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第11話 鎮魂
しおりを挟む三人がエレベーターを降りると、そこは乗用車二台分の駐車スペースほどの空間があり、その先には見るからに頑丈そうな扉があった。
「これは銀行の金庫室の扉を移設したものだ。厚さは三十センチある。追っ手を食い止めるためにね」
E氏が暗証番号を押すと扉は開いた。三人は中に入り扉を閉める――重々しいロック音が聞こえた時、A夫たちはさすがにほっとした。扉の奥は横幅が一メートルあまりの狭いトンネルになっていて、途中で折れ曲がっているためか出口は見えない。
「これでいくらか時間かせぎができる」E氏は扉にもたれかかり、肩で息をしながらそういった。
そのとき、腹の底にひびくような鈍い音がして地面が揺れた。
「集会室に仕込んだ爆弾を作動させた。あれで生首ゾンビどもは全滅しただろう」E氏はポケットから煙草を取り出した。
「このトンネルを抜けたら倉庫に出る。逃走用の車があるからそれで脱出しよう。行き先はナビにセットしてある」
「どこへ行くんですか」
「○○港だ、専用クルーザーで海に出る。いくら化け物でもそこまでは追ってこられな……あ゛、あ゛あ゛っ」
E氏の手から火をつけたばかりの煙草が落ちた。右胸から刀の切っ先が突き出され、吹き出た鮮血がみるみるうちにスーツを朱に染めた。――C子は抜け穴を察知して追いついたのみならず、その魔性の刃は三十センチ厚の鉄扉もろともE氏の胸板まで突き徹してしまったのである。
いまや声もなく立ちつくすA夫とB輔――E氏を串刺しにした切っ先は耳ざわりな金属音を立てながらじりじりと下に降ろされ、鉄扉とともに切り裂かれたE氏の身体は、刃が床に届くころには縦に二分割された肉塊と化していた。刃先が引き抜かれ、ふたたび扉を貫いて今度は横に裂かれはじめた時、彼らは我にかえった。
「扉を切り取って入ってくるつもりだ」
「逃げろ!」
二人は全速力でトンネル内を走った。さすがに無敵の妖刀とはいえど金庫室仕様の分厚い鉄扉を切り抜くのは時間がかかる。その間に用意された自動車に乗って脱出すればいいのだ――何度か通路を折れ曲がり、さらに走って行くと出口とおぼしきドアが見えてきた。もう少しだ。
「わあアッ!」
先頭を駆けていたB輔は、A夫のただならぬ叫び声に立ち止まって振りかえる。見るとそこには、肩口に食らいついた生首を必死に引きはがそうとしているA夫の姿が――生首の主は、先刻惨殺されたE氏であった。
E氏の生首は獣のような唸り声を上げながら、A夫の肩から首へと噛み込んできた。喉に食いつかれたら一巻の終わりである。B輔は生首の額と下顎をむずとつかんで口を開かせようとするが、生首の顎の力は存外強く、力自慢の彼の腕力でもなかなか外れなかった。
このままではA夫の肉が食いちぎられてしまう――ふとB輔は思いついた。
「針だ、首の針を抜くんだ!」
生首の盆の窪には「首取りのZ」と書いた布が結わえつけられた針が刺さっている。A夫はそれをつかんで一気に引き抜いた。針には脱落防止の逆棘がついていたらしく、血と肉片をこびりつかせて抜け、同時に生首はゴトリと床に落ちて動かなくなった。
出口のドアを開けると、そこは大きな倉庫の内部だった。A夫とB輔は高く積まれた荷物の陰にシルバーグレイの高級乗用車があるのを見つけて駆けつける。ドアに手をかけると開いたので早速乗り込んだ。
運転席のB輔がこころみにスタートボタンを押すとただちにエンジンがかかる。
(なるほど、すぐ逃げられるようにエンジンキーと一緒にしているのか)
カーナビのモニター表示は、現在地から一山越えた先の築港を案内していた。
B輔の運転する車は峠道をひた走った。深夜ということもあり、他に走っている車はほとんどない。この調子だとあと一時間ほどで目的の港まで到達できるだろう。
後部座席のA夫は、極度の疲労と緊張で気分が悪くなってきた。このため横になりたくなり、じゃまな傍らの金属ケースを脇へ寄せようとしたがやたらに重い。気になって開けてみると、そこには金塊に札束、それに護身用の拳銃がおさまっていた。
(逃走して潜伏するための当座の資金ということか。『地獄の沙汰も金次第』っていうが、C子はこれで俺たちを見逃してくれるかな……まず無理か)
「A夫、うしろ、後ろを見ろ!」
B輔の声にA夫は跳ねおきて後部の窓ガラスを見やった。――すると後方から何やら光る物体が凄まじい勢いで迫ってきているではないか。その青白い輝きには見覚えがあった。
「C子だ!」
C子は発光する生首の集合体の上に片膝をついた体勢で乗っており、それはあたかも觔斗雲で天翔る孫悟空のようであった。
B輔はアクセルを踏み込んで振り切ろうとするが、双方の距離はどんどん狭まり、ついに並走した――ドンという音とともに身ぶるいする車体、直後に後方へ流れて行く青白い団塊。
「上に飛び乗ったぞ」
B輔は猛スピードのまま慌ただしくハンドルを左右に切ってC子を振り落とそうとするが、彼女は腰の脇差を抜いて車の天井に突き刺し、左手で柄を握って支えとした。そして次は大刀を逆手で抜くとそれを鐔の根元まで一気に突きとおす――――
「がっ!!」
B輔は肩口から心臓まで刺し貫かれて絶命した。
運転手を喪い、コントロール不能となった車は路肩のガードレールに激突、大破して止まった。瞬時にエアバッグが作動し、もはや不要となった運転手保護のつとめを忠実に果たした。
相当なスピードが出ていたにもかかわらず、後部座席のA夫はごく軽傷ですんだ。後部座席中央と側面、そして窓に取りつけられたエアバッグが、不幸なB輔の場合と違って本来の目的を達成していたのである。安全基準の高い高級乗用車に乗っていたのは幸いだった。
A夫は窓を塞いだエアバッグの端をめくり外を見た。
(……なんだ、ほんの少し命が延びただけか)
そこにはこちらへゆっくりと歩み寄ってくるC子がいた――ちなみに事故の衝撃でA夫の眼鏡はどこかに吹っ飛んでしまっていた。このためボンヤリとしか見えない視界の中、なぜか彼女の姿だけがその冷たい微笑をたたえた表情や、甲冑の胴に書かれた孫子の格言が読めるほど明瞭に見えた。
「B輔、もうすぐおまえの所へ行くぜ。ここは『みたまや食堂』じゃないけど心霊同盟の解散式だ。親子唐揚げが食えないのは残念だったがな、その代わりC子とペアで戦国武士の首斬り実演を見せてやるよ。解散式の演しものにピッタリだろ」
A夫は運転席で動かなくなっているB輔にそう声をかけると、ドアを開けて外に出た。
A夫の姿を認めたC子は立ち止まった。
「A夫どのか」
「ああ、そうだよ」そう答えるA夫。いつしか死への恐怖は消えうせていた。
「貴殿の朋輩はさきに逝かれた。ともにわが功名の証となれ」
「C子、いやZどの」
「何か」
「武士の情けだ、最後の頼みを聞いてほしい」
「ふむ……申されよ。事と次第では聞き届けぬこともない」
C子こと首取りのZは「武士の情け」が琴線にふれたのか、いったん振り上げた刀を下ろした。――だが次の瞬間、A夫がとった行動は、彼自身ですら意識していなかったものであった。A夫はC子を抱きよせると、その桜の花弁のような唇におのが唇を重ね合わせたのである。
C子の手から刀が落ちた。彼女の表情からは最前までの凜とした冷たさが消え、なにか困ったような、驚いたような顔に変わった。そして睫毛の一本一本まで明瞭に見えていた彼女の姿が、今は周囲と同じくらい焦点がぼやけて映った。
(これは……もしかしたら)
A夫がC子の兜の顎紐に手をかけると、簡単にするするとほどけて兜が脱げた。後頭部の結び目を解くと頬当が外れて首元の曲線があらわになった。
「A夫……」彼女は以前のC子にもどっていた。
「C子、C子、帰ってきたんだな」A夫はふたたびC子を抱きしめた。堅く冷たい鉄の胴鎧を通して、彼は確かにC子のぬくもりと柔らかさを感じた――涙が出た。
「だめ」C子はA夫を押しのけた。
「いまはあの人(Z)が、あなたの予想外の行動に混乱して一時的に気絶しただけ。もうじき目覚めてあなたを殺してしまうわ」
「そんな……その鎧を全部脱いでしまってもダメなのか」
「うん、私はもうZとひとつになってしまっているの。これからもずっと手柄のために人殺しを続けるはず……だけどあなたは私にそれを止めさせるチャンスをくれた」
「チャンス?」
「そう、Zは私という存在がなければこの世で活動することはできないの。だから私がいなくなれば、この怖ろしい人殺しをなくすことができるわ」
「つまり、おまえが死ぬということか」
「そう、ほかに方法はないわ」
「ダメだ、絶対にダメだ!」A夫は理性をかなぐり捨てて叫んだ。
「なにか、何かまだ方法があるはずだ、あんなイカれた生首フェチ侍の幽霊のためにB輔の次におまえまでが死ぬなんて、そんなことは断じてゆるさん」
「まあ、あの人のことをそんなふうに言うなんて」C子の反応は意外きわまるものであった。
「あなたにはただの殺人鬼にしか思えないだろうけど、Zは正直で心のきれいな人よ。おのれの道を究めようとする一途さが不幸な裏切りと時代の違いで歪められただけ……私はこれからあの人にそのことをみっちり教えて、もう二度とこんなことをさせないようにするつもり。いままでの私はZの操り人形にすぎなかったけれど、死ぬとこの世のしがらみから解放されて対等の立場になれるからそれができる」
「C子、いかないでくれ、お願いだ」
「もう時間がないの……私とZが命を奪ってしまったB輔と他の多くの人たちには、あの世でこの償いをさせてもらうわ」
「C子、……C子」
「A夫、いままで本当に、ほんとうにありがとう……心霊同盟もこれで解散ね、子供のときからのつきあいだったから、私はあなたをきょうだいのように思っていたけれど、もし違っていたらごめんなさい」
「C子」
「さようなら、A夫」
A夫はC子を抱きよせようとしたが、彼女は一瞬早く脇差を抜き、自分の喉を突いた――。
稀代の大惨事はこうして幕を閉じた。
今回の奇怪で凄惨きわまる事件は、なぜか公式には暴力団の内部抗争として片づけられ、B輔とC子もその犠牲者ということになっていた。呪いの甲冑はあらためて厳重に封印され、○○寺に納められた。
A夫はその後出家して同寺の僧侶となり、甲冑に封じ込めた亡霊を二度と目覚めさせないよう努めるとともに、B輔とC子を含めた、一連の犠牲者すべての菩提を弔った。
――武将の執念を宿した甲冑は新たな「功名の証」を挙げるため、次の着用者を待っている。それをあえて試みようとする人間の性が存在する限りは。
まことに過剰な好奇心ほど危険なものはない。
◆◆◆◆◆ Ende ◆◆◆◆◆
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