転生の剣(登場人物のフィギュア画像7枚あり)

北之 元

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第1話  転生(冒頭に2枚画像あり)

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                    ※ 画像は藤本摩耶(転生後の敷島十朗)


 最後の突撃を前にした敷島十朗しきしまじゅうろう大佐は、いまや山火事の跡同然になってしまった地面にかろうじて刻まれている塹壕ざんごうの中で、生き残りの部下四十五名とともに砲爆撃がやむのを待っていた。

 爆音と地鳴りが止まった。

 十朗は軍刀を引きぬくと鞘を捨てた。愛刀は家伝の古刀で、無銘ながら三本杉の刃文がみごとな業物わざものである。

(やはり間にあわなかったか)

 陛下から拝領した軍旗は昨晩焼却して、連隊長としてのけじめはつけた。しかし、敷島十朗個人としてどうしてもやり遂げたいことがあったのだ。

 十朗は白刃はくじんしばし眺めた。そして思いを絶ちきるかのように一振りして刀身に陽光を走らせると、ここまで運命をともにしてきてくれた一人の少尉、二人の下士官、そして四十二名の兵に声をかけた。

「行くぞ」

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 十朗は気がつくと意識だけの存在になっていた。

(自分は死んだのか)

 そう思うとどこかで「そうだ」と別の声が聞こえた。いや、聞こえたというより意識がそのまま入ってきた。このため相手が老人なのか若者なのか、男か女かの区別もつかなかった。

「おまえは死んだのだ、砲弾の直撃でな」

「貴殿は何者だ、死神なのか」

「それは私の役割の一部分だ。もともと死と生は表裏一体でね、べつべつに分けるなんてことはできない代物しろものだ。私のつとめはそれを扱うことだよ」

 すると十朗の中に何やら強い衝動がこみあげてきて、それがそのまま言葉となって相手に訴えかけていた。

「お願いだ、頼みがある、このままでは死にきれない」

「たいていの死者はそんなことを言う。まあ話してみたまえ」

 十朗はある目的の実現をめざしつつ、志なかばでたおれた無念さを切々と語った。

 ひととおり聞きおえた相手は、至って冷淡な口調でこう言った。
「わかった、おまえを今の意識を保ったままで、もう一度生き返らせてやろう。ただし八十年後だ」

「八十年後?」

「そして、おまえは生まれ変わる者をえらぶことができない。それがだれであれ、その者の肉体をもってその時代に生きてもらうことになる」

 十朗はさすがに躊躇ちゅうちょした。八十年後の世界で、自分の価値観や常識がそのまま通用するとは思えなかった。

「浦島太郎だな」その上、だれだかわからぬ他人の体で生きてゆかねばならない。

 相手は言った、「よみがえりを願う死者にこのことを伝えると」
 
「なにかと考えたあげく、ほとんどの者が願いをとり下げる……まあ、もういちどよく考えてみるんだな」

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 それから八十年の歳月がすぎた。

 松倉健太まつくらけんたは、某私立大学に通う二十歳の学生である。 

 彼には同期で恋人の藤本摩耶ふじもとまやという女性がいて、大学にほど近いアパートに同棲している。

 健太はイケメンでもスポーツマンでもない、ごく平凡な自分が、キャンパス一の美人とうたわれた上に、優しくて料理のうまい摩耶のような子とつき合えるようになったことに対して、俺はなんという果報者だという感慨を日々かみしめていた……ただしそれは半年前までの話ではあったが。

 彼は浮かない顔つきで、大学から徒歩十分のアパートに向かっていた。今日はバイトが休みの日なので、午後六時までにアパートへ帰らなければならない。事情を知らない友人は「いいなあ、俺も摩耶ちゃんみたいな可愛い子に嫉妬されてみたいよ」などというが、健太はあいまいな笑顔で返しつつも心中(何も知らないくせに気楽なもんだ)とぼやいていた。

 アパートの前に到着した健太がドアノブに手をかけると、なにげに開いてしまった。
(あれ?)
 室内には摩耶がひとりきりのはずであるが、いかに治安のよいこの国でも、若い女性が家にひとりで無施錠というのは、いささか非常識な話である。

「ただいま帰りました」

 同棲中の彼女に対してはちょっと不自然に丁寧すぎる言葉づかいであるが、室内からの返事はさらに異様だった。

「五分の遅刻だ、営巣えいそうものだぞ」

 そう言いながら出てきたのは、あたかも美少女フィギュアを実写化したかのような若い女性だった。栗色ストレートのショートボブに鼻すじの通った色白で細おもての小顔、大きな瞳、はちきれんばかりにふくらんだ黒いタンクトップの胸とは対照的に細くくびれた腰と、モスグリーンのホットパンツからすんなり伸びた長い脚が印象的であった。――摩耶である。

「もうしわけありません、以後気をつけます」健太は軽い戦慄をふくんだ緊張感を意識しながら答えた。
――半年前からこうした緊張感をおぼえるようになった。それまでは若い恋人同士で普通にみられるスキンシップを交わしていたというのに、いまでは彼女に指一本触れられない。それどころか二部屋あるアパートの奥の一間ひとまは完全に彼女の占有する個室となっており、許可がなければ健太は立ち入ることすら許されない。

(それというのも、摩耶が変わりすぎてしまったせいだ……いや、あいつはもう摩耶じゃないんだ)

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 半年前のその日、健太は摩耶とふたりで以前から予定していた、太平洋のある島でバカンスを満喫していた。
 その島は南洋の楽園と称されている有名な観光スポットで、澄みきった青空と紺碧の海原がみごとな景勝地であったが、第二次世界大戦当時、日米両軍が死闘を繰りひろげた激戦地でもあった。

 彼らは島内を散策中、朽ちはてた戦車や対空砲の残骸、地下壕跡などといった、自分たちの曾祖父の時代の惨禍の痕跡をときおり目にしながら歩いていたが、島の高台に建立された戦没者慰霊碑の前まで来たとたん、摩耶は突然、貧血を起こしたかのように倒れた。

 おどろいた健太が摩耶を抱きおこすと、彼女はほどなく気づき、目を開けてこう言った、「小官は帝国陸軍大佐、敷島十朗である」

 それからの健太は摩耶の恋人から敷島大佐の従兵と化し、ふたりの意思疎通はカップルとしての相互理解を前提としたものから、旧軍における将校と一兵卒のそれのような上意下達の一方通行となった。

 摩耶は「私はある重大な使命をはたすために、君の恋人の姿を借りて八十年後のこの世界にやってきたのだ」とのたまう。しかし、その「使命」とは何なのか健太が訊ねても、その時期がきたら、あらためて伝えると言うばかりで、まったく教えてくれない。

 なお大佐との入れ替わりによって失われた摩耶の記憶については「島でスキューバダイビングをしていた際、不慮の事故で溺れたときの後遺症で記憶喪失になってしまった」という、いかにもそれらしい説明で周囲には納得させており、大学にも休学届を出していた。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

「あの、摩耶、もとい、大佐どの」

 健太は目の前の等身大美少女フィギュアにへどもどしながら言った「女性が玄関に鍵をかけないのは、やっぱり不用心かと」

 美少女フィギュアは大きな目で胡散臭うさんくさそうにじろりと健太を一瞥して言った、「いまどきの若い者は軟弱すぎる。帝国軍人が闖入者ちんにゅうしゃごときにおびえてどうするんだ。不届者は反対に捕縛して警察に突き出す心意気を持つぐらいが日本男児にふさわしいとは思わんのか」

(だから今のあんたは帝国軍人でも日本男児でもねえんだっての)

 健太は心の中で毒づいた。恋人の体を不法占拠した職業軍人の亡霊は、ここにいつまで逗留とうりゅうするつもりなんだろうか。

「まあいいからここに座れ」摩耶は一升瓶と猪口ちょこ二つ、そしてコンロの火であぶったスルメを持ってきてテーブルの上にならべた。
 
「私の酒の相手をしろ」

「いや、きょうは、ちょっと、ゼミの資料をまとめなきゃならないんで」

 健太は婉曲に断ろうとした。こんな曾祖父以上に世代間格差のある相手と緊張しながら酒を飲んでも悪酔いするだけだ。とくにこの御仁ごじんは酒が入ると詩吟しぎんえいじたり、軍歌を歌い出すので始末におえない。

 すると摩耶はやにわに棚の上に置いてあった日本刀をつかんで引きぬくと、切っ先を健太の鼻先へ突きつけた。

 真剣である。

「武士の頼みを聞けないというか」 

「ひゃー、わかりました、ききます、聞きますよ」

 くだんの刀は、摩耶が「こんな鈍刀なまくらがたなでも、武士が丸腰というわけにはいかんだろう」とネットで購入したものだ。第二次大戦中、将校が佩用はいようした九八式軍刀というやつで、鞘は鉄製、鍔元には激しく動き回っても刀身が脱落しないよう、駐爪ちゅうかという留め金がついているところが、近代化以前の日本刀との相違点である。仕込まれた刀身は素人の健太にはそれが年代物の古刀なのか、実用本位の昭和刀なのか区別はつかないが、危険このうえない刃物ということだけは明白である。

「それならよろしい」摩耶はニコリと笑みをうかべると慣れた手つきで軍刀を鞘におさめ、スルメを手で細かく裂いて皿の上に載せはじめた。

(そういえば大佐は戦場で敵兵を斬ったこともあったと言ってたな)摩耶と向かいあわせに座った健太は、なるほどそれなら玄関に鍵をかける必要もないだろうなと思いなおしつつ、あらためて周囲を見わたした。
 室内の机の中央には、パソコンが鎮座している。ネットワーク文化全盛の二十一世紀を象徴するようなこの機器に関しては、明治生まれの職業軍人も充分にその恩恵を堪能しているらしく、くだんの軍刀をはじめ、書棚にはクラウゼヴィッツの「戦争論」や西田幾多郎の「善の研究」、山上八郎の「日本の甲冑」、その他なにやら小むずかしい題名のついた古書が所せましと並んでいた。すべて摩耶がネットで購入したものばかりである。

 スルメを裂きおえた摩耶は、いったん台所に立つと、沸騰したヤカンのお湯をくぐらせてから、さっと醤油をかけ回して戻ってきた。「酒のさかなにはもう一品ぐらいほしいが、あいにく生活費を使いはたしてしまって冷蔵庫にはもう何もない」
 
「それは大佐どのが」

「いや、これからは摩耶でいい、敬称もつけるな。私もそろそろ現実世界の呼称に慣れる必要があるからな」

「はい、それでは……摩耶が、そんな刀や古本を買いすぎるから」

 摩耶は「刀は武人の魂だ」と言うとふたたび軍刀を手にとり、裂帛れっぱくの気合いで鞘を払った。
 瞬間、目の前の一升瓶の上から三センチほどが切り飛ばされ、すこし離れたところにあったソファの背もたれに当たって跳ねかえった。その間一升瓶は微動だにせず、それどころか中身の日本酒もこぼれるどころか細波さざなみひとつ立てていない。瓶の切り口はあくまでもシャープであった。

「これができるようになるまでは、それなりの修練が必要だが、いずれにせよこれだけのことが可能な刀には、武人の得物えものとしての資格は充分といえるだろう。現代刀とはいえ、むしろ◯◯万円なら安い買い物だ」

 いや、たしかにムダにすげーけど、フツーそんなん要らねーし。

 しかし摩耶は健太のそんな心中のぼやきなど知らぬ気に話をつづける「そして書は手もとに置きたい。私が昔からなじんできた本には、この時代にはない気品があるからな」

 摩耶が言うには「そう」は「さう」、「いう」は「いふ」でなければならず、「何々しませう」を「何々しましょう」と書くのは品がないというのだ。親の代から表音主義で統一された現代仮名づかいになじんできた健太にとってはピンとこないが、仮名文字成立以来の伝統を意識して書かれている歴史的仮名づかいには、発音のとおり書く文章では表現できないみやびな味わいがあるということらしい。

 しかし、である。いかに武士の魂だろうが風雅な古書だろうが、金欠バイト学生の身分でそんなものを蒐集するということは、分不相応の骨董道楽というのが世間常識では妥当な評価であろう。

「ねえ摩耶」健太は言った、「ぼ、僕の居酒屋バイト代、月いくらになるか知ってるだろ」

 恋人相手の久しぶりのタメ口というのもヘンな表現であるが、どうしても声がふるえてしまう。二十歳の若い女性の外見とはいいながら、いまや中身は戦前の生粋の職業軍人、ついさきほども目の前で抜き身を振り回されたばかりでもあり、たいへんな緊張感がともなう。

「だから青年(健太)よ、私としても生計たつきみちをさがしているのは知っているだろう。ただ君らのいうジェネレーションギャップ(世代間格差)とやらがそれを邪魔してしまうのだ」

(ジェネレーションギャップねえ)健太はため息をついた。たしかに八十年の時間差は個人の価値観に大きな「ずれ」を生じさせることにまちがいはないだろう。しかし、彼女(彼)の場合、それに加えて職業軍人という要素がおおきく影響している。
 
 明治維新により身分制度は廃止され、それまでの支配階層であった武士は一気に身分的特権を剥奪されて生活の糧である俸禄ほうろくを失った。
 維新後も華族として遇された、大名クラスに相当する一部の特権階級は例外として、生活に困窮した武士(士族)たちは自身のプライドの高さゆえ商売人にも向かず、経済的事情により高等教育をうける機会にも恵まれなかったことから、貧乏士族のおおくが学費を官費で負担される軍人になることを志願し、陸軍士官学校や海軍兵学校で社会人の基礎を学んだ。
 主君や家門の名誉のためには身命を惜しまず努めるという先祖代々の気風は「主君」が「国家(天皇)」に入れ替わっただけで脈々と受けつがれた。結果として彼らの装備や戦法は近代化したにもかかわらず、その精神は依然として封建時代のままだったのである。
――余談ながら、十九世紀のプロイセン(ドイツ)においても、資本主義の流れに取りのこされて窮乏化した貴族ユンカーたちは軍籍に入ることをえらび、かつて自分たちの下僕であった国民ではなく、本来の主君たるプロイセン国王に絶対の忠誠を誓った。
 ちなみに日本とドイツが似ているとか似ていないとか話題になることがあるが、このあたりの経緯はあたかも東西で対をなしているかと思われるほどうりふたつである――世界大戦を舞台とした戦争映画に出演する日本とドイツの将校が、いずれもどこか高貴さと傲慢ごうまんを兼ねそなえた独特の雰囲気をただよわせたキャラクターとして登場することが多いのは、そのあたりに起因しているのかもしれない。

 ようするに、昭和二十年八月十五日までの日本の職業軍人たちは、明治維新以前からのマインドの保持者であることから、さらにおおきな世代間格差が生じてしまっており、こうなるともはや二十一世紀の時代を生きるわれわれとは異次元の存在と言ってもよい。  

 したがって摩耶のアルバイトはいずれも長つづきしなかった。「笑顔を見せず無愛想」「話題がかみ合わない」「若いくせに雰囲気が重く近よりがたい」といった致命的なマイナス点のほかにも、敷島十朗としての実年齢は百三十歳ということも影響しているのか、コンビニやファストフード店などといった、ごく一般的な勤め先でも多機能レジや各種のカードのあつかい、商品名をおぼえられず、けっきょく三日と保たずに辞めてしまう。
 しかし摩耶個人としての容姿は、すこし町中を歩いただけで複数の男性から声をかけられるほどの「クールビューティ」だったので、これといった特技はなくとも、グラビアアイドルの口などはすぐに見つかりそうだった。



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