心の鍵はここにある

小田恒子

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ゆっくりでいいから 1

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 ドーナツ屋を出て会社に戻ったものの、午後からの業務の内容なんて覚えていない。仕事にミスがあったらどうしようと、内心はヒヤヒヤものだ。
 郵便局で支払いをした領収書を、午後から経理に持って行くと、春奈ちゃんがその処理をしてくれた。

「拓馬くんから連絡がありました。里美さん、今朝は大変でしたね、大丈夫でしたか?」

 春奈ちゃんの心配そうな表情に頷いて応えたものの、藤岡主任から聞かされた話でキャパオーバーな私は、何と返事をすればいいかわからなくなる程動揺していた。

「今日の帰り、お時間大丈夫でしたらお茶でも飲みながら話、聞きますよ」

 春奈ちゃんの気持ちが凄く嬉しかった。
 出来る事なら話を聞いてもらいながら気持ちを整理したい。でも、先輩から何時頃連絡があるかわからない。
 なので、明日の業務終了後、時間を作って貰う事にした。
 今日の夜起こる出来事も、もしかしたら相談する事になるのだろうか。
 全ては先輩次第だろう。
 経理から総務に戻り、残りの時間の業務内容なんて記憶にないけれど、何とかミスなく仕事を終わらせる事が出来た様だ。
 藤岡主任も午後から近隣の営業所に足を運び、新しく導入する機材の設置位置の確認後、15時過ぎに戻ったけれど、稟議書を部長に決済を貰う為の補足資料を作成したりと忙しそうにしていた。
 業務終了の時間になり、部署にいる人に声を掛けて退室しようとする私に、主任が声を掛け呼び止められた。

「昼間の話、ゆっくりでいいから、考えておいて」

 私は頷いて退室した。
 更衣室で着替えを済ませ、ふとそこに置いてある全身をチェック出来る姿見用の鏡が目に付き、自身をマジマジと見つめた。
 そこに映る私はーー。
 冴えないアラサー女だ。見た目だってこんなに地味で……。こんな女が先輩の側にいたら、先輩、どうなんだろう。
 先輩は何も言わなくとも、周りが許さないだろう。きっと何であんな女がって思われる……。
 その辺も春奈ちゃんやさつきに相談してみようかな。
 廊下から聞こえる足音に我に返った私は、ロッカーの扉を閉めて、鏡の前から離れ帰宅の途に着いた。

 うちに寄ると言う事は、もしかしたら一緒に夕飯を食べるかも知れないので、二人分の夕飯の支度をしておこう。
 もし仮に先輩の分がいらない場合、明日の弁当のおかずや夕飯に回せばいい話だ。
 仕事帰りに、いつものスーパーで食材を買って帰ろうと、寄り道する。
 そしてカートに乗せたカゴの中に、食材を入れて行く。余り沢山買うと、持ち帰るのにも一苦労なので、分量を考えながら。
 何時頃来るかもわからないので、丼物ならすぐに温めて出せるかな。それとも何か他の物がいいかな。
 悩みながらも今週末までの食材等の買い物をすすめ、帰宅した。
 帰宅して目に付いた物を片付け、服も着替える。
 カジュアル過ぎる格好もどうなんだろう……。先輩が来るなら可愛い格好の方がいいのかと思いながらも、手持ちの服は、殆どが地味なデザインや無地の服ばかり。やはりこれは春奈ちゃんに今度買い物に付き合って貰わなければ。

 自分が似合わないと諦めた物も、他の人の目で見るとそんな事はない事はよくあるから。
 春奈ちゃん目線で、私に似合いそうな服を見立てて貰おう。土曜日に帰省する時に時間があれば、さつきに買い物に付き合って貰おう。
 とりあえず、膝より少し上の丈のスカートにレギンス、Tシャツに着替え、夕飯の支度に取り掛かった。

 炊飯器にお米を2合セットしてスイッチを押す。先輩の食の好みがわからないけれど、きっと男の人なら仕事が終わって疲れている筈だからガッツリ食べたいだろう。
 何時頃になるかもわからないし、私も暑さで体力の消耗が半端じゃないので、簡単に作れる親子丼に決めた。
 栄養のバランスが偏ってしまうので、具材に野菜もふんだんに使ってみる。
 ……もはや親子丼とは言えないかも知れないけれど、メインの鶏肉と卵はあるので、先輩に何か言われても親子丼だと言い張ろう。
 味だって、普通の親子丼に野菜が加わっただけで、美味しくない訳ではないし。
 仕上げの卵は先輩がうちに来てからすればいいので、そこまでの段取りをしながら余った食材で、明日のお弁当のおかずを作る事にした。

 おかずの作り置きをして小分けにして冷凍しておけば、しばらくの間、お弁当のおかずの心配がない。
 最近の市販の冷凍食品は便利だし、味だって昔に比べると美味しくなったと思うけど、出来るだけ手作りで出費を抑えている。
 見た目の女子力はかなり低いけど、最低限の生活に関しては、それなりに女子力はあるはずだと思いたい。
 今朝の先輩の言葉を改めて思い出した。

『十二年前からやり直さないか』

 出来る事ならやり直したい。先輩に、想いを伝えたい。でも……。
 十二年の空白は、お互いに、単に思い出を美化しているだけではないだろうか。伝えられなかった思い、私は初恋に執着しているだけではないだろうか。今朝のゆりさんみたいに、執着を好きだと言う気持ちにすり替えているだけではないだろうか。
 先輩だって同様だ。
 先輩だって、十二年の間に彼女が居なかった訳ではないし、不完全燃焼で終わった恋心に執着しているだけではないだろうか。
 そう思ったら、今日、先輩の言葉に結論を出さない方がいいのかも知れない。
 でも、もし本当に好きだと思ってくれているなら、今度こそはタイミングを逃したくない。
 執着でも、勘違いでも……。
 先輩を待ちながら、スマホのメッセージ通知を確認すると、丁度先輩からのメッセージが届いた。

『今から会社を出ます。里美はもう帰宅してる?』

 先輩に返信をする。

『お疲れ様です。もう帰宅してます』

 夕飯の事も書こうか悩んだけど、とりあえずは用件のみ。先輩からの返信は、すぐ届く。

『じゃあ今から向かいます。夕飯食べに行く?』

『いえ、簡単な物ですが用意してます。良かったらうちで食べませんか?』

 私のメッセージに、先輩は……。

『デザート買って行く』と。

 何だか気を遣わせてしまい申し訳ない気持ちになる。
 先輩のメッセージに、よろしくお願いしますのスタンプを押して、テーブルの上を片付けて夕飯の支度に取り掛かった。
 それからしばらくして、先輩がやって来た。
 どうやら一度帰宅したのか、ラフなTシャツとチノパンに履き替えている。
 約束通り、手土産にコンビニスイーツを持参して。

「遅くなって悪いな、その上夕飯まで……」

 玄関先でスイーツを受け取ると、私は先輩を招き入れた。先輩も私の後に付いて入る。
 洗面所で手を洗って貰い、その間に親子丼もどきをテーブルに運んだ。

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