仮面夫婦のはずが、エリート専務に子どもごと溺愛されています

小田恒子

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番外編

新しい家族

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 雅人さんと家族になって、どれだけの月日が流れただろう。
 史那と私は雅人さんの愛に包まれて、毎日が幸せだ。
 雅人さんは結婚してからも相変わらずモテモテで心配になるけれど、何かあれば私達家族を最優先に動いてくれる。
 良き父親であり、良き夫である。

 やはり二人目の子供を授かりたい願望は捨て切れない私たちは、お互いが無理のない時に不妊治療を行おうと、一年に一度のペースで体外受精させた受精卵を私の体内に戻していた。
 上手く着床しなくて受精卵が流れてしまうのがここ数年ずっと続き、そろそろ年齢的に母体である私の身体の限界が近づいて来ていることを感じていた。

 時期的に、史那の夏休み期間中につわりが治れば周りにも心配をかけることはないと思い、毎年六月から七月の時期にクリニックで体外受精を行っていた。

 史那が小学校一年になる年。
 これが最後だ。
 これで授からなかったら、もう体外受精はやめようと雅人さんと相談の上臨んだ。

 結果は……

 やはりこればかりは天からの授かりものだし、受精卵との相性もあるのだろうか。
 何度繰り返しても、駄目だった。

 私たちのショックは言葉に言い表せない。史那の前でこんなことは口が裂けても言えない。
 小さい頃、従兄の理玖くんやお友達の愛由美ちゃんの弟や妹を見る度に、ずっと羨ましそうにしていた史那。
 やはり史那をお姉ちゃんにしてあげたかった。

 私たちは、声を殺して泣いた。


 * * *


「猫でも飼おうか」

 ある日、雅人さんが唐突に口を開いた。
 
 史那も小学校に通い始め、日中私も一人になる時間が増えて、自宅でのんびりしていた時だった。

 この日は休日出張の振替で雅人さんも仕事が休みだったので、彼は珍しく朝寝坊だった。
 史那を朝一階のエントランスまで見送り行き、家に戻って来たタイミングだった。

 猫か……

 飼いたい気持ちはある。
 ただ、私の実家の母が、動物アレルギーがあり、毛の生えた動物全般がダメなのだ。
 もし猫を飼い始めたら、母に会えなくなってしまう。
 猫の毛だけならまだ何とかなるものの、母がアレルギー反応を示すのは、フケだからだ。
 動物のフケは空気中に蔓延するとなかなか除去に時間がかかる。
 それに、いくら綺麗にしていても目に見えないものだから、いつ母のアレルギー反応が出てもおかしくない。

 雅人さんにそれを伝えると、黙り込んでしまった。

 私を気遣っての発言は凄く嬉しかった。だから気持ちだけ、受け取ることにした。

 お互いの愛情は変わらない。それどころか、日増しに募っている。
 きっと雅人さんだって同じに違いない。

 私たちには史那が、愛する娘がいる。

 体外受精を諦めたことで、私たちはなにか一つ力が抜けたようだ。
 だからと言って愛し合う行為はやめていない。雅人さんは私を気遣いながらもずっと変わらず愛してくれている。

 現に今も、雅人さんは私を寝室へと誘っている。
 ベッドの上で、私も雅人さんに心も身体も開いている。雅人さんの手で、女性として花開いている。

 史那が小学校に上がるまでは寝室を三人で使っていたけれど、自分の部屋で寝たいと言い出した史那の意思を尊重し、この四月からは史那は一人で就寝している。
 史那が深く眠った時間を見計らい、私たちは毎晩愛し合う。
 声が漏れないように気を遣うけれど、雅人さんはいつだって優しい。


 そんな夜を幾つ重ねただろう。

 史那が小学三年生に進級した年。
 六月に入って私の体調不良が続いたので、病院を受診することにした。微熱が続き、身体が怠い。これが俗にいう倦怠感という奴だろう。
 当初は風邪をひいたのかと思い、早めに就寝したりして身体を休めていたけれど、一向に体調が戻る気配がない。

 先月史那の小学校の運動会も無事に終わり、一段落ついて気が緩んだと思った私は、史那が小学校に通っている間に病院を受診することにした。

 でも病院を受診しようと決めた前夜、ふと気がついたのだった。

 生理がまだ来ていないことに。

 雅人さんは無精子症候群の診断を受けているから自然妊娠の確率は低い。
 でも、『妊娠しない』訳ではない。
 現に、毎晩愛される時に避妊具は着けていない。妊娠の可能性としてはゼロではない。

 それにこの症状は、妊娠の初期症状と似ている。

 まさか……

 私は翌朝、史那をいつものようにエントランスで見送ると、まだ部屋にいる雅人さんの元へと戻った。そして、病院に行く前に、妊娠検査薬を使いたいと伝えた。

「可能性としては、かなり低いと思う。
 もしかしたらぬか喜びで終わるかも知れないけれど、もし、妊娠していたとしたら……」

 私の言葉に、雅人さんはすぐに頷き、急遽出勤を午後からに変更した。
 妊娠検査薬を使った上で、もし陰性なら内科を、もし陽性なら産婦人科を受診することとなり、病院に付き添うと言ってくれたのだ。

 仕事を午前中休むことに、申し訳ない気持ちもない訳ではないけれど、もし本当に妊娠しているのなら、この喜びを一番に分かち合いたい。

 ドラッグストアに妊娠検査薬を買いに行ったのも雅人さんだ。
 私は自分で買いに行くつもりだっただけに、驚きは隠せなかった。
 それ以上に、雅人さんは恥ずかしくなかったのだろうかと心配したものの、恥ずかしさよりも私の体調の方が心配でそれどころではなかったようだ。

 手渡された妊娠検査薬の封を切ると、私はそれを手に、トイレに向かった。雅人さんはそんな私の後ろ姿を見つめている。

 妊娠検査薬の先端に、自分の尿をかけて、反応を見るシンプルなそれを使ったのは、史那の妊娠に気づいた時以来だ。
 雅人さんの前では平静を装いつつも内心ドキドキしながらトイレで反応を待つ。

 私は、妊娠検査薬を持ったまま、トイレから出た。
 そして、ドアの前で待ち構えていた雅人さんにそれを差し出した。

「雅人さん、見て……」

 自分の尿がついて汚いけれど、きちんと雅人さんの目でも確かめて貰いたかったのだ。
 雅人さんは私が差し出したスティックを見て、固まった。

 間違いなく、そこには妊娠を示す陽性反応が出ていた。

「これって、間違いないんだよな……?」

 雅人さんがポツリと呟いた。
 私は雅人さんがきちんと見てくれたのを確認し、それをトイレに備えつけている汚物入れに捨て、手を洗うと再び雅人さんの元へと向かった。

「うん。前に産婦人科受診した時、妊娠検査薬の判定結果はほぼ間違いないって先生が言ってた」

 そこまで私が口にすると、雅人さんは私を抱き締めた。
 ギュッと力強く、でもふと私が妊娠している事を思い出したのか、力を緩めた。

「ありがとう、文香」

 雅人さんの表情は見えない。でも声が微かに震えている。
 今まで体外受精が悉くダメだっただけに、まさか自然妊娠すると思ってもみなかったのだろう。
 きっと今、感極まっているに違いない。
 私は雅人さんの背中にそっと手を回した。

「こちらこそありがとう、雅人さん。
 詳しい事は病院できちんと調べて貰うから、これから出産まで色々と迷惑かけちゃうかもだけど……」

「そんなの!
 文香はなにも気にしないでいい。
 俺は、嬉しいんだ。
 文香のお腹の中に、俺たちの赤ちゃんがいることが……。
 史那の時は、文香を一人にさせてしまったから、今回はなにがあっても傍にいる。
 出張も全て他に振る。
 文香を全力でサポートするから」

 そうだ。
 史那の時は、雅人さんに妊娠を知らせなかったから、なにもかもを一人で背負っていたけれど、今回は違う。
 雅人さんがそばにいてくれるんだ。

 それだけで心強い。

 私たちはクリニックを受診して、妊娠が本当であると確認した。
 まだ初期の段階なので、来週もう一度受診して心音が確認できれば、史那にも報告しよう。

 待望の赤ちゃん。
 男の子でも女の子でもいい。
 無事にお腹の中で育ってね。

 これから健診がある度に雅人さんが仕事を抜けて付き添ってくれたのは言うまでもない。

 高宮専務は愛妻家である話は、結婚当初から噂されていたけれど、この一件で世間に広まったのは周知の事実である。




 ー終ー
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