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四十七、
しおりを挟む格子窓からの翳月。
夕闇に一雨降った後の、澱んだ曇に囲まれたその月を見上げながら、沖田は手の内の猪口を呑み干す。
「久しぶりだな此処も」
そして沖田はそう言うと、ちろりと黙ったままでいる斎藤を見やった。
どうも斎藤はあれから機嫌が悪い。
悪いといっても、それでも呑みには付き合ってついてきてくれるところが、先程から沖田の相好を崩して仕方がないのだが。
「・・何をそんなに笑っている」
沖田がひとりにやにやしているせいで、よけいに機嫌を損ねているのか、ついに口を開いたと思ったらそんな非難めいた台詞が零れてきた。
この個室を宛がう店は、元々斎藤のお気に入りで。
まだ西本願寺に移る前、
普段の呑み仲間の原田ら面々が揃って仕事で、すっかり暇をしていた沖田が、たまたま外へ出てゆく斎藤を見かけ、声をかけたのがきっかけだった。
斎藤に案内されて来たこの店を、沖田もすぐに気に入った。
もっとも斎藤が静かに呑みたくて見つけた店であろうことはわかったから、沖田は此処を呑み仲間に教えることもなく、斎藤ともう一度呑むことがあったわけでもなく。あれから一度も再来したことはない。
今夜までは。
「おまえこそ何でそんなに不機嫌なわけ」
沖田は質問に質問で返し、反応を待ちながら手酌する。
「・・・」
案の定、昼間に見たような剣呑な視線が飛んできた。
(こいつ本当に俺が謀って呼び寄せたと信じてるな)
もはや、今ので不機嫌も頂点に達している斎藤の、それでいて無表情な、あいかわらず眼で語るそのさまに。沖田は内心哂ってしまう。
(・・・認めてみるか)
「悪かったよ」
前置いた。
「おまえに京へ戻ってきてもらいたかったのは事実だ」
「・・・」
行灯の火に煌めく斎藤の黒髪が揺れた。
少しばかり首を傾げ、沖田にその先の言葉を促してくる。
沖田をまっすぐに見返す黒曜は、あいもかわらず沖田を睨みつけて。
「手始めにやってもらいたい仕事が、あってね」
俺の代わりに
沖田は紡いだ、
その言葉に。斎藤の瞳はつと揺れ。見開かれた。
「それは、・・」
持ち上げかけていた猪口の手を止め、斎藤がそして呟くように問うた。
「多少、血生臭い事になるが」
沖田は更に斎藤の反応を確かめるべく、その目を見詰めながら。
「伊東の密命を受け長州に迎え入れられていた者が、近く帰京する。船場に着いた時点で、会津の人間がそいつを捕らえる手はずになっている。そいつはそのまま黒谷に連れてゆく」
さすがに斎藤は驚いた様子で、その睥睨を解いた。
黒谷、
新選組を預かる会津の本陣であり。
「当然、拷問にかけ、吐かせた上で始末するより他無い。伊東にこちらが全て承知でいることは気取らせるわけにいかない」
それから
沖田はそのまま続けた。
「伊東が長州内の反幕勢力と親密になりつつあることを知っているのは、組では未だ、近藤先生と土方さん、そして俺だけだ」
そこにおまえも加わってもらう
一呼吸おいて沖田の締めたその台詞に。斎藤は猪口を膳へと戻した。
「・・その前に。そこまでわかっているなら、何故なお伊東を泳がす」
もう斬り時ではないのか。沖田が未だ我慢している必要が本当にあるのか。斎藤は暗にそう問うかのようだった。
「長州と繋がりを持つ伊東をどうせなら使い切ってから殺る、というのが土方さんの最終判断だからね。俺はそれに従うまで」
「・・・」
沖田の見詰める先。
斎藤の長い睫毛が、そして伏せられた。
「わかった。承知した」
「有難う。おまえはその日に黒谷で一部始終を見届け、報告に戻ってきてほしい。これには、おまえも加わった事を会津に知らせる意も含んでいる」
顔見せといったところか。斎藤が静かに首肯した。
抱える極秘事項が、またひとつ増える。斎藤が、そんなことなど一向に構わなそうな様子で、再び猪口を取り上げたことに。沖田は、その予測通りの斎藤の態度に、
もう一度、相好を崩し。
「で。そろそろ機嫌なおしてくれ」
斎藤が、つと上目で沖田を見返した。
その眼に先程の苛立ちはもう無く。
沖田は徳利を摘まんだ手を伸ばし、斎藤の猪口へ向けた。
斎藤が黙ったままに。猪口を差し出して。
いつのまにかまた降り出した雨の音が、
二人の合間の酒の水音に重なった。
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