになったのですか」
「昭和のはじめ、戦前にこの店をおとずれたことのある、当時陸軍中佐だった人の話からです」摩耶は他人事のような物言いをした。生まれ変わる前の自分が、当時の刀工から直接聞いたと正直に話したところでとうてい信じてもらえないだろうから、まあしかたないだろう。
すると結城氏は得たりとばかり膝をたたいた。「ああ、その話ならよく知っています、私の曾祖父がこの店の主だったころ、ひとりの軍人さんがやってきて、斬魂刀について詳しく聞いていったことがあると……すると貴方は、その軍人さんか、お知り合いのご子孫なのですね」
まあそういったところですと摩耶は軽く返しながら、さらに白々しく訊ねる「ちなみに、その軍人は斬魂刀を作ってもらったのですか」
「いや、軍人さんが来たのはそれ一度きりだったそうです、曾祖父は、自分が二百年ぶりに斬魂刀を手がけることができたかもしれなかったのにと、たいそう悔やんでいたと聞きました」
摩耶はおおきくうなずいた。「その軍人も、できることなら注文したかったのだが、職業がら一ヶ月以上の『修行』に割く時間がとれず残念だと申しておりました」
「どうやらこれから私がご説明しようとしている斬魂刀の必要条件についてもご存じのようですな」結城氏は居ずまいを正して言った、「ひととおりお聞かせ願えませんか」
摩耶は例の「七つの要件」について説明した。
話を聞きおえた結城氏は、「そのとおりです、当時その軍人さんは熱心にメモをとりながら曾祖父の話を聞いておられたということですから、そこまでくわしく伝わっていたのでしょうな、それなら話は早いというものです」
彼はそこで一息つくと、手元の茶をひとくち啜った。そうして話をつづけた。
「ご承知のとおり、私の家は先祖代々、刀鍛冶を生業としてきました。応仁の大乱のとき家や工房が焼かれ、刀匠も殺されたそうですが、長年鍛冶を手伝っていた弟子が跡を引きついだので、なんとか家は絶えずにすみました。そのため正確な系図も五百数十年前までしか遡ることはできないのですが、じっさいは千年以上前から刀を打っていたと聞いています」
そうだとすれば、この刀工は日本刀の創生期の頃からつづいている、老舗中の老舗である。
「斬魂刀が生まれたきっかけは、元寇だったと聞いています。古今未曾有の国難を経験した武士たちは、おのれが手にする太刀に、さらなる実戦能力をもとめたのです……ところでお嬢さん」結城氏は摩耶に向かって言った、「この国に武士や軍隊が存在しなかった時代があったのはご存じですね」
「平安時代ですか」
「そうです、末期には源氏や平家が覇権をあらそい、やがて武士の時代に移って行きますが、それまで日本には一定の武装組織は存在しませんでした」
「平安時代というと、当時『唐』と呼ばれた中国との交流を絶ち、国風文化が発達した時期ですね」
「はい、私たちは平安期というと十二単や平等院に代表される、絵巻物に描かれているように雅な風景を連想してしまいがちですが、現実には貴族たちのドロドロした権力闘争で明け暮れる世界でした。憎い競争相手を蹴落として、すこしでも高い地位に上りつめようという、欲望と嫉妬の渦巻いていた時代です」
「それなら実力行使で相手をやっつけたいと考えたくなりますよね」ここで健太が口をはさんだ。「武士や軍隊がなかったというのは不思議な話だ」
結城氏は健太と摩耶を交互に振りむいて言った、「当時の貴族たちは武器を使わずに相手を倒す方法を知っていたのです。そして、それが斬魂刀を開発するきっかけでもあったのです」
結城氏はそれから、「呪禁道」、「陰陽道」、「修験道」といった、この国につたわる呪詛の文化について語った。そして、平安期の人々はそれらの呪いの数々を駆使することにより、数多の怨敵と戦ってきたというのだ。
「呪いなんて迷信じゃないですか」そう言いながらも健太は深夜、蝋燭を立てた鉄輪を頭にかぶり、白衣をまとった女が長い髪を振りみだし、呪詛の言葉を吐きながら呪う相手に見たてた藁人形を神木に五寸釘で打ちつけている、おどろおどろしい図を想像していた。
「平安遷都の七九四年から、武士の台頭を象徴する保元の乱が勃発した一一五六年まで三六二年の開きがあります」結城氏は健太を見すえて言った、「ただの迷信なら貴族たちが三百年以上も刀槍弓矢に頼ることなく呪詛合戦をつづけてきたと思いますか」
「平安貴族の呪詛合戦」という言葉を聞かされた健太には以前観た映画「陰陽師」の光景が想起された。高名な陰陽師の安倍晴明が、朝廷への恨みから悪霊の力を駆使して政権転覆を狙う道尊と戦いを繰りひろげるストーリーの各場面が、あらためて脳裏を駆けめぐった。
「武士の世が到来してからは、弓矢と太刀による実力行使が相手を倒す手段となり、呪いは脇役的な存在となります。その後は貴族の衰退と歩調をあわせるかのように、世間からも忘れさられて行くことになるのですが」
結城氏はここでいったん話を止め、またひとくち茶を啜り、さらに話をつづけた「そこへ元寇の到来です。モンゴルの兵士たちは海をへだてた遠い存在の異民族でした。しかし彼らはヨーロッパにもおよぶ、空前絶後の広大な版図を掌握した勇猛無比の戦士たちでもありました。そうした強力な軍隊を阻止するためには国中の武士のみならず、すべての民たちが貴賤を問わず一丸となって立ち向かうことが不可欠でした――総力戦です」
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その一方で、全国の神社仏閣では「敵國降伏」のさまざまな祈祷がおこなわれた。国家存亡の危機でもあり、神官や僧侶たちは渾身の願いをこめて祈ったことであろう。平安貴族の没落以来、ひさしく忘れさられていた呪法の数々も、あらためて古文書をひもといて検証されたに違いない。
ところで当時、結城氏の祖先にあたる刀匠、正信は、ほかの数多の同業者たちとひとしく「折れず、曲がらず、よく切れる」という、刀剣にもとめられる三大原則を追求してきたが、顧客のひとりから「元寇景気」で活況を呈している当世呪詛事情をきかされているうちに、刀にそうした呪法の霊力を加えることで、より強力な武器を作ることができるのではないかと思い至ったのである。彼は戦争を前にした武士たちの注文に応じ、太刀作りに寝る間もないほど多忙をきわめていたことから、新刀開発の余裕などはまったくなかったが、思いはつのる一方であった。このため元軍が退散して戦いが終結すると、すぐに作刀の仕事は弟子にまかせ、妻子は家においたまま単身で各地を回って様々な呪法の修行に励んだ。
数年後、ひととおりの呪法を習得した正信は家に帰ると専用の工房を拵え、そこに隠りきりで太刀に霊力を込める実験を繰りかえした。
正信が着目したのは、呪法がおこなわれる際に用いられる法具や呪具の数々であった。それらはじつに多種多様であり、独鈷杵、三鈷杵、五鈷杵、羯磨、金剛鈴など、正統派の密教的な色彩を帯びたものから、勾玉、櫛、鏡、隕石、さらには頭蓋骨やミイラ、蠱毒といった、いかにも「呪具」そのもののような代物まで存在した。
彼はこれらの道具は法力もしくは呪力の増幅装置であろうと解釈した。そして鉄という、腐蝕しやすくありふれた素材を火と水で丹念に鍛えることで、単なる武器と称するにはもったいないほどの美しい芸術品の域にまで高められた刀剣には作刀者のきわめて強い念が込められており、呪力を増幅させる役割を果たすのに十二分の資格があると考えたのだ。
何年も試行錯誤を繰りかえし、正信はついにその太刀を打ち上げた。
彼は完成したばかりの太刀を手に町へ出る。永仁年間当時(十三世紀末)の往来は、現代では想像できないほど物騒で、強盗殺人などは日常茶飯のことであったから、ほどなく奪った財物らしきものを背おい、抜き身を提げた男がこちらに走って来る姿を目にした。
さいぜん人を斬ったのだろう、男の手にした太刀は鮮血で赤黒く染まっていた。
「気をつけろ」
「もう三人殺している」
「役人はまだ来ないか」
そんな群衆のヤジを聞き流しながら、正信は男の前にずいと進み出た。
強盗らしき男は今、通せんぼをするように現われた相手を、おのが逃走の妨害者であると認識したのだろう、走りながら血刀を振り上げ「殺す」と叫んで正信に飛びかかろうとした。
しかし、正信は男の振りおろした刀の切っ先がとどくより先に後ろへ飛びのくと、そのまま太刀を鞘走らせて空を切った。すると男は、まるで芝居の殺陣でも演じているかのようにもんどりうって倒れ、背おっていた包みのなかからは黄金の仏像や、豪華な装飾が施された経典などが飛び出して地面にころがった。
(罰当たりな奴だ、寺に押し入ったのか)
やがて役人たちがやってきたので正信はことの顛末を説明した。役人たちはうなずきながら仔細を書き留めていたが、やがて強盗の死体をあらためていた役人が、死体のどこにも傷がないことに驚きの声をあげた。
「これは……神仏の剣であるか」
奇跡の刀が世に知られた瞬間であった。
その後、噂を聞きつけた武士たちから斬魂刀の注文が殺到し、正信は仕事にとりかかったのだが、不思議なことに体がうごかない。鍛冶道具の槌を振りあげようとしても、腕にまったく力が入らないのである。
しかたがないので弟子の一人に命じて打たせたところ、今度は問題なく仕上げることができた。
しかし、その弟子も二口目の製作に取りかかったところ、やはり槌を持つ手に力が入らず作刀できない。
このことによって斬魂刀は刀工一人につき一口しか打てないことが判明した。正信は斬魂刀の製法を一子相伝とし、後継者にのみ口伝で継承することとした。
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「敷島中佐(当時)が参謀本部の資料室で見つけた文献によると、斬魂刀で斃された真田の兵は、甲冑は無傷だったが、胴体はバッサリ両断されていたとありましたが」
そう摩耶が問うと、結城氏は言った、「斬魂刀は、物理的な破壊をともなわずに、直接相手の命を絶つ呪術的な特徴の強い武器です。甲冑同様、肉体を損傷させることもありません。誤伝か、あるいは意図的に改変されたのでしょう。傷もなく死ぬよりは、血飛沫のもと一刀両断のほうが、威勢があって軍記ものには似あいますからね」
斬魂刀開発の経緯についてひととおり話しおえた結城氏は、あらためて本題である商談に移った。
「その後、二百八十年以上前に最後の注文があって以降、斬魂刀は作られていません。そのため私自身、まだ現物を目にしたことはなく、これが初めての、そして最後の作刀となります……正直いって自信はありませんが、ここは先代から受けついだ製法に従って取りかかるしかないと思っています」
「よろしくお願いします」摩耶は深々と頭をさげる。
「ところで」結城氏は言った、「斬魂刀を作るには、注文主が着用する甲冑が必要ということになっておりますが」
「それならここにあります」摩耶はそう言って持参のキャリーケースをひらいた。
「八十数年前、ここに来た軍人の軍装です、私の体格に合うように直しています。ただしこの鉄帽以外、厳密には『甲冑』とは呼べないかもしれませんが」
結城氏は装備を手にとって検分し、そして顔を上げて言った、「いや、これならば戦場におもむく者が身につける晴れ着ということで甲冑と見なしてもいいでしょう」
(なるほど、摩耶が大佐の軍服をリフォームしたのはこのためだったのか)健太は内心独りごちた。
「ちなみに製作費用のことですが」摩耶はポケットから封筒を取り出しテーブルの上に置いた。中には例の古書や刀を売り払って得た金が入っている。
結城氏は封筒の中を見ることもなく言った、「それで結構です」
代金の額は注文主の任意であり、作刀者が決めることはできないという。それよりむしろ、生涯一度の霊剣を打つ機会を与えてもらったことに感謝している、と彼は言った。
「これから斬魂刀の基礎となる『下地刀』の製作に取りかかります。すでにお聞きおよびのとおり、刀が完成したら、その刀に魂を吹きこむために、貴方には一ヶ月の修行に励んでいただくことになります」
下地刀の製作には半月ほどかかることから、完成しだい、あらためて結城氏から連絡するという話だったので、摩耶と健太は礼を言って帰路につく。
「なんで制作費が注文主まかせなのかな」帰りの道すがら、健太が最前からの疑問をつぶやく。
「まあ、これは想像になるが、損得勘定のような邪念が入ると集中できなくなるというようなことかな、それだけデリケートな作業なんだろう」軍装の入ったキャリーケースをごろごろ引きながら摩耶が答えた。
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歪で醜く禍々しい容姿と、常識外れの身体能力、そしてスタンスを持つ、隊員として非常に異質な存在である彼。
そんな隊員である制刻は、陸隊の行う大規模な演習に参加中であったが、その最中に取った一時的な休眠の途中で、不可解な空間へと導かれる。そして、そこで会った作業服と白衣姿の謎の人物からこう告げられた。
「異なる世界から我々の世界に、殴り込みを掛けようとしている奴らがいる。先手を打ちその世界に踏み込み、この企みを潰せ」――と。
そして再び目を覚ました時、制刻は――そして制刻の所属する普通科小隊を始めとする、各職種混成の約一個中隊は。剣と魔法が力の象徴とされ、モンスターが跋扈する未知の世界へと降り立っていた――。
制刻を始めとする異質な隊員等。
そして問題部隊、〝第54普通科連隊〟を始めとする各部隊。
元居た世界の常識が通用しないその異世界を、それを越える常識外れな存在が、掻き乱し始める。
〇案内と注意
1) このお話には、オリジナル及び架空設定を多数含みます。
2) 部隊規模(始めは中隊規模)での転移物となります。
3) チャプター3くらいまでは単一事件をいくつか描き、チャプター4くらいから単一事件を混ぜつつ、一つの大筋にだんだん乗っていく流れになっています。
4) 主人公を始めとする一部隊員キャラクターが、超常的な行動を取ります。ぶっ飛んでます。かなりなんでも有りです。
5) 小説家になろう、カクヨムにてすでに投稿済のものになりますが、そちらより一話当たり分量を多くして話数を減らす整理のし直しを行っています。
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