心の鍵はここにある

小田恒子

文字の大きさ
上 下
45 / 53

お見舞い 3

しおりを挟む
「ワシは構わん。早く曽孫ひまごが見たいから、何なら保証人欄書いてもいいぞ」

 直哉さんも、祖父の言葉に驚きを隠せない様だ。

「入籍する時、本籍地以外の場所で出すなら書類もその役場と本籍地とで必要になるんだろう?
 もう、こっちで籍だけ入れて帰りなさい」

 いやいや、印鑑持って帰ってないし。てか、何故祖父がここまで私の結婚を急ぐのか…。

「出来れば五十嵐の戸籍に入ってくれたら、ワシも安心してあの世に行ける」

 祖父の一言で、直哉さんは笑顔になる。

「僕は構いませんが、婿養子として両親には話をしておりませんので、少しお時間頂けますか?」

 そう言って直哉さんは病室を後にした。まさか、ご両親に電話で了承を得るつもり?

「あの子は本当に里美にべた惚れなんだな……。婿養子なんて普通嫌がるのに、あの笑顔。……いい子を見つけたな」

 祖父は病室の入口を見つめながら、ポツリと呟いた。
 婿養子は冗談だと笑いながら言う祖父を、呆れた表情で見つめる私。
 少しして直哉さんが病室に戻り、ご両親に了承を得たと、私達に報告した。
 私は先程の祖父の発言は冗談だと伝えるも、本人は既にその気になったらしく、「五十嵐直哉って響き、いいだろう?」と言い出す始末。
 それを聞いた祖父が破顔したのは言うまでもなく……。
 私も、メールで祖父も納得してくれて、直哉さんが五十嵐姓を名乗る気でいる事を伝えた。(祖父が今日にでも入籍を勧めている事は流石に伝えなかった)

 結婚話がトントン拍子に進んで、もう本人同士の会話だけではなく、両家の両親も交えて一気に決めようと言う事になり……。
 お互いの両親、私達の都合を調整して、近く再度こちらへ帰省する事となったものの、私一人、相変わらずみんなのテンポについて行けずにキャパオーバーしている。

 確かに好きな人と一緒になれる喜びはある。でも、展開が余りに早過ぎて、ついて行けない。
 ……もう、既にマリッジブルー状態だ。
 しばらく病室で祖父の話に付き合い、病室を出たのは十一時少し前。
 今回の帰省の目的を果たし肩の荷は降りたものの、外堀を用意周到に埋められている感が否めない。
 直哉さんもだけど、まさか祖父まで私の結婚にまで話を進めて行くとは思っても見なかった。
 荷物を持って病院を出ると、ジリジリと焼け付く日射しとまとわりつく暑さで一気に汗が吹き出してくる。

「なあ、里美。バス止めてタクシー使おうか」

 直哉さんも暑さにやられたらしく、私も素直に頷くと、病院入口付近にあるタクシー会社直通の電話で一台配車手配をした。

 しばらくしてタクシーがやって来た。
 羽田行きの飛行機は十四時2二十分発。まだ時間は十分ある。
 直哉さんは道後にあるホテル名を告げた。
 そこは、屋上露天風呂がある所で、ランチ付きで日帰り温泉を楽しむ事が出来るそうだ。
 ランチ付きだから入浴はのんびり出来ないかもだけど、折角だから温泉を楽しもうと提案された。
 ホテルのフロントで、日帰り入浴プランの申し込みをして、レストランへ案内された。

 朝、ロクに食べる事が出来なかっただけに、美味しい食事を五感で堪能し、心身共に満たされた。
 昨日からの緊張もやっと解け、温泉に浸かるため、最上階へと向かう。
 エレベーターの中で、直哉さんが呟いた。

「俺さ、松山に住んでたくせに、道後温泉って入った事ないんだよな」

 地元民あるあるだ。
 そんな私も、子供の頃から松山には夏休みに遊びに来ていたクセに、道後温泉に入浴目的で来た事がない。
 私もそう告げると、やっぱそうだよなとお互いが納得してウンウンと頷く。
 最上階に到着すると、十三時にここでと約束を交わし、男湯と女湯に分かれてお互いが入浴する。

 最上階の露天風呂は、やはり気持ちがいい。
 金土日の夕方から、露天バラ風呂があるそうで次に来る機会があれば、是非それも入ってみたい。
 のんびりと露天風呂に浸かりながら松山市内を高台のホテルの屋上と言う最高の立地から見下ろす形で堪能する。
 時間さえあれば、この後エステとかも体験したい所だけど、残念ながら飛行機の便は変更不可だ。
 露天風呂を満喫して後にすると、脱衣所で着替えを済ませ、洗って濡れた髪の毛をドライヤーで乾かした。

 八割くらい乾かした所でドライヤーを止め、日焼け止めを肌が露出する腕や首回りにもしっかりと塗って、改めて化粧をする。
 本当なら、食後の入浴で癒されて、眠れるのなら眠りたい所だけれど、そうも行かない。
 身支度を整えてロビーに出ると、直哉さんはスマホにイヤフォンを付けて動画でも見ているのだろうか。
 私が出て来たのに気付いていない様子だ。
 そんな横顔を見ていたかったけど、待たせてしまった罪悪感から、そっと近付き声をかけた。

「待たせてしまってごめんなさい」

 私の声に気付いて直哉さんはイヤフォンを外した。

「いや、大丈夫。露天風呂どうだった?」

 スマホの画面を閉じてイヤフォンと一緒にバッグの中に片付けながら、ペットボトルのお茶を差し出してくれる。
 気遣いに感謝してそれをありがたく受け取ると、エレベーターへ向かう。

「もう見晴らしが良くて、また来たいって思っちゃった。
 金曜日から日曜日の夜限定で、あの露天風呂はバラ風呂になるんだって。贅沢な気分になるだろうね」

 珍しく私がはしゃいだ声をあげているのを見逃さない直哉さん。

「次にお互いの両親との顔合わせで帰省する時は、ここに泊まろう」

「え?  いいの?」

「気に入ったんだろ? 里美が喜んでくれるなら、問題ない」

 何とも甘やかされているものだ。私が頷くと、直哉さんも嬉しそうな顔になる。
 エレベーターを降りてフロントにタクシーを一台手配して貰う間に、先程貰ったお茶を飲む。
 温泉でかいた汗の分、きちんと水分を補給する。多分このまま空港へ向かうのだろう。
 向こうに帰ったら、私は、直哉さんに抱かれる……。
 そう考えると、急に胸が熱くなり、またまた汗が吹き出して来た。

「やっぱり温泉は冬の方がいいか?」

 汗を拭う私を優しく包み込む直哉さんの言葉に、私は首を横に振る。

「一緒だったら、いつでもいい……」

 恥ずかしくて、俯きながら小声での返事になってしまったけれど、直哉さんは聞き逃さない。

「うん、わかった。次はここ、予約しような」

 そうこうしていると、手配して貰ったタクシーが到着したので、後部座席に乗り込み、一路松山空港へ向かった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

あいにくですが、エリート御曹司の蜜愛はお断りいたします。

汐埼ゆたか
恋愛
旧題:あいにくですが、エリート御曹司の蜜愛はお受けいたしかねます。 ※現在公開の後半部分は、書籍化前のサイト連載版となっております。 書籍とは設定が異なる部分がありますので、あらかじめご了承ください。 ――――――――――――――――――― ひょんなことから旅行中の学生くんと知り合ったわたし。全然そんなつもりじゃなかったのに、なぜだか一夜を共に……。 傷心中の年下を喰っちゃうなんていい大人のすることじゃない。せめてもの罪滅ぼしと、三日間限定で家に置いてあげた。 ―――なのに! その正体は、ななな、なんと!グループ親会社の役員!しかも御曹司だと!? 恋を諦めたアラサーモブ子と、あふれる愛を注ぎたくて堪らない年下御曹司の溺愛攻防戦☆ 「馬鹿だと思うよ自分でも。―――それでもあなたが欲しいんだ」 *・゚♡★♡゚・*:.。奨励賞ありがとうございます 。.:*・゚♡★♡゚・* ▶Attention ※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

アイドルグループの裏の顔 新人アイドルの洗礼

甲乙夫
恋愛
清純な新人アイドルが、先輩アイドルから、強引に性的な責めを受ける話です。

小野寺社長のお気に入り

茜色
恋愛
朝岡渚(あさおかなぎさ)、28歳。小さなイベント企画会社に転職して以来、社長のアシスタント兼お守り役として振り回される毎日。34歳の社長・小野寺貢(おのでらみつぐ)は、ルックスは良いが生活態度はいい加減、デリカシーに欠ける困った男。 悪天候の夜、残業で家に帰れなくなった渚は小野寺と応接室で仮眠をとることに。思いがけず緊張する渚に、「おまえ、あんまり男を知らないだろう」と小野寺が突然迫ってきて・・・。 ☆全19話です。「オフィスラブ」と謳っていますが、あまりオフィスっぽくありません。 ☆「ムーンライトノベルズ」様にも掲載しています。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

隠れドS上司をうっかり襲ったら、独占愛で縛られました

加地アヤメ
恋愛
商品企画部で働く三十歳の春陽は、周囲の怒涛の結婚ラッシュに財布と心を痛める日々。結婚相手どころか何年も恋人すらいない自分は、このまま一生独り身かも――と盛大に凹んでいたある日、酔った勢いでクールな上司・千木良を押し倒してしまった!? 幸か不幸か何も覚えていない春陽に、全てなかったことにしてくれた千木良。だけど、不意打ちのように甘やかしてくる彼の思わせぶりな言動に、どうしようもなく心と体が疼いてしまい……。「どうやら私は、かなり独占欲が強い、嫉妬深い男のようだよ」クールな隠れドS上司をうっかりその気にさせてしまったアラサー女子の、甘すぎる受難!

処理中です...