冷たい雨

小田恒子(こたつ猫)

文字の大きさ
上 下
36 / 59

36

しおりを挟む
「うん、これの中に入れてる。由良、悪いけど水筒取ってくれる?」

 水筒はバッグの中には入れていなかった様だ。

「あ、ごめん。机の上に置いたままだった。ちょっと待ってね」

 加藤さんはそう言うと水筒を取りに行った。同じ保健室内に置いているからすぐに戻って来た。
 加藤さんから水筒を手渡され、梓紗はポーチの中から小さなジップロックに入った薬を取り出した。中には薬が数種類入っており、梓紗はそれを開けると開け口を引っくり返し手のひらにそれを取り出した。まさか、これが一回の服用量なのだろうか……?

「薬とビタミン剤、サプリとかも色々混ぜてるからびっくりするよね」

 梓紗は何だか気まずそうに呟いた。僕と加藤さんは驚きのあまり声が出ない。
 一体梓紗は何の病気なんだろう。僕達は梓紗にどこまで聞いていいのか分からなくて、何も言えなかった。
 本当に薬以外のものもあるのかが怪しいけれど、梓紗がそう言う以上、こちらからは何も言えない。

「量が多いから、飲むのが億劫で……。でも飲まなきゃ熱も下がらないから嫌になる」

 梓紗はボソッとそう呟くと、それらを一気に口の中に含み、水筒のお茶で流し込んだ。
 流石に一度では呑み込めなかったらしく、複数回、水筒に口を付けている。ようやく飲み干したと思うと、梓紗は激しく咳き込み始めた。

「梓紗!?」

 僕はベッドの横に置かれている洗面器を手に取ると、梓紗に手渡して背中をさすった。
 
「私、久保田先生呼んでくる!」

 加藤さんはそう言うと、保健室を飛び出した。グラウンドの救護テントへと走って行く。午後の部はまだ終わりそうにもないけれど、今の梓紗は僕達の手に負える状況ではない事は一目瞭然だ。薬を飲んだとはいえ、顔色は真っ青になっている。
 吐き気も酷く、つい今しがた飲んだ薬も吐き戻している。
 吐瀉物は洗面器の中に吐いているから布団は汚れていないけれど、それでも今口にしたもの全てを吐いてしまうなんて、よっぽど体調が悪いのだろう。
 僕は梓紗の背中をさすってあげる事しか出来ない。この辛さを変わってあげる事が出来ない。病気を取り払ってあげる事が出来ない。なんて無力なんだろう……。

 ある程度胃の中の物を吐き尽くしたのか、ようやく梓紗の様子が落ち着いてきた。
 洗面器を預かって引っくり返さない様に元の位置に置くと、もう一つ横に置かれている予備の洗面器を念の為用意して梓紗に手渡すと、僕はさっき梓紗の汗を拭う為に濡らしたタオルを取りに戻った。
 洗面台で再度蛇口を捻ってタオルを洗い、それを固く絞ると再びベッドへと戻り、梓紗にそれを手渡した。

「口の回りや顔、それで拭くといいよ。そのままだと気持ち悪いだろう?」

 この程度の事しか出来ないなんて……。僕はふらつく梓紗の身体を支えながら顔を覗き込む。
 顔色がさっきより少しだけ血の気が戻ったのか明るくなったのを見て、僕はホッとするのも束の間、保健室にバタバタと足音が二つ近付いてくるのが聞こえる。久保田先生と加藤さんに間違いないだろう。

 ガラガラッと勢いよく引き戸が開く音が聞こえ、先生と加藤さんが息を切らしながら保健室へと駆け込んできた。

「瀬戸さんっ、大丈夫?
 瀬戸さんの希望通りに体育祭終わるまではと思ったけど、ごめん。もう流石にこの状態だと学校で安静は無理だよ。
 さっきおうちには連絡したから、お迎えが来たらすぐに帰りなさいね」

 久保田先生は梓紗の顔を見てそう言った。
 加藤さんはそんな久保田先生の様子を注意深く見つめている。
 今の先生の口振りだと、梓紗の病気の事を何か知っているのかも知れない。
 この高校に入学する時に、事前に梓紗や梓紗のご両親が学校側に健康面について何かを伝えているのなら、養護教諭である久保田先生がその内容を知っているのは納得が行く。
 僕と加藤さんは思わずお互いが顔を合わせて、同じことを考えている事に気付いた。

 久保田先生は、先程梓紗が吐いた吐瀉物の処理をする為に、洗面器を持って席を外した。
 この場に残された僕と加藤さんはまだ一言も言葉を交わせていない。でも考えている事はきっと同じだ。
 こんな状態の梓紗には聞けない。こんな体調の時に僕達が下手に何かを言えば、気持ちが余計に滅入ってしまうだろう。病は気からとも言うし、気持ちが滅入ってしまったら余計に体調が悪化してしまう事だってある。

 僕は梓紗が家の人に迎えに来て貰った後に久保田先生から話を聞こうと、加藤さんにアイコンタクトで合図を送ると、加藤さんも頷いて応えてくれた。

 それからしばらくして、梓紗のお母さんが保健室に迎えに来た。
 久保田先生が電話で梓紗の付き添いに僕達がいる事を事前に伝えていたのか、先生とお母さんの会話で詳細は何も聞けなかったけれど、帰る間際にお礼を言われた。

「白石くん、由良ちゃん、今日は本当にありがとう」

 梓紗のお母さんの姿が、あの日梓紗の家で見た梓紗の姿に重なって見えたのは僕だけじゃない。
 加藤さんも、梓紗のお母さんの言葉に何も返事が出来なくて、久保田先生と梓紗のお母さんに支えられながら保健室を後にする梓紗の後ろ姿を、僕達はただ見守るしか出来なかった。


しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

【完結】別れを告げたら監禁生活!?

恋愛 / 完結 24h.ポイント:14pt お気に入り:689

装備をフルコンプしたら、特典で異世界に飛ばされました

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:309

【完結】囚われの姫君に、永久の誓いを

恋愛 / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:28

僕は君に飼われていた猫ですが?

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:2

小料理屋はなむらの愛しき日々

ライト文芸 / 完結 24h.ポイント:255pt お気に入り:186

洋食屋ロマン亭

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:207pt お気に入り:0

妻を蔑ろにしていた結果。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:411pt お気に入り:106

処理中です...