悪服す時、義を掲ぐ

羽田トモ

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第二章

第5話 血を流した正義

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 意識が覚醒し始めると、ベッドに寝かしつけられているのに気付いた。 

『ねぇ? あのうるさい石は何んなの?』 
『あれは、びっくり玉……あ、いや、ちゃんとした名前は、お、おと……ダメだ、出てこねぇ。お嬢、正しい名前わかるか?』 
『……音響石です』 
『おお! そうだったそうだった。あんがとな、お嬢』 
『ちょっと、満足してないで私の質問に答えてよー』 
『おお、悪い悪い。あれはな、動物やら魔獣を追っ払うための魔道具だ』 

 穴の中で、三人が話し込んでいる。ぼんやりと耳を傾けながら、ゆっくりと上体を起こす。すると――、 

『キルト、大丈夫?』 

「…………」 

 エノディアさんが心配そうに声をかけてきた。ただ、声を出す気力が湧かない。だが、この部屋に向かってくる三つの火を感じ取っていた。おもむろに扉へ目を向けると、扉を開けたメイド服を着た女性たちと目が合う。 

「ッ! お目覚めになられたのですね。お体に異常はございませんか?」 

 三人とも驚いた表情を浮かべる。しかし、先頭に立っている女性はすぐに冷静さを取り戻し、具合を尋ねてきた。 

「…………」

「……あなたたちは部屋で待機なさい。私は、目覚めたことを報告してきます」 

 何も答えずに視線を外すと、小声で二人に指示を出した女性は部屋から出て行った。残された二人は入室すると、扉の横に静かに並び立つ。空気のような二人を放置し、部屋の中を見回す。 

 白い壁に彫られた彫刻、金の縁取り、銀製の燭台――そのすべてが、シャンデリアの暖かな光を反射している豪華絢爛な部屋。窓の外に目をやれば、夜空に街の明かりが滲んでいる。 

 そうして部屋を眺めていると、先ほどの女性が一人の男性を連れて戻ってきた。 

「お目覚めになられたのですね。お加減はいかがでしょうか?」 

 穏やかな口調で尋ねてくる六十代の男性は、皇国の侍従と同じ格好をしている。黙っていても何も進まない。男性に顔を向け、重い口を開く。 

「心配をかけたみたいで、すいません。もう大丈夫です」 

 その言葉を聞き、男性は微笑みを浮かべた。 

「それは何よりです。遅ればせながら、私はアイザック・アイビーと申します」 
「キルトです」 
「英雄のお名前を知れて、光栄に存じます。改めまして、キルト様。この度はこの国を救っていただき、心より感謝申し上げます」 

 男性が深々と頭を下げると、メイドたちも一斉にそれに倣った。その光景に胸がざわつく。 

「頭を上げてください。あの、実は記憶が曖昧で、オ……自分が気を失った時のことを教えていただけませんか?」 
「もちろんでございます。キルト様はジャーマンを討ち取った後、残ったまつろわぬ民共も一人残らず成敗されました。ですが、最後の一人を討ち終えた瞬間、キルト様は膝から崩れ落ちてしまわれたのです」 
「そうだったんですね……運んでくれて、ありがとうございます。あの、ここは?」 
「城内の一室でございます」 

 状況を整理すべく、男性から視線を外して考え込む。 

(あの時と同じ……。空からして、気を失ってたのは一時間くらいか……) 

「キルト様」 

 考えを巡らせている最中、アイザックに名前を呼ばれる。顔を向けると、男性の表情が真剣なものに変わっていた。 

「一つ、お尋ねしたいことがございます。よろしいでしょうか?」 

 男性は、真剣な物言いで尋ねてくる。 

「何でしょうか?」 
「キルト様は、サンバスの国人なのでしょうか?」 

「…………」 

 表情にはおくびにも出さず、どう返答するべきか思考を巡らす。すると――、 

『キルト様、警守だと名乗ってください』 

 会話を聞いていたアルシェさんが、すかさず助け舟を出してくれた。 

『組合の馬車を護衛していた折に、この国の異変に気付き、キルト様御一人で訪れたのだとお伝えください。そのため、国王との謁見は行えないこと、そして、一度報告に戻りたいともお伝えください……――』 

 アルシェさんの指示通りにアイザックへ答えると、翌日に組合の代表と共に国王と謁見することなった。 

  



 ◇◇◇◇◇





「キルト様には不要かと思われますが、国を出るまでは兵に護衛させます」 

 城の入口まで先導していたアイザックが振り返り、そう言ってきた。 

「わざわざ、ありがとうございます。お願いします」 

 ぎこちない笑みを浮かべながら、感謝を告げる。 

(……監視、か) 

 突然現れた余所者を信用できるわけがない。アルシェさんからは、難色を示さず、素直に受け入れた方がいいと言われていた。 

「滅相もございません。申し訳ございませんが、私はここまでございます。キルト様が明日お越しするのを、心よりお待ちしております」 

 アイザックが深々と頭を下げていると、一人の兵士が現れた。 

「決して、失礼が無いようにしろ」 
「はッ!」 
「ではキルト様、ご案内します」 

 兵士に先導され、正門へと向かう。 

(あれは?) 

 城門付近に、兵士たちが整然と並んで待機していた。 

「キルト様の護衛は、我々の隊で行います。息苦しいかもしれませんが、ご容赦いただけますと幸いです」 
「いえ、わざわざありがとうござ――」 

 兵士に礼を告げようとした時、自分に向けられた敵意を感じ取る。敵意の出所を辿ると、待機している隊とは別の場所に、十五、六歳の若い兵士が自分のことを睨み付けていた。 

(あの兵士……似てる……) 

 今にもこちらに飛びかかって来そうな兵士を、他の兵士たちが必死に取り押さえている。

 ふと、その兵士と目が合う。


 ――その瞬間だった。 


「お前のせいだッ! お前さえ来なければッ!」 

 城内に響き渡る怒声。

 その威勢にわずかに驚いている中、若い兵士は一人の兵士によって地面に組み伏せられる。状況が理解できずに呆然と眺めていると、彼を組み伏せた兵士がこちらへ歩み寄ってきた。 

(この人……) 

 近づいてくる人物は、捕らえられた国王の隣に立っていた兵士だった。アルシェさん曰く、近衛兵であり、立ち位置からして隊長とのことだった。それが今は、一般兵と同じ格好をしている。 

「キルト様。部下の無礼、深くお詫び申し上げます。すべては、私の指導が至らぬゆえでございます。どうか、罰するのであれば、私だけを――」 
「貴様の首一つで足りると思っているのかッ! 貴様らはレルロスに与していたのだぞ! そのような卑しい貴様らが、キルト様に無礼を働いたのだ! 全員の首を刎ね、さらし首が相応しいッ!」 

 自分が答えるよりも前に、先導していた兵士が大声で怒鳴りつける。すると、待機していた兵士たちも殺気立ち始めた。 

「…………」 

 部外者の自分が、国の今後を大きく左右する出来事に係ってしまった。この国に生き、この国で死んでゆく者たちから敵意を向けられるのは当然である。 

 そして何より、死んで欲しくないのだ。これ以上、自分のせいで人が……。 

「大丈夫ですので、部下の方たちを連れて下がってください」 
「ッ!? し、しかし、キルト様。それでは……」 

 納得がいかないのか、食い下がってくる兵士。その兵士の目をじっと見つめる。すると、兵士は口から泡を吹き倒れてしまった。その一部始終を見ていた周囲の兵士たちが息を呑む。 

「すいません。この方、突然倒れてしまったんですが……」 

 白々しいと思いつつ、周囲に助けを求める。その声で硬直が解けた兵士たちは顔面蒼白となりながら、倒れた兵士を担ぎ、城の中へと運んでいく。 

「自分は気にしてませんので……」 

 どよめきが残る中、歩み寄ってきた兵士に向かって声をかけた。 

「キルト様の慈悲に、心より感謝申し上げます」 

 声をかけられた兵士は我に返ると、姿勢を正し、再度深々と頭を下げてきた。 

(この人の火……) 

 まるで、烈しく燃え盛ろうとする火を必死に鎮めているようだった。 

「…………」 

 番犬より、遥かに小さい火。そんな火が、心から怖いと思った。それと同時に、その揺らめきを眺めていると、安心している自分もいた。 

  

  

 国中に響き渡る、拍手喝采を全身に浴びる。 

  

(なんで……) 

  

 正門まで続く道は飾り付けられ、その両脇を埋め尽くす笑顔の原。 

  

(なんで……) 

  

 冷めぬ熱狂はうねりとなって、飛沫歓声を上げ続ける。 

  

(なんで……) 

  

「「「「キルト様ー、この国を救ってくれてありがとー!!!」」」」  

  

 穢れを知らない子どもの賛歌は、何色にも染まっていない無垢な刃だった。 

  

(人を殺したのに、感謝されるんだ……) 

  

 正門に辿り着く頃には、心は溢れ出た感情に塗れていた。逃げるように、全速力で駆け出す。そして、サンバスを訪れる前に立ち寄った木陰に辿り着くと、幹に背を預けて座り込んだ。 

『キルト……』 

 エノディアさんの声が頭に響く。 

「……俺は……また、人を殺したんですよね……」 

 両手を見つめながら呟く。 

 力のない言葉は、音のない闇に消えてゆく。 

「また……」 

 手には、確かに感触が残っている。命を奪った感触が。 

「……なのに、俺は何も感じてないんです……」 

 目を閉じると、瞼の裏に浮かぶ骸の山。確かに人を殺した。しかし、心臓は一定のリズムで鼓動を刻み、血液は清流のように流れているのだ。 

「俺は、本当に化け物なんですね……。人を殺しても、何も感じない化け物……」 

 “無”に圧し潰されそうになっていると――、 

 『――……悩み、傷つき、それでも歩み続ける者。その心は獅子のように雄々しく、その命は太陽のように輝き、人々の希望を育む』 

 静謐とした闇に、無に響き渡るエノディアさんの声。 

『ん? 勇者の謳か』 
『うん。なんかね、頭に浮かんで口ずさんじゃった』 

 かつて、レオガルドを救った勇者日本人。エノディアさんが何を思ったかは知らないが、救世主の謳を口ずさまれても、自分がひどくちっぽけで惨めとしか思えなかった。 

「……勇者はすごいですよね、どんなことがあっても歩き続けれるんですから。俺なんか……」 

『そう? 私はこの謳を聞いて、勇者も悩んで、傷つくんだーって思ったよ。私たちとおんなじなんだって。でも、どんなに辛くても、歩き続けたんだよ。そんな姿にさ、感化されて、もう一度歩こうって思えたんじゃないかな? そうやって色んな人に勇気を与えたから、勇者って呼ばれてるようになったんだよ、きっと』
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