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五十、
しおりを挟む「どうせなら此処で呑むか」
ふと零されたその言葉に、斎藤は隣の沖田を見上げた。
「・・店の者に嫌がられると思うが」
「嫌がられたら戻りゃいいよ」
「・・・」
こういう時の沖田は当然のように独断的だ。止めてもどうせ敢行するだろうと、斎藤はそのまま黙認を示せば、
沖田がさっさと部屋へ取りに向かった。
まもなく膳ごと手に、沖田が戻ってきた。その膳を縁側の板敷に置くと沖田はその横で、庭を向き袴をはたいて胡坐をかき、「おまえも座れ」と顎で杓る。
斎藤は黙って膳を挟んだ反対側へ正座をした。
沖田が徳利を持ち上げ、促してきて、斎藤は杯を取り上げた。
庭先を叩く静かな梅雨の水粒は、縁側までは吹き込まず、斎藤達の前で幾筋も、ただ細やかに落ちてゆく。
横合いから沖田に注がれた酒を、斎藤は口に含んだ。
やはり美味い。
冷涼な水音をすぐ傍に、より芳しさを増したようにさえ思う。
沖田が手酌しようとするのを視界に、斎藤は猪口を置くと、徳利を手にして差し出した。
「有難う」
沖田が片手に持った猪口を出してくるのへ、斎藤はそっと注いでやりながら、
先程受けたまなざしをふと思い出し。
あれは何だったのかなど。考えても詮無い事だと。
注ぎ終わった徳利を膳に戻して斎藤は、再び猪口を手に、小さく息を吐いた。
結局「お客はん方、困ります・・」と、暫しのち、おろおろした店の者に乞われて、おとなしく部屋へ引き上げた二人は、
どちらともなく帰る様相を醸し、まもなく小降りになった雨の中、帰路についた。
一つ部屋のあの密な空間は、息が詰まりそうだったのだ。
どうせ帰れば、また一つ部屋が待っているというに。
斎藤は、胸内に小さく何度目かの溜息をつく。
―――――横で沖田もやがて。大きく溜息をついた。
「今は、・・気分じゃねえな」
「同感だ」
前を見据えたままに、周囲の気配を探りながら。
斎藤は答えた。
口内に残った美酒の香が、このぶんでは台無しだ。
より研ぎ澄ました感覚を身に張り巡らす。
二人、鯉口を切ったのは同時だった。
小路の脇から男達が振り被ってくるのを、斎藤は一気に抜刀した一振りで薙ぎ払った。
声もなく、斎藤の一閃で胴を裂かれた男が崩れ落ち、
その背後から斬り込んできた男は、斎藤の手の内で返された次の一閃で一瞬に喉を裂かれ、静かに事切れて。
ひらりと跳び下がり、返り血を避けながら、そして斎藤は刀を払って納刀した。
ふと見やれば、沖田は三人の骸をその足元に残し、既に納刀して斎藤を静かに視ていた。
その闇の立ち姿に、
一瞬、斎藤の背を冷たいものが奔り。
「どうした」
かけられた声は、
いつもの穏やかな沖田の声だった。斎藤は、現に引き戻されたように、はっと目を瞬かせ。
「見事だったよ」
続いた沖田からの賛美は。逆に斎藤の胸に小さな波紋を落とした。
斎藤が二人斬る間に、自分は既に三人を片付けて納刀していたというのに。
・・・いつか、この男から、その背に負う荷をすべて引き受けることになるとは、未だ考えたくも無い。
(やはり俺は、あんたの代わりになど・・)
『なれる。なってほしい』
あの日の沖田の言葉が耳奥に響き。
斎藤は目を瞑った。
「帰ろう」
聞こえた低く穏やかな声を、記憶の残響に重ねて。
「ああ」
斎藤は静かに頷いた。
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