幼馴染のエリートDr.から一途に溺愛されています

小田恒子

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1巻

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「わあ、すごいっ、尚人くん、このソファーもう座った? すごいフカフカだよ」

 私のはしゃぐ声に、尚人くんはパズルを探す手を止めた。私が嬉々としてソファーに座ったり立ち上がったりを繰り返していると、自分もやりたくなったのか私の隣にやって来て、勢いをつけて腰を下ろした。

「ホントだ、これ、かなり沈むね。今度ここでお昼寝してみたいな」

 はしゃいだ声の尚人くんに、私も嬉しくなる。

「いいなあ、優花もここでお昼寝したい」

 幼稚園児である私は思っていたことがつい口に出てしまう。そんな私に尚人くんは優しい言葉を返してくれる。

「また来てくれたらできるよ?」
「来てもいいの? 優花、尚人くんの邪魔にならない?」
「全然。優花ちゃんが遊びに来てくれたら退屈しないし、僕も嬉しいよ」

 二人で顔を見合わせてクスクスと笑っていると、背後に人の気配を感じた。

「こらっ、尚人くん、暴れちゃダメだよ。それと優花ちゃんも、せっかくのお洋服がしわになっちゃうよ」

 先ほど父が内線で呼んだ看護師さんだった。小児科の外来で、予防接種の時にいつも顔を合わせる大野おおのさんだ。

「暴れてないよ。ふかふかのソファーに座っただけだよね?」

 尚人くんが私に同意を求めてくる。私もその言葉に加勢する。

「うん、尚人くんは全然暴れたりしてないよ。優花がね、このソファーがフカフカだからってこっちに呼んだんだよ」
「そうなの? 院長も言ってたように、尚人くん、走り回ったりしちゃダメだからね。優花ちゃん、今日のそのドレス姿、すっごく可愛いから今日はおしとやかにしてようね」
「はぁーい」

 私は大野さんにやんわりと注意されたことよりも、ドレス姿を褒められたことに気を良くしていた。

「尚人くん、吸入終わった? 酸素濃度を測りたいから、ちょっとだけ手を貸してくれる?」

 大野さんはそう言って医療衣のポケットから酸素濃度計を取り出すと、尚人くんの右手を優しくつかむ。人差し指にそれを挟み、数値を計測している。数秒後に、大野さんは尚人くんの指先からそれを取り外した。

「うーん、ギリギリの数値だけど、おとなしくしてる分には大丈夫でしょう。ねえ、ところで二人とも何して遊ぶの?」

 大野さんは数値をメモをして、そのメモと酸素濃度計をポケットの中にしまい込む。私たちが座るソファーへ一緒に腰かけると、尚人くんはバッグの中からパズルを取り出し、大野さんを交えて三人で一緒に組み立てた。
 こうして私がお見舞いと称して尚人くんの病室へ顔を出すようになると、大野さん以外の看護師さんも時々巡回で様子を見にやって来ては、私たちの遊び相手をしてくれていた。


 尚人くんの病室にお見舞いと称して遊びに行ったある日のこと。
 この日は樹脂粘土を使って工作をしていた。
 幼稚園に通っていた頃、粘土遊びが気に入って、自宅でも粘土で遊んでいた。けれど、せっかく上手に作品が完成してもすぐに崩れてしまう。それが粘土のいいところでもあるけど、私はきちんとした形に残したかったのだ。
 そのことを母に相談すると、樹脂粘土なら固まるよと教わり、早速買ってもらったそれを尚人くんの病室へと持ち込んだのだ。
 早速二人で色々なものを作ろうと遊んでいる時に、尚人くんから不意に質問された。

「ねえ、優花ちゃんのお誕生日っていつ?」

 尚人くんは、樹脂粘土を小さくちぎって、それを薄く平らに伸ばしている。一体何を作るつもりだろう。
 私は自分の樹脂粘土を指でねながら返事をした。

「えっとね、三月二十六日。この前ここで初めて会った日だよ。尚人くんは?」

 私の言葉に尚人くんは手を止めた。

「え、そうだったの? 何であの時教えてくれなかったの?」
「だって……」

 普通なら、特別室に小学生が一人で入院するなんてありえない。
 ましてや父が担当医だなんてよっぽどの患者さんなんだと、以前看護師さんが噂していたのを聞いていただけに、尚人くんには何か事情があると幼心に感じたから、余計に何も言えなかった。
 私が黙ってうつむいていると、尚人くんは優しく微笑んだ。

「じゃあ、優花ちゃんに僕が今からプレゼント作るから、受け取ってくれる?」

 尚人くんの言葉に、私は首を傾げた。

「プレゼント?」
「うん。この樹脂粘土って固まるんでしょ? これからブローチ作ってあげる」
「わあ、ホントに? 嬉しいな」

 思いがけない発言に、私は嬉しくてつい大きな声を出してしまった。

「うん、じゃあ今から作ろう」

 尚人くんはそう言うと、私の目の前で器用にバラの花を作っていく。先ほど薄く平らに伸ばした粘土は、どうやら花びら部分だ。
 中央のつぼみになる部分を細く丸め、その周りが重ならないよう交互に重ねている。私は尚人くんの邪魔にならないよう、作業工程を黙って見学することにした。
 尚人くんは、とても器用に花びら部分を組み合わせていく。できたと声が上がったそれを覗き込むと、本当にバラの花のように仕上がっていた。
 母が買ってくれた樹脂粘土は、色も赤、青、黄色、ピンク、オレンジ、緑、黒とバリエーションが豊富だ。尚人くんは、赤の樹脂粘土を使ってバラの花を作ってくれた。赤いバラは自分が持っている服に合わせやすそうで、とても嬉しかった。

「これ、このままの状態だと乾いてないから、今触ると形が崩れるよ。粘土もまだたくさん余ってるし、他のものも作ろうか」

 本当にこれ、私にくれるんだ。
 私は嬉しくてうなずいた。

「うんっ! でも尚人くん、本当に上手だね。本物みたいだよ」

 小学生にしては、本当に上手な作品だ。

「乾いたら、ブローチに付ける金具を取り付けなきゃいけないんだけど、どうしよう……ここには材料がないな」

 私の隣で、尚人くんがひとちた。

「じゃあ、それは家に帰ってからお母さんに聞いてみるね! ねえねえ、それより他にもたくさん作って」

 母に事情を説明すれば、ブローチの留め具を買ってくれるだろう。私は尚人くんにおねだりして、他にも粘土で色々なものを作ってもらった。
 尚人くんが作ってくれたバラの花は、吸入の時間に巡回で訪れた看護師さんもお世辞抜きで大絶賛するくらい、完成度が高い。
 その日は、尚人くんの夕食が病室に運ばれてくるまで、ずっと樹脂粘土で遊んでいた。

「じゃあ、優花もおうちに帰ってごはん食べるね。尚人くん、また明日も遊ぼうね」
「うん、優花ちゃん、また明日ね」

 樹脂粘土で作ったバラの花は、乾燥させるために応接セットのテーブルの上に置かれている。
 この日は他にもウサギや猫なども作り、くっつかないようそれぞれ間隔を空けて並べた。私はそれに視線を向けると、特別室を後にした。
 帰宅してすぐ母に今日の出来事を話すと、翌日留め具を買いに行くことになり、私は興奮してなかなか寝付けなかった。


 そして翌日、約束通り母にブローチの留め具を買ってもらった。
 帰宅してすぐ、私はお店で紙袋に入れてもらったそれを握りしめると、尚人くんの元へと向かう。
 病室に入ると、いつも通り尚人くんが迎え入れてくれた。もうすぐ吸入が終わるのか、看護師の上田うえださんも一緒だ。

「尚人くん、持ってきたよ!」

 私の声に、上田さんが尚人くんの代わりに返事をしてくれた。

「優花ちゃん、もうすぐ終わるからちょっとだけ待ってね。尚人くんにブローチ作ってもらうんだって?」
「うん、そうなの。昨日、バラのお花を作ってくれてね、今日はそれに留め具をつけるの!」

 私はそう言って、紙袋を突き出した。そんな私を見て、尚人くんはコクコクとうなずいている。
 尚人くんの吸入が終わるまで、私は応接セットのソファーに座って待つことにした。
 上田さんの言葉通り、吸入が終わるのにそこまで時間がかからなかった。
 上田さんが吸入器のスイッチを切ると、尚人くんは吸入マスクを顔から外し、ベッドから飛び降りた。走ったら上田さんに怒られるので、ちょっと速足気味でやってくると、私の隣に座った。

「お待たせ。じゃあこれ、くっつけようか」
「わあい、ブローチブローチ!」

 尚人くんはそんな私を見て笑いながらブローチの留め具を受け取ると、昨日作ったバラの裏面を濡らし、そこへくっつけた。

「あ、そういえば樹脂粘土って水に弱いから、濡らすと粘土の色がつくし、形が崩れるんだって。これを着けた時に優花ちゃんの洋服が汚れたらどうしよう」

 そう言いながら、自分の指を私に見せた。
 差し出された指を覗き込むと、たしかにその手は赤く染まっている。

「あ、ホントだ……。どうしよう……せっかく尚人くんが作ってくれたのに」

 上田さんは尚人くんが先ほどまで使っていた吸入器を片付けていたけれど、しょんぼりしている私たちの姿が気になったのか、会話に入ってきた。

「二人ともどうしたの?」

 上田さんの言葉に、尚人くんが無言でブローチと樹脂粘土の色が付着した指を見せた。
 それを見た上田さんが、ちょっと考えて口を開いた。

「ああ、色移りしちゃったんだね。これって樹脂粘土だっけ? 完全に乾かしてから、レジン液で硬化させたら問題ないんじゃないかな」
「「レジン液?」」

 私と尚人くんの声が揃った。

「うん。えっとね、紫外線……って言ってもわかんないか。おひさまの光を当てたら固まる液があるんだけど、それを表と裏、全体に塗れば、色移りも防ぐことができるんじゃない?」

 上田さんはポケットの中からメモ帳を取り出し、『レジン液』と書き込むと、それを私に手渡した。

「優花ちゃんのお母さんに、このブローチとこのメモを見せて説明したら、多分わかると思うよ。尚人くん、手を洗ったら指出してね」

 いつものように血中酸素濃度を計測するためだ。尚人くんも素直に従って計測してもらうと、数値は今回も問題なく、上田さんはその数値をメモして病室を後にした。

「じゃあ、これはお母さんに仕上げてもらうね」

 私の言葉に、尚人くんはソファーから立ち上がると、テレビの横に置いてある小さな箱を手に取った。

「うん、わかった。でも、このままだと手が汚れるから、これに入れて持って帰るといいよ」

 それは有名なお菓子屋さんの箱で、偶然にもちょうどいい大きさだった。

「遅くなったけど、お誕生日おめでとう」
「ありがとう」


 帰宅してから、母に上田さんから教わったことを伝えると、パソコンでレジン液について一緒に調べた。
 百円ショップにもレジン液はあるけれど、手芸用品店で取り扱っているレジン液は断然品質がいい。せっかく尚人くんが上手に作ってくれたものだからと、母は手芸用品店のレジン液を買ってくれた。

「ねえ、バラのお花もキラキラしてるほうが素敵じゃない?」

 母はそう言うと、ネイルに使うラメを取り出した。

「これをレジン液に混ぜて塗れば、キラキラになるわよ」

 母の素敵な提案に、私は早速レジン液にラメを混ぜて、バラの花びらを一枚ずつ丁寧に塗った。
 母は自身でも時々UVライトを使ってジェルネイルをしているので、ブローチを硬化させるのにそのライトを使わせてくれた。
 そうして世界に一つだけのオリジナルブローチが仕上がった。
 翌日、そのブローチを胸に着けて病室を訪ねると、尚人くんはすぐに気付いてくれた。

「すごい、よく似合ってる」

 尚人くんの言葉に、私は誇らしい気持ちになった。

「素敵なプレゼント、ありがとう! これ、大人になってもずっと大事にするね」

 私の返事に、尚人くんはこう言った。

「じゃあ大人になって、初めて会った時みたいにお姫様みたいな格好する時は、これを着けてくれる?」
「うん! もちろんだよ。その時は優花、尚人くんだけのお姫様になる!」

 幼い頃に交わした小さな約束だった。


   * * *


 帰宅してから私は事務服から部屋着に着替えた。学生の頃はコスプレの投稿をする前までは、家の中でもゴスロリ系の洋服を着用していたけれど、どこで身バレするかわからない。だから外出時に着るようなお嬢様系のシンプルな服を着用するようになった。
 院長の自宅までやってくる病院関係者はほとんどいない。それでも、用心するに越したことはない。撮影時に着用している服のままで外に出ると、アカウントをフォローしている人や投稿写真を見たことがある人に気付かれる可能性もあるかもしれないのだ。
 十和子さんは、メイクで完全に顔を変えているし、スチール撮影やSNS以外のメディアに露出をしていない。それくらいでは気付かれることもほとんどないと言っているけれど、念には念を入れている。

「量販店で購入した服だから、重ね着やコーディネートを変えれば大丈夫。せっかくのお洋服、全く着ないのはもったいないよ」

 そう十和子さんに言われて、最近ようやくその気になってきたところだ。その言葉を信じて、せっかくだからこれからの季節は活用しようかな……
 素顔の私は化粧映えする顔だと言われるけど、言い換えるとそれだけ地味なのだろう。大病院の令嬢というオーラすら感じさせないくらいに存在感も薄いので、ここまで用心する必要はないのかもしれない。
 父に言われた通り私はペンを手に取り、尚人くんに渡すための釣書を書いた。
 特に面白い経歴なんてないけれど、KATOの仕事をしていることも父は尚人くんに話をしているのだろうか。尚人くんは私がYUKAだと気付いているだろうか……
 ドキドキしながら釣書を書き上げると、それを封筒に入れて、父のいる一階のリビングへと向かった。
 リビングに入るとちょうど帰宅したばかりの兄が、ネクタイを緩めながら鞄をソファーの横に置いていた。

「お帰りなさい、お兄ちゃん」

 私に気付いた兄は、目線を私に向けながらそのままネクタイを外し、ワイシャツの一番上のボタンに手をかける。

「ああ、ただいま。俺も着替えてくるから、みんなで夕飯食べよう」
「うん、そうだね。私も夕飯の支度手伝ってくる」

 兄はネクタイと鞄を持って、二階の自室へと向かう。私は兄がリビングを出ていく姿を見送ると、ダイニングチェアに腰を下ろして新聞を見ている父に、先ほど書いた釣書を渡した。

「はいこれ。釣書、書いたんだけど、これでいいかな?」

 私が父に声を掛けると、新聞をテーブルの上に置いた父がそれを受け取った。
 父は封をしてない私の釣書に一通り目を通す。

「ところで尚人くんは、私がYUKAだということを知ってるの?」

 釣書の中身に問題はなかったようだ。それを封筒の中へしまう父に、思わず聞いてみた。父はその釣書を自分の鞄の中にしまうと、改めて私に向き合った。

「ああ、知ってるよ。アカウントもフォローしてるって言ってたよ。このことは、尚人くん以外には誰にも話をしていないし、話すつもりもない。優花のお見合い相手としては最高の相手だと思うから、もし仮に優花が尚人くんのことを気に入らなかったら、他に誰がいるかな……」

 あっけらかんと答える父に私は驚きを隠せない。それに私のお見合い相手として尚人くんが最高の相手だと言い切るなんて、ひょっとして父は本気で尚人くんを婿養子に迎えるつもりで家庭環境などを調べたのだろうか。
 あまりの衝撃に私は言葉を発せずにいると、そこへ助け舟を出すかのように母が私に声を掛けた。

「優花、これ、そっちに運んでくれる?」

 夕飯の配膳を頼まれた私は、ダイニングからキッチンへと移動する。母がすでに夕飯の支度を終えており、それぞれの席へ配膳をするだけになっていた。
 器をそれぞれの席に運び終えると同時に、着替えを済ませた兄が再びダイニングに現れた。

「ああ、腹減った」

 兄はそう言うなり自分の席に着いた。今日は珍しくみんなが揃っている。家族みんなで一緒に食卓を囲むのはいつぶりだろう。

「じゃあいただきましょう」

 母の言葉に、久しぶりに全員が顔を揃えて食事をした。
 食事が終わり、母が食器を洗って棚に片付けるのを私も手伝った。
 父と兄は、珍しく二人一緒に晩酌をしている。
 キッチンで後片付けをする母が、おもむろに口を開いた。

「お父さんから聞いたわよ、尚人くんとお見合い話があるんですってね?」

 母の言葉に、思わず手にしていたお皿を落としそうになったけれど、必死で両手に力を入れる。
 母も尚人くんのことを覚えていることに驚きを隠せなかった。

「お見合い用のお写真は、成人式の時のを使うわね。改まって写真を撮るの、嫌でしょう? それともYUKAの写真でも使う?」
「じょ、冗談やめてよっ、YUKAの写真はそれこそKATOの技術を駆使して出来上がった別人格なんだから、そんな写真を渡したらそれこそ詐欺で訴えられちゃうよ」

 私の返事に、母は必死に笑いをこらえている。

「そんな、詐欺だなんて大袈裟ねえ。どちらも優花、あなた自身なんだから、胸を張っていなさい。優花もYUKAも、尚人くんはそんなこと気にしたりしないわよ」

 YUKAの活動をあまり快く思っていなかったはずなのに、一体どういうことだろう。自信ありげな発言をする母に、その根拠を聞こうとした時だった。

「そういや今日、十和子から連絡があってさ」

 ダイニングから兄の声が聞こえた。

「あら、十和子ちゃんから? 久しぶりね。で、十和子ちゃん、何て?」

 母が兄の声に返事する。二人が付き合っていたことはきっと両親も薄々は知っていただろうけれど、そのことについてみんな何も言わないので、私も余計なことは口にしないでいようと黙っていた。

「ああ、近々この前の撮影の打ち上げやるから、打ち上げの日は残業させるなって。優花にも連絡があっただろう?」
「ごめんなさい、まだスマホを見てないの。撮影も打ち上げも、こっちの事情はお構いなしでいつも予定組んでるんでしょう?」

 お昼の休憩時間にスマホのメールはチェックしていたけれど、十和子さんからのメールはなかった。仕事終わりに父から呼び出されてお見合い話を聞かされて、気持ちが追いつかない状態で今を迎えている。それこそスマホを触る余裕なんてなかったのだから、午後からの連絡だったら確認できていなくて当然だった。

「うん。通話アプリで詳細も優花に送ったって言ってたから、ちゃんと後で確認しといて。それと、来年度の契約は更新しないように俺からも後日話をしておくから、自分の口からもきちんと伝えるようにな」

 兄の言葉に、私の手が止まった。
 どうやらお見合いの話は、もう家族全員に周知されたようだ。そして、私が尚人くんと結婚することを前提に話が進んでいる。

「尚人くんとお見合いするんだろう? 多分向こうは断らないだろうから、優花の気持ち一つで結婚もすぐに決まりそうだな」

 兄の言葉に再び私は固まった。どうして尚人くんは私とのお見合いを断らないと断言するのだろう。
 それに十和子さんと別れてしばらくの間、私に来るお見合い話をあんなに潰していたくせに、今回は妨害しないのは一体どういうことなのか……

「だって、父さんからお見合いの打診をしてその場で快諾したんだろう? 俺は会ったことがないから知らないけど父さんがそこまで肩入れするのも珍しいし、第一に昔から尚人くんは優花には心を許していたっていうんだから、優花がイエスと言えばすぐにでも結婚すると言い出すんじゃないか?」

 尚人くんは私が中学校へ進学した年に、病気療養のため引っ越してそれっきりだった。私が尚人くんの病室にお見舞いと称して遊びに行く時、兄は塾通いや部活で時間が合わなくて、顔を合わせることはなかった。本当なら、私よりも同性である兄のほうが、当時の尚人くんの遊び相手としては最適だったのではないだろうか。

「まあ、尚人くんったら情熱的ね。お父さん、それこそ尚人くんが改まってうちへ挨拶に来る時『娘はやらん!』ってごねたりしないでね……って、そんな心配はなさそうね。このお見合いの話を持ち込んだのはお父さんなんだし」
「いや……まあ、そのつもりではいるけど……やっぱり、いざそういう日が来るとなればわからないな……」

 両親がまだ起こってもいない勝手な未来を想像して盛り上がっている中、私一人、先ほどの兄の言葉を深読みしてしまう。でもその疑惑を打ち消す発言をしたのはやはり兄だった。

「今日、優花が昼の休憩時間に、尚人くんが釣書と写真持って病院に来たの、父さんから聞いてるんだろう?」
「え? 尚人くん、来てたの?」

 私の素っ頓狂な声に、父が苦笑いを浮かべている。

「おいおい、父さんは優花に見合い写真を渡した時に、それもちゃんと話をしたよ? それに、うちの病院に引き抜きの話もしたけど……。ああ、あの時優花は驚いて放心状態だったから覚えてなかったのか」

 父の言葉に、たしかにあの時院長室で饒舌じょうぜつな父が色々と話をしていたけれど、話のほとんどが頭の中に入ってこなかったことはお見通しだったようだ。父は手に持っているグラスの中のビールを飲み干すと、それをテーブルの上に置いた。

「優花が心配することは何もないよ。尚人くんはいい青年だ」

 いい青年かどうかは、会ってみて話をしてみないことにはわからない。父と私とでは捉え方が違うかもしれないのに断言する辺り、かなりの思い入れがありそうだ。
 父は言葉を続けた。

「小さい頃から全然変わってない。父さんは尚人くんなら優花を安心して任せられると思ったから、見合いの話を打診したんだ」

 よほどのことがない限り、父はここまで肩入れしない。父が尚人くんを気に入っていることがひしひしと伝わってくる。
 でも、もしどちらかが気に入らなかった場合、どうなるんだろう。断ることができずに、結婚しなければならなくなったら……

「身構えてしまう気持ちもわからないでもないけど、優花も尚人くんの小さい頃を知ってるだろう、あのまま大きくなったと思っていて大丈夫だよ。まあ、見た目は随分変わったけど、あれは多分優花に関しての精神年齢は小学生のままだぞ」

 父の言葉を聞いて、母が一人惚けた顔を見せながらも、私にしっかりと言いたいことは伝える。

「優花、女性は愛されてこそなのよ。話を聞いている限りでは、きっと大丈夫。お見合いと言っても私たちが立ち会ったりするような無粋な真似はしないから安心しなさい。二人でお茶でも飲んで昔話をして、合わないなと思ったら、お断りするのもアリなんだからね。お見合いしたから、その人と結婚しなきゃいけないって思い詰めなくていいのよ。そのままの優花で、尚人くんに会ってみなさい」

 ズバリ、私が心の奥底で思っていたことを母は見抜いていたようだ。
 母に加勢するように、兄が口を開いた。

「優花にとって、尚人くんはずっと大切な存在なんだろう? 大事な人との縁談をこれまでみたいに俺が邪魔したら、それこそ一生恨まれるからな。そう深く考えずに会うだけでも会ってみろよ」

 兄の言葉の後に、父が口を開く。

「お見合いの日取りは尚人くんの都合でもう少し先になりそうだけど、問題はないだろう? それよりも肝心なことを確認してなかったけど……優花、今特にお付き合いをしている人とかいないよな……?」
「そうよ、それが一番大事なことよ。もしそんな人がいるんだら、その人に対しても、尚人くんに対しても失礼なことになるから……」

 両親の心配は嬉しいけれど、残念ながらそのような相手はいない。中学から女子校に通っていた私は男性への免疫すらない、正真正銘の処女なのだから。

「いないよ、そんな人」

 私の言葉に、三人は安堵の表情を浮かべている。

「わかった。ならさっき預かった釣書は尚人くんに渡しておくから。あ、母さん、優花の成人式の時の写真をお見合い用に用意しておいてくれるかい?」

 父の上機嫌な声に、母も笑顔で答えた。

「わかりました。YUKAの写真は一緒に入れなくていいのかしら?」
「それは優花が直接尚人くんに話をしてからでいいんじゃないか? YUKAのことは私からも話をしているけど、話をする前から尚人くんはYUKAが優花じゃないかと薄々気付いていたようだし」
「まあ、そうなのね」

 父と母のやり取りを聞きながら、この人たちには何一つ隠しごとはできそうにないなと思った。

「お見合いの日程が決まったら伝えるから、優花もそのつもりで」
「はい、わかりました」

 食器の片付けも終わり、私は自分の部屋へと引き上げた。
 部屋に戻ると、私は鞄の中からスマホを取り出した。通話アプリの受信通知がアイコン横に表示されている。
 アイコンをタップして画面を開くと、兄の言うように十和子さんからメッセージが届いていた。
 内容は兄から聞いていた通り、Temptationの情報が解禁され、商品の予約も好調であることと、定例の打ち上げを行うことが記載されており、絶対参加するようにと念押しされていた。兄にも連絡して、スケジュールを調整してもらう旨も記されている。
 ここまできちんと根回しされていては、承諾の返事をするしかないだろう。


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