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第3話 空中軍艦
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敷島大佐の家は、自然ゆたかな某県にあり、電車と路線バスを乗りつぎながら三時間ほどで到着した。大佐にとっては摩耶に転生する遙か以前、敷島十朗として昭和十九年に出征して以来の帰郷ということになる。
事前に調べた情報によると、敷島大佐の家には現在、大佐の孫にあたる芳子さんが住んでいる。御年八十歳、夫は数年前に他界し、子供たちもそれぞれ独立して家を出て行き、現在は芳子さんの一人ぐらしであるとのこと。
なお訪問に際しては、事前に次のような打ち合わせができていた。
まず、いきなり二十歳の摩耶が「おじいちゃんだよ」と訪ねても、相手は目をまわしてしまうだろうから、健太が自分は大学で「死後の世界」について研究しており、死者と交信できる霊能者の能力のデータ収集のため、霊能者本人を同伴して貴家のご先祖の霊との交信を試みたいのだが、どうか協力してもらえないかと頼みこむというものであった。
そして事前のアポイントメントについては、オカルトじみた内容だけに却って警戒されるだろうから、ここは門前払い覚悟のアポなし訪問にしようということになった。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
バスを降りて徒歩二十分ほどで、摩耶と健太は家の前に到着した。
摩耶は「若いが実力派の霊能者」という触れこみなので、おちついたダークグレーのスーツ姿で歩きやすい黒のローファーを履き、ごくひかえめのナチュラルメイクに、装身具は極細シルバーのネックレスのみで、肩には黒革無地で小ぶりのバッグをかけていた。さすがに先日のような拳銃こそ持参していないが、バッグの中には伸縮式の金属警棒をしのばせている。
かたや健太のほうは、チェック柄のシャツにサンドカラーのチノパン、ネービーブルーのマウンテンパーカーといった、市井の一学生としては平凡かつ無難なスタイルであった。
そんないでたちの摩耶と健太がならんで歩いていると、見ようによっては保険の勧誘員と、その道案内をする地元の若者のようにも思える。
ふたりはしばらく玄関先にたたずんでいた。
「さすがに古くなったが、あのときのままだ」
感慨深げにつぶやく摩耶。昭和二年、三十五歳で少佐に進級した際に思いきって新築した家だというから、いまでは古民家として分類される家屋だろう。現代の平均的な一軒家と比較しても大差ない規模で、当時としてはモダンな要素を多く取り入れている。大正時代以降に流行した「文化住宅」と称されたその住宅は、現代人の目から見ると和洋折衷の家の造作のおもしろさはもちろんのこと、星霜を経た板壁の色合いも年代物のウイスキーのようでじつに趣がある。
健太がインターホン(当然これは近年における文明の利器である)を押して来意を告げたところ、こざっぱりとした身なりの高齢女性が玄関口に姿を現わした。
彼はかねての打ち合わせどおり学生証を提示しながら、自分は死後の世界について研究している学生であること、突然の訪問でまことに申しわけないが、同行の霊能者(摩耶)に貴方のご先祖さまの降霊をさせていただけないかと頼みこんだところ、予想どおりやんわりと拒絶された。
むりもない。単身の高齢者を標的にした犯罪がおおい昨今、あやしげな訪問販売か、新興宗教への勧誘か何かと疑われたのだろう。
しかしそんな雰囲気は摩耶の次のひと言で一変した。
「芳子、お母さんの『空中軍艦』はまだ持っているかな、ずいぶん遅くなったが、きょうは約束どおり作ってあげるよ」
芳子さんは両手で口を覆ったまま、しばらくその場に立ちつくしていた。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
きれいに整頓された客間に通された二人の前に芳子さんは「何もありませんが」といいながら緑茶と羊羹を出してきた。羊羹は良質の小豆をふんだんに使ってある上等品らしく、すこぶる美味だった。
「ほう、◯◯屋の練り羊羹じゃないか。なつかしいな」そう摩耶が言うと、
「はい、うちは羊羹は◯◯屋さんと決めていますから、そこはおじい様がこの家に住んでらした頃と同じですわ」
そう答えた芳子さんは、健太の方に向きなおって言った、「あの学生さん」
「このお嬢さんには今、ほんとうに私の祖父が降りてきていると思います。まちがいありません、この人は祖父の敷島十朗です」
その理由は「空中軍艦」にあるという。芳子さんの母(敷島大佐の長女)絹江さんは五年前に九十五歳で天寿を全うしたが、亡くなる数ヶ月前に「私もそろそろお迎えが近いから『空中軍艦』はあの世で父に作ってもらいましょう」と言った。芳子さんが訊ねると、これはどうやら親子の約束だったらしく、それが果たせぬままに敷島大佐は出征、戦死したらしいのだ。
やがて絹江さんが亡くなり、芳子さんが遺品を整理していると、母の着物をしまっていたタンスの奥から古びた大判の封筒が見つかり、中にはその「空中軍艦」が入っていたという――まあ、そうしたいきさつを摩耶が「空中軍艦」のひとことで的確に言い当てたので、これは本物だと確信したという次第である。
「祖父は私が生まれた年に戦死しているので、私にはまったく記憶がありませんが、そう感じました」
「なるほど」
健太は神妙な面持ちでうなずき、そして先刻から気になっていた疑問を口にした、「ところでひとつ、お訊ねしますが『空中軍艦』って何のことですか」
「ああ、それそれ、私たちの親世代の話ですから、あなた方がご存じなくても当然ですわよね」
芳子さんは懐かしそうに目を細めて話しはじめた「私の母が小学生だった昭和ひとケタの時分は、テレビやゲームなんかなかったから『少年倶楽部』や『少女の友』っていう雑誌が、とても子供たちの間で人気がありました。母は女の子なのに、性格的には男の子のようなところがあって、『少女の友』の美少女カードより『少年倶楽部』の付録をあつめるのに夢中だったそうですよ」
明治維新以降、ほぼ十年おきの対外戦争で白星をかさねてきたことでようやく「列強」の末席に連なることができた日本であったが、関東大震災や凶作、世界大恐慌のあおりをうけ、しだいに不況と軍靴の足音がひびいてきた昭和の幕あけは、そんな不安を忘れたいかのように、モダンで華やかな大衆文化が開花した時期でもあった。
初等教育の普及により識字率がほぼ百パーセントに達し、子供たちの遊びの中にも発達した大量印刷技術の影響で充実した内容の雑誌文化が浸透した。それを代表する雑誌が「少年倶楽部」や「少女の友」であり、それらには当時の少年少女の夢とロマンをかきたてるような小説やマンガ、グラビア等が満載されていた。そしてなんといっても豪華な付録が魅力的だった。
その中でも特筆すべきなのは「少年倶楽部」の組みたて付録であろう。今でいうペーパークラフトのことだが、カラー印刷された厚紙を指定どおり切りぬいて組みたてることで、古今東西の城郭や軍艦、飛行機、立体パノラマなどが完成する。そしてそれらはいずれもかなり精緻なもので、現在の本格的なペーパークラフトと比較しても遜色ないほどの完成度の高さであった。
ところで十朗は娘の絹江をいたく可愛がっており、妻が「そんな男の子のものを」と愚痴をこぼすことには委細かまわずに「少年倶楽部」を買いあたえ、多忙な軍務の時間を割いて付録の組みたても手伝ってやっていた。とりわけ大変だったのは昭和七年新年号の特別付録「戦艦三笠」で、全長八十センチにもおよぶそれは部品の点数もすこぶる多く、完成するまでに数日を要したほどである。
ちなみに「空中軍艦」は「少年倶楽部」昭和八年新年号の組みたて付録であったが、当時の十朗は人事異動で東京三宅坂の参謀本部に勤務することになり、家族とはめったに会うことができなくなっていた。その後は絹江さんも成長して大人となるにつれて自然とそうした遊びから遠ざかり、「空中軍艦」も組みたてられることなく歳月が流れ、今日に至ったという次第である。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
ひととおりそんな経緯を健太に話しおえた芳子さんは席を立って奥の間に消えたが、やがて茶色に変色した大きな封筒を手にしてもどってきた。
「おじい様、ありましたよ『空中軍艦』」
「おお、そうか、これで約束が果たせるな」嬉しそうに摩耶が言う。
摩耶は健太に命じて近所のコンビニからハサミにカッターナイフ、木工ボンドや両面テープなど、ひととおりの工作道具を買いに走らせ、さっそく「空中軍艦」の製作にとりかかった。
次第に組み上がって行くそれは、その名のとおり軍艦に飛行機の翼を取りつけたような形状をしていた。当時最大最強の兵器とされた戦艦と、飛行機の能力を合体させたらという空想上の産物で、全体のフォルムは大型飛行艇に似ていた。
動力として当時一般的なレシプロエンジンが見あたらないのだが、解説によると、それは両翼後端に取りつけたロケットによって推進力を得るという設定になっていた(当時ジェットエンジンは理論としては存在していたが、それが初めて実用化されるのは第二次大戦末期のドイツおいてであって、まだこの国では人口に膾炙していなかった)。また主翼がやや後退しているところや、「V」の字にひらいた尾翼の形状などは、この付録が登場した頃はのちに太平洋戦争で勇名をはせる零式艦上戦闘機すら登場していない時代背景を考えると、子供のおもちゃとはいえ、当時としてはなかなかに先進的なデザインといえるだろう。
摩耶はスーツの上着をぬぎ、腕まくりをして製作に没頭していた。なれた手つきでパーツを切りとり、指定の形状に折り曲げ、接着剤で固定する。主翼前部のふくらみや、砲身の自然な丸みを出すのにコツが必要なようで、とても慎重に取りあつかっている。
「母から聞きましたよ、おじい様ったら、組み立てに熱中して連隊本部に遅刻したこともあったって」
「ああ『愛國號(民間からの献金によって軍に納入された双発機)』を作っていた時だったな、あれは発動機(エンジン)を作るのに手間どって、おかげで汽車に乗りおくれてしまった。あのときは連隊長から大目玉を食らったな……すまんが芳子、そこの②のシートを取ってくれんか」
「この『②艦體(体)の後部』と書いてあるやつですか」
「そう、それだ、ありがとう」
会話の字面だけを見ると、ごく平凡な祖父と孫娘とのやりとりそのものだが、ビジュアル的には二十歳の娘が祖父役で、その祖母ほどの年齢の女性が孫というのだから、異様というほかはない。しかし不思議なことに、健太はほとんど違和感を感じなかった。
やがて完成した「空中軍艦」は、翼長が一メートルにもおよぶ見事なものであった。子供が(いや、大人もそうだが)、この手の巨大で力強い乗り物やロボットを好む傾向にあるのはいつの時代も変わらない。
「おじい様、ありがとう」
「だけど、こんなに大きなモノをどこに置こうかね」
けっきょく「空中軍艦」は、居間の天井から吊りさげて展示することとなり、健太が脚立に上がって取りつけた。使用するヒートン(ねじ込み式の吊り金具)やテグス糸を買うために再び敷島邸と店を往復したことはいうまでもない。彼は本日も大佐の従卒としてのつとめに忠実だった。
「ところで芳子」
摩耶はスーツの上着のボタンを留めながら言った「私の行李はまだあるかね」
芳子さんが答える「ええ、母が大切に取っておきましたから、おじい様が出征して以来、そのままですわ」
「そうか、見せてくれ」
芳子さんの案内で奥の部屋に入った摩耶は、やがて大きな金属製のトランクを抱えてもどってきた。旧日本軍の将校用行李である。いかにも軍用品らしく全体がオリーブ色に塗装され、頑丈そうな留め金と、厚革の持ち手がついている。
摩耶は芳子さんから承諾を得ると、その軍用トランクをもらい受け、別れを惜しみつつ敷島邸をあとにした。
事前に調べた情報によると、敷島大佐の家には現在、大佐の孫にあたる芳子さんが住んでいる。御年八十歳、夫は数年前に他界し、子供たちもそれぞれ独立して家を出て行き、現在は芳子さんの一人ぐらしであるとのこと。
なお訪問に際しては、事前に次のような打ち合わせができていた。
まず、いきなり二十歳の摩耶が「おじいちゃんだよ」と訪ねても、相手は目をまわしてしまうだろうから、健太が自分は大学で「死後の世界」について研究しており、死者と交信できる霊能者の能力のデータ収集のため、霊能者本人を同伴して貴家のご先祖の霊との交信を試みたいのだが、どうか協力してもらえないかと頼みこむというものであった。
そして事前のアポイントメントについては、オカルトじみた内容だけに却って警戒されるだろうから、ここは門前払い覚悟のアポなし訪問にしようということになった。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
バスを降りて徒歩二十分ほどで、摩耶と健太は家の前に到着した。
摩耶は「若いが実力派の霊能者」という触れこみなので、おちついたダークグレーのスーツ姿で歩きやすい黒のローファーを履き、ごくひかえめのナチュラルメイクに、装身具は極細シルバーのネックレスのみで、肩には黒革無地で小ぶりのバッグをかけていた。さすがに先日のような拳銃こそ持参していないが、バッグの中には伸縮式の金属警棒をしのばせている。
かたや健太のほうは、チェック柄のシャツにサンドカラーのチノパン、ネービーブルーのマウンテンパーカーといった、市井の一学生としては平凡かつ無難なスタイルであった。
そんないでたちの摩耶と健太がならんで歩いていると、見ようによっては保険の勧誘員と、その道案内をする地元の若者のようにも思える。
ふたりはしばらく玄関先にたたずんでいた。
「さすがに古くなったが、あのときのままだ」
感慨深げにつぶやく摩耶。昭和二年、三十五歳で少佐に進級した際に思いきって新築した家だというから、いまでは古民家として分類される家屋だろう。現代の平均的な一軒家と比較しても大差ない規模で、当時としてはモダンな要素を多く取り入れている。大正時代以降に流行した「文化住宅」と称されたその住宅は、現代人の目から見ると和洋折衷の家の造作のおもしろさはもちろんのこと、星霜を経た板壁の色合いも年代物のウイスキーのようでじつに趣がある。
健太がインターホン(当然これは近年における文明の利器である)を押して来意を告げたところ、こざっぱりとした身なりの高齢女性が玄関口に姿を現わした。
彼はかねての打ち合わせどおり学生証を提示しながら、自分は死後の世界について研究している学生であること、突然の訪問でまことに申しわけないが、同行の霊能者(摩耶)に貴方のご先祖さまの降霊をさせていただけないかと頼みこんだところ、予想どおりやんわりと拒絶された。
むりもない。単身の高齢者を標的にした犯罪がおおい昨今、あやしげな訪問販売か、新興宗教への勧誘か何かと疑われたのだろう。
しかしそんな雰囲気は摩耶の次のひと言で一変した。
「芳子、お母さんの『空中軍艦』はまだ持っているかな、ずいぶん遅くなったが、きょうは約束どおり作ってあげるよ」
芳子さんは両手で口を覆ったまま、しばらくその場に立ちつくしていた。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
きれいに整頓された客間に通された二人の前に芳子さんは「何もありませんが」といいながら緑茶と羊羹を出してきた。羊羹は良質の小豆をふんだんに使ってある上等品らしく、すこぶる美味だった。
「ほう、◯◯屋の練り羊羹じゃないか。なつかしいな」そう摩耶が言うと、
「はい、うちは羊羹は◯◯屋さんと決めていますから、そこはおじい様がこの家に住んでらした頃と同じですわ」
そう答えた芳子さんは、健太の方に向きなおって言った、「あの学生さん」
「このお嬢さんには今、ほんとうに私の祖父が降りてきていると思います。まちがいありません、この人は祖父の敷島十朗です」
その理由は「空中軍艦」にあるという。芳子さんの母(敷島大佐の長女)絹江さんは五年前に九十五歳で天寿を全うしたが、亡くなる数ヶ月前に「私もそろそろお迎えが近いから『空中軍艦』はあの世で父に作ってもらいましょう」と言った。芳子さんが訊ねると、これはどうやら親子の約束だったらしく、それが果たせぬままに敷島大佐は出征、戦死したらしいのだ。
やがて絹江さんが亡くなり、芳子さんが遺品を整理していると、母の着物をしまっていたタンスの奥から古びた大判の封筒が見つかり、中にはその「空中軍艦」が入っていたという――まあ、そうしたいきさつを摩耶が「空中軍艦」のひとことで的確に言い当てたので、これは本物だと確信したという次第である。
「祖父は私が生まれた年に戦死しているので、私にはまったく記憶がありませんが、そう感じました」
「なるほど」
健太は神妙な面持ちでうなずき、そして先刻から気になっていた疑問を口にした、「ところでひとつ、お訊ねしますが『空中軍艦』って何のことですか」
「ああ、それそれ、私たちの親世代の話ですから、あなた方がご存じなくても当然ですわよね」
芳子さんは懐かしそうに目を細めて話しはじめた「私の母が小学生だった昭和ひとケタの時分は、テレビやゲームなんかなかったから『少年倶楽部』や『少女の友』っていう雑誌が、とても子供たちの間で人気がありました。母は女の子なのに、性格的には男の子のようなところがあって、『少女の友』の美少女カードより『少年倶楽部』の付録をあつめるのに夢中だったそうですよ」
明治維新以降、ほぼ十年おきの対外戦争で白星をかさねてきたことでようやく「列強」の末席に連なることができた日本であったが、関東大震災や凶作、世界大恐慌のあおりをうけ、しだいに不況と軍靴の足音がひびいてきた昭和の幕あけは、そんな不安を忘れたいかのように、モダンで華やかな大衆文化が開花した時期でもあった。
初等教育の普及により識字率がほぼ百パーセントに達し、子供たちの遊びの中にも発達した大量印刷技術の影響で充実した内容の雑誌文化が浸透した。それを代表する雑誌が「少年倶楽部」や「少女の友」であり、それらには当時の少年少女の夢とロマンをかきたてるような小説やマンガ、グラビア等が満載されていた。そしてなんといっても豪華な付録が魅力的だった。
その中でも特筆すべきなのは「少年倶楽部」の組みたて付録であろう。今でいうペーパークラフトのことだが、カラー印刷された厚紙を指定どおり切りぬいて組みたてることで、古今東西の城郭や軍艦、飛行機、立体パノラマなどが完成する。そしてそれらはいずれもかなり精緻なもので、現在の本格的なペーパークラフトと比較しても遜色ないほどの完成度の高さであった。
ところで十朗は娘の絹江をいたく可愛がっており、妻が「そんな男の子のものを」と愚痴をこぼすことには委細かまわずに「少年倶楽部」を買いあたえ、多忙な軍務の時間を割いて付録の組みたても手伝ってやっていた。とりわけ大変だったのは昭和七年新年号の特別付録「戦艦三笠」で、全長八十センチにもおよぶそれは部品の点数もすこぶる多く、完成するまでに数日を要したほどである。
ちなみに「空中軍艦」は「少年倶楽部」昭和八年新年号の組みたて付録であったが、当時の十朗は人事異動で東京三宅坂の参謀本部に勤務することになり、家族とはめったに会うことができなくなっていた。その後は絹江さんも成長して大人となるにつれて自然とそうした遊びから遠ざかり、「空中軍艦」も組みたてられることなく歳月が流れ、今日に至ったという次第である。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
ひととおりそんな経緯を健太に話しおえた芳子さんは席を立って奥の間に消えたが、やがて茶色に変色した大きな封筒を手にしてもどってきた。
「おじい様、ありましたよ『空中軍艦』」
「おお、そうか、これで約束が果たせるな」嬉しそうに摩耶が言う。
摩耶は健太に命じて近所のコンビニからハサミにカッターナイフ、木工ボンドや両面テープなど、ひととおりの工作道具を買いに走らせ、さっそく「空中軍艦」の製作にとりかかった。
次第に組み上がって行くそれは、その名のとおり軍艦に飛行機の翼を取りつけたような形状をしていた。当時最大最強の兵器とされた戦艦と、飛行機の能力を合体させたらという空想上の産物で、全体のフォルムは大型飛行艇に似ていた。
動力として当時一般的なレシプロエンジンが見あたらないのだが、解説によると、それは両翼後端に取りつけたロケットによって推進力を得るという設定になっていた(当時ジェットエンジンは理論としては存在していたが、それが初めて実用化されるのは第二次大戦末期のドイツおいてであって、まだこの国では人口に膾炙していなかった)。また主翼がやや後退しているところや、「V」の字にひらいた尾翼の形状などは、この付録が登場した頃はのちに太平洋戦争で勇名をはせる零式艦上戦闘機すら登場していない時代背景を考えると、子供のおもちゃとはいえ、当時としてはなかなかに先進的なデザインといえるだろう。
摩耶はスーツの上着をぬぎ、腕まくりをして製作に没頭していた。なれた手つきでパーツを切りとり、指定の形状に折り曲げ、接着剤で固定する。主翼前部のふくらみや、砲身の自然な丸みを出すのにコツが必要なようで、とても慎重に取りあつかっている。
「母から聞きましたよ、おじい様ったら、組み立てに熱中して連隊本部に遅刻したこともあったって」
「ああ『愛國號(民間からの献金によって軍に納入された双発機)』を作っていた時だったな、あれは発動機(エンジン)を作るのに手間どって、おかげで汽車に乗りおくれてしまった。あのときは連隊長から大目玉を食らったな……すまんが芳子、そこの②のシートを取ってくれんか」
「この『②艦體(体)の後部』と書いてあるやつですか」
「そう、それだ、ありがとう」
会話の字面だけを見ると、ごく平凡な祖父と孫娘とのやりとりそのものだが、ビジュアル的には二十歳の娘が祖父役で、その祖母ほどの年齢の女性が孫というのだから、異様というほかはない。しかし不思議なことに、健太はほとんど違和感を感じなかった。
やがて完成した「空中軍艦」は、翼長が一メートルにもおよぶ見事なものであった。子供が(いや、大人もそうだが)、この手の巨大で力強い乗り物やロボットを好む傾向にあるのはいつの時代も変わらない。
「おじい様、ありがとう」
「だけど、こんなに大きなモノをどこに置こうかね」
けっきょく「空中軍艦」は、居間の天井から吊りさげて展示することとなり、健太が脚立に上がって取りつけた。使用するヒートン(ねじ込み式の吊り金具)やテグス糸を買うために再び敷島邸と店を往復したことはいうまでもない。彼は本日も大佐の従卒としてのつとめに忠実だった。
「ところで芳子」
摩耶はスーツの上着のボタンを留めながら言った「私の行李はまだあるかね」
芳子さんが答える「ええ、母が大切に取っておきましたから、おじい様が出征して以来、そのままですわ」
「そうか、見せてくれ」
芳子さんの案内で奥の部屋に入った摩耶は、やがて大きな金属製のトランクを抱えてもどってきた。旧日本軍の将校用行李である。いかにも軍用品らしく全体がオリーブ色に塗装され、頑丈そうな留め金と、厚革の持ち手がついている。
摩耶は芳子さんから承諾を得ると、その軍用トランクをもらい受け、別れを惜しみつつ敷島邸をあとにした。
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