功名の証(こうみょうのあかし)

北之 元

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第9話  次は汝らぞ

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 D住職もまた、何か鋭利なもので首を一気に切断されて殺害されており、その首が見つからないこともオークション会場の犠牲者たちと同じであった。
 A夫とB輔は昨晩まで自分たちと親しく話をしていた住職が無残な死を遂げたことに相当なショックを受けたが、その下手人が彼らにとって身内同然の存在だったC子に十中八九間違いないことも衝撃であった。悪霊に憑依されての所業とはいえ、彼女が殺人犯になってしまったこと、そして次は自分たちの命を首とともに奪い取るべく虎視眈々こしたんたんと狙っているであろうことを思い、なんとも複雑な心境であった。――だがそのような感慨にひたっている場合ではなかった。早急に行動しなければ、彼らは明日の日の目を見られなくなるかも知れないのだ。

 警察の事情聴取や実況見分など、ひととおりの手続きを終えた後、住職が自分の身にもしものことがあったらここを訪ねるようにと言いのこした、名刺の住所の人物宅を訪れた。
「ここって、ヤクザの家じゃないか」
 目的の家に到着したB輔が、運転席から外を眺めてそういった。彼のいうとおり、そこは地元で有名な、ある暴力団組長の住宅兼事務所であった。
「でかいな」
 A夫が思わずそうつぶやくのも無理はなかった。それはちょうど中規模の病院ほどの、個人の住宅としては桁はずれの大邸宅だったのである。――その周囲は最上部に有刺鉄線が張り巡らされた高い壁で囲まれ、玄関はトラックが体当たりしてもびくともしないような鉄製のゲートで閉ざされていた。インターホンに向かって来意を告げるとそのゲートが開き、二人の乗ったミニバンは邸内に入った。

「君たちのことはD(住職)から聞かされて知っているよ」
 この家のあるじはA夫たちにそういった。○○組組長のE氏と名乗るその人物は、故住職と同年配の男性で、鍛え上げた肉体を高価そうなスーツでビシッと決めているのは暴力団幹部の定番イメージだが、この手の人間にありがちな威圧感はまったく感じられず、ヤクザというよりはむしろ一流企業の役員といった印象を受けた。

 A夫とB輔は自分たちが通された応接室の豪華さに圧倒された。床と壁はピカピカに磨かれた総大理石で、壁には金の額縁がくぶちにはめ込まれた油彩画や刀剣、その他重厚なアンティークが飾られていた。床にはペルシャ絨毯じゅうたんが敷きつめられ、室内に配置されたテーブルや椅子も高価そうであった。A夫は自分たちが腰掛けている、このフカフカの革張りソファも、たぶん自動車一台分くらいの値段がするんだろうなと思いながら、マイセンのデミタスカップからコーヒーをすすっていた。
「Dと私は学生時代からのつきあいでね、彼が亡くなったのはまことに残念なことだった」
 E氏はA夫たちの向かいの席から立ち上がると、左手のカップを右手人差し指の爪でキンとはじいた。
「若い頃、私はDと『世の中を動かすことのできる最大の力は何か』ということで、よく議論したものだよ。……Dは霊力だと主張した。時間や空間を超越した意志こそが、何者も抗し得ない力を秘めていると――まあ、彼は何代も続いている寺の跡取り息子だったから、そう考えるのも無理はないがね」E氏は室内をゆっくり歩き回りながら話を続けた。
「しかし私はDの意見には反対だった。それだったらとうの昔にまじない師や坊主が世の中を支配しているはずだ。――しかし現実はどうだ、連中はせいぜいがオカルト番組に取り上げられて有名になるか、占いの本が当たって印税で多少儲けるぐらいのことしかできない。やはり人類誕生以来世の中を変えてきたのは戦争であり、武力こそが世界を変革することのできる唯一無二のものだとね」
 E氏は壁に掛けられた金属プレートの前に立ち止まった。それは幅が一メートルほどの真鍮しんちゅう製で、表面には欧文が古風な字体で刻まれている。
「これは私の座右の銘だ」
 A夫とB輔が近寄ってみると、その内容は次のとおりであった。
  Man kann nur schweigen und stillsitzen, wenn man Pfeil und Bogen hat: sonst schwätzt und zankt man. Euer Friede sei ein Sieg!
「これって、ドイツ語ですか……プファイル ウント ボーゲンはたしか弓矢のことじゃなかったかな」暇人ひまじんで雑学趣味のB輔がそう言いかけるとE氏は大きくうなずいた。
「そのとおり。これはドイツの天才哲学者ニーチェの『Also sprach Zarathustra(ツァラトゥストラかく語りき)』の一節でね、人間は弓矢を持つことによってのみ黙って静かに座っていられる。そうでないと口先ばかり達者になって下らない口喧嘩げんかばかりするようになる。真の平和とは戦いに勝利することによってもたらされるものだ――とまあ、そんな意味のことが書かれている。つまりだ、世界を平和という究極の目標に導くための原動力はやはり武力なんだよ」
 E氏はそこまで話すといったん口をつぐみ、A夫たちを探るような目つきで見つめながら言った、「ところで君たちはこの部屋を見て、私のことを成金趣味のいやな奴だと思ったかね――いや隠さんでもよろしい、たしかにここにあるものはどれをとっても数百万、数千万単位のものばかりだからね。だが、この部屋にかけた金は建物全体の建築費用から見たらまだまだ微々たるものだ」
 E氏は卓上のリモコンを手にとって操作した。すると壁の一面に縦二メートル、横四メートルほどの大きな映像が映し出されたが、それは邸内の各部屋に設置された監視カメラ映像であった。彼はそれぞれの部屋の映像をズームアップさせながら話をつづけた。
「……じつはこの建物の外壁はね、対戦車砲の直撃にも耐えられるし、上から爆弾を落とされても大丈夫だ。たとえ核戦争が起こっても地下のシェルターで五十人が三年は生活できるほどの食料や水も備蓄してある」
「武器の備えも万全だ。数百挺の拳銃に自動小銃、携帯式対戦車ミサイル、携帯式対空ミサイルもおいてあるから、テロやクーデターにも対抗できる。部下たちには日頃から本格的な戦闘訓練をさせているし、世界各地の外人部隊や特殊部隊に送り込んで実戦経験も積ませている」
 壁面のスクリーンには武器弾薬が整然と並べられている武器庫や、広い道場の中で戦闘服に身を包んだ男たちがナイフを使った格闘技の講習を受けている様子、そして地下の射撃場では動的目標を正確にヒットする射撃訓練に余念のない情景などが次々と映し出された。
「これだけの設備と武器を用意して、なおかつそれを充分に使いこなせる人間を育てるには、それこそ途方もない費用がかかる。私は『黙って静かに座っていられる弓矢』のために人生のすべてを捧げた。世間の人は私のことを暴力団と呼んでいるが、それは世を忍ぶ仮の姿でしかない。まともなことをしていたらとうていこれだけの武力をそろえる費用を工面できるはずもない。非合法な商売にも手を染めなければ不可能なんだよ。私にとってのヤクザ稼業は武力充実のための手段であって目的ではないんだ」E氏はそういうと壁の映像を消した。
「Dは霊魂が最強だという自分の主張を変えたわけではないと思うが、世俗の世界においてはやはり武力が現実世界を左右できる有効な手段であることは認めざるを得なかったのだろう。そうでなければ、君たち二人を私に託すようなことはなかっただろうからね――もう安心したまえ、ここは世界一安全な避難所だ」

 A夫とB輔は、さっそくその晩からE氏のもとへ身を寄せることにしたが、その前に自分の家から貴重品などを持ち出す必要があった。E氏は安全のために部下の組員を同行させることを提案したが、ふたりは断った。日没までに戻れば問題はないし、身につけたお守りが隠れみのの役割を果たしてくれる。何よりヤクザの護衛つきというのは、やはり抵抗があった。
 ふたりは最初にB輔のアパート、次にA夫の借家の順で回ったが、間のわるいことに事故や渋滞で時間がかかってしまい、A夫の家を出る頃になると陽は西に傾きつつあった。
「やばいぜ、急ごう」
 B輔はカーナビにE氏邸までの最短コースを入力して車を走らせた。

 それからしばらく走ったが、一向に目的地に着かないばかりか、窓外の風景がだんだんさびれてきた。すでに日は暮れて周囲は闇につつまれている。
「おい、この道まちがってないか」さすがに不安になったA夫が声を上げた。
「いや、カーナビのとおり走っているから大丈夫とは思ったんだが……なんかヘンだな」
 とりあえずいったん車を停めて確認しようということになり、B輔は運転していたミニバンを路肩に寄せて停車した。
 現在位置を確認しようとカーナビの画面に触れたとたん、自車マークが大きく動き、ある地点で止まった。
 画面を覗き込んでいたふたりは息を呑んだ。カーナビが表示していた現在位置は、まさしく住職が殺害された○○寺だったのである。恐るおそる窓ガラス越しに路肩の方へ目をやると、闇の中に見覚えのある堂塔のシルエットが浮かび上がっている――彼らはあろうことか寺の真正面に車を停めていたのであった。

 何かクラッチの焼けるような焦げ臭いにおいがするなと思った時、A夫はB輔がこっちを指さして何か言っているのに気づいた。
「A夫、それ」
「え、それって……あっ」
 A夫の胸ポケットから煙が出ていた。そこには例のお守りが入っている。その直後、――B輔の胸元からも煙がモクモクと立ち上った。
「あちちち」
「こんちくしょう」
 二人が取り出したお守りは、どちらもあの部屋の戸口に貼った御札のごとく真っ黒に焦げていた。

 異変は続けて起きた。最前まで車内のスピーカーから流れていた軽快な曲が突然沈黙し、妙なノイズ音に変わったのである。――ノイズ音はさらに変質して、ほどなく周知の声と化した。

「ここに居られたか、お二方」

 おもわず外を見やると、数メートル前方に甲冑姿のC子が立っていた。――彼女の周囲は多くの青白く輝く光球で囲まれている。人魂のようでもあったが、よく見るとそれらはすべて人間の生首であった。あまたの生首が仏像の光背こうはいのように集まり発光してC子の姿を浮かび上がらせていたのである。

 C子はゆっくりと腰の刀を抜いた。
「わが功名の証となれ。次はうぬらぞ」

「B輔、だせ、出せぇー!」
「わあぁー!」
 無我夢中とはこのことを指すのだろう。二人の記憶はそこから中断している――いずれにせよ追いすがるC子と生首を振り切って猛スピードで車を走らせたのだろうが、事故を起こさなかったのはまったく僥倖ぎょうこうであった。

 E氏邸に到着し、鋼鉄のゲートが自分たちの背後で閉じられる音が聞こえた時点で、彼らはようやく人心地がついた。
――車を降り、ふらつく足取りで車体の後方に回る。たとえば霊の手形がついているといった痕跡を確認したかったのである。

「へ、へへ……首だけなら手形もつけられないよな」
 一見ミニバンの後部には何の異常もみられなかったので安心したのか、A夫が軽い冗談を飛ばす。
 
「お、おい」
 仔細に車体を調べていたB輔が振り向く。その顔からは血の気が引いていた。
――ナンバープレートと車体の境目の目立たない位置に、タテ数センチほどのきずがあった。後部ドアを開いてみると、それはドアを貫通して後部座席の背もたれにまで達していたのである。
 


 


 
 



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